第14話

 杷佳は本当に着の身着のままで、室生家を出ることになった。

 長治郎が杷佳に遺してくれたものはたくさんあったが、皆麻希に奪われてしまった。

 そのため彼女の荷物は、行李に入る僅かな着物と櫛と書物が数冊だけ。


「あの、お…旦那様、最後に仏壇に手を合わせてもよろしいでしょうか」


 もうここには戻ってこれないかも知れない。里帰りなど、叔父が許してくれるとは思えない。


「まあ、いいだろう」


 渋々ながら了承を得て、杷佳は祖父たちの位牌か置かれた仏壇の前で手を合わせた。


(お祖父様、お母様、ご先祖様。どうか見守っていてください)

 

 風呂敷で行李を包んで玄関に向かうと、そこのは人力車が待っていた。

 誰も見送る者のいない玄関で、室生家を振り返り、しみじみと見上げる。


「お世話になりました」


 深々と頭を下げて、杷佳は人力車に乗って室生家を出た。


 人力車に乗ったのは何年ぶりだろうか。

 ユラユラ揺られながら、歩きとは違う速さで街を眺めた。


「これから、どうなるのかしら」


 麻衣と麻希がいないうちに出られたのは良かった。


 麻衣はどこかのご婦人方と歌舞伎見物だと言っていたし、麻希は女学校だ。


 室生家の建物が建っていたのは、商売で財を成した商人が多く暮らしていて、比較的活気があった。

 人力車はそこから賑やかな通りを抜け、どんどん街中から外れていった。

 建物もまばらになり、人の通りも殆どない場所を進んでいく。


 俥夫しゃふは寡黙で、何も話さない。杷佳もおしゃべりな方ではないので、沈黙が両者の間で流れていた。


「こちらです」


 ようやく俥夫が口を開いたのは、目的地に着いた時だった。

 室生家を出てからどれほど走っただろうか。

 辺りはすでにとっぷり暮れていた。

 鬱蒼と生えた木々に取り囲まれるように建つその家は、ぐるりと高い塀に囲まれていた。

 まるで外の世界から完全に切り離されたようなそこが、北辰家の屋敷のようだった。


「お連れしました」


 俥夫が薄暗い中、竹格子の数奇屋門の前で声を掛けると、奥から灯りを携えた女性が出迎えた。

 

「ご苦労様でした」


 半分白くなった髪を丸髷に結った割烹着を着たその女性は、俥夫にそういうと、車から降りてその横に立つ杷佳に目を向けた。


「お待ちしておりました」

「は、はじめまして、室生杷佳と申します」


 手ぬぐいで髪を隠したまま、杷佳は頭を下げた。着ている着物も出迎えてくれた女性よりみすぼらしい。

 これでは使用人と間違われるかも知れないと思った。

 

「私は北辰家で長年仕える常磐と申します。さっ中へお入りください」

「は、はい」

  

 常磐と名乗った女性は事前に聞かされていたのか、杷佳の出で立ちに眉を顰めることなく、彼女を邸内に招き入れた。


「あの、お世話になりました。気を付けてお帰りください」


 杷佳はここまで彼女を乗せてきてくれた俥夫にお礼を言った。

 すると彼は被った笠の向こうから、軽く頭をさげた。


「さ、お嬢様、早く」


 常磐に急かされ、杷佳は門を潜り石畳を歩いて大戸口に向かった。


「おや、着いたようだね」


 常磐について中に入り、草履を脱いでいると、そう言って話しかけてくる人物がいた。


 どこかで聞いたことがあると思い、顔を上げた。


「あ…」


「やあ、またお会いしましたね」


 そこには興得寺で見かけた男性が立っていた。

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