第34話

「父親が誰かわかっていても、必ずしも幸せかどうかはわからない。子供は親を選べないのだから、親が立派な人間とは限らないからだ」


 父親がどんな人間かわからないことで、人としてどこか半分欠けているように思っていた。

 勝手にまだ見ぬ父親を美化していたが、柊揶の言う通り、父親がどんな人間かわかったところで、立派な人間だという保障は何もない。

 母についての記憶はあまりないが、母がろくでもない人間を相手にするだろうか。

 もちろん、無理矢理犯されたということもある。深窓の令嬢が、男の力に敵うはずもない。

 

「だが、術にかからないのは、それが関係しているやも知れないな。母親が普通の人間なら、父親の血筋か」


 その可能性は高いが、そもそもどこの誰かわからないなら、これ以上どうすることも出来ない。


「でも、術がかからないのは、杷佳だけではない。殆どの者がかかるが、中にはかかりにくい者もいる」

「そうなのですか?」

「ああ、だから気にするな。それに、かえって良かった。杷佳に術はかけたくない」

「え?」

「杷佳には、嘘偽りない私の真実を覚えていてほしいから」


 それは、まるで杷佳は特別だと言っているように聞こえた。


「わ、私…」

「しかし、このことも含め、父上達の記憶から消したことについては、誰にも言わないでほしい」

「わかっています。柊揶様がそれを望むなら、口が裂けても、誰にも言いません」

「ありがとう。杷佳のことは信用している」


 そう言われ、また杷佳は嬉しくなった。

 

「それから、私と一緒にいた牛頭と馬頭のことだが」

「牛頭…と馬頭?」

「君も見ただろう? 頭が牛と馬の者たちを」

「は、はい」


 柊揶と共にいた、馬の頭と牛の頭のお面を被った者たちの姿を思い出す。


「彼らのことも、誰にも言わないでほしい」

「それは、もちろんですが…あの、彼らは一体…」 

 

 被り物をしているには、あまりに精巧に出来ていた。


「彼らのことは、詮索しないでほしい。いずれ、話す時が来るだろうが、今はまだ詳しくは話せない」

「わ、わかりました」


 彼らのことは気になったが、自分が踏み込んでは行けないのだと、杷佳はそう答えた。


「その代わりと言ってはなんだが、面白い話をしよう」

「なんでしょうか?」

「人がこの世に生れ落ちると、倶生神くしょうじんが両肩に一神ずつ宿り、一生涯、その人の行為を帳面に記録しする。そしてその帳面は閻魔王へ順次渡される。という話を聞いたことはあるか?」

「く、しょうじん? いえ、ありません」


 聞き覚えのない言葉に、杷佳は素直に答える。


「死者の生前中の行いの審判を行う冥界の『裁判官』の一人である秦広王は、この倶生神の報告に基づき、亡者の生前の行いを全て取り調べ、特に生き物の命を奪う殺生の罪を問いただす。亡者もうじゃは、秦広王の取調べの結果により、三途の川のどこを渡るかが決められる」

「お詳しいのですね」

「病に伏し、死を身近に感じていたからか、死後の世界に興味があって、幽鬼やら地獄やらの文献を読み漁った。人は死んだらどうなるのか。あの世とはどんなところか…とね」


 「死」というものを、人は忌避したがる。

 死んだら人はどこに行くのか。

 死ねばそれで終わる。生きている者で、死後の世界について本当のことを知る者はいない。

 肉体は荼毘に付され、やがて土に還る。

 けれど魂は? 

 今まで呼吸をして生きていた体が、突然動かなくなるのが不思議だった。

 死ぬ前と死んだ後で、何がどう変わるのか。


「倶生神の二神は男女で、男神は同名といい左肩にあって善行を記し、女神は同生といい右肩にあって悪行を記し、死後、閻魔王による断罪の資料とするという」

「恐ろしいですね。生まれてからずっと見張られていて、嘘も吐けませんね」 

「ところが人は嘘をつく。生きている間も非道な行いをしておきながら、往生際の悪い奴は嘘をついているという罪悪感もない」 


 実際に見たことがあるような言い方だった。しかし、その疑問を口にしていいのか、杷佳は躊躇った。

 

「つまり、何が言いたいかと言うと、たとえこの世で裁く法がなくても、死ねば必ず生前犯した悪行は暴かれる。君を虐げた叔父達にも、それ相応の罰は必ず下る。倶生神は、きちんと見ているから」

「柊揶様」


 彼が突然、死後の世界での裁きについて語りだしたのは、自分を怖がらせたいのかとも思ったが、それが彼なりの慰めなのだとわかった。

 室生家に戻りたくない杷佳の気持ちを汲んで、そのように言ってくれたことに、杷佳はこの方に嫁いで良かったと、心から思った。

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