第25話

「あの、もしよければ、柊椰様のために浴衣などを縫って差し上げてもよろしいでしょうか」


 自分のしたいことを考えたとき、まず杷佳の頭に浮かんだのは彼のことだった。

 ちょうど麻希の女学校の宿題を代わりにやらされ、縫ったばかりだ。


「柊椰様の浴衣、ですか?」


 意外だったらしく、常磐は少し驚いた顔をした。


「もう亡くなっているとは言え、私は柊椰様の花嫁です。生前何もして差し上げることが出来ませんでしたので、あ、別に着せて差し上げられなくてもいいのです」


 出しゃばりすぎただろうかと思いながら、常磐の反応を窺った。


「ちょうど柊椰様の古い浴衣があります。それを解けば丈などは確認できますね」

「では」

「浴衣と道具はすぐに持ってまいります。生地は出入りの呉服屋に反物を見繕ってこさせましょう」

「ありがとうございます」


 常磐の配慮に、杷佳はお礼を言った。


「お礼を言うのはこちらです。何でもいいと申し上げて、すぐに柊椰様のために何かしたいなどと、旦那様もきっとお歓びになります。それに、奥様も」


 言いかけて常磐が、はっと口元を覆った。柊椰の母、楓は杷佳を認めていない。


「認められようと思ってはいません。お気になさらないでください」

「旦那様も仰っていらっしゃいましたが、今はまだ柊椰様を亡くした悲しみが癒えておりません」

「わかっています」


 柾椰も常磐も、彼女を理解しようとしてくれる人がいる。それ以上の望みを持つのは贅沢なことだ。


 昨日同様、掃除を済ませて部屋に戻ると、すでに柊椰の浴衣と裁縫道具が届けられていた。


「これが、柊椰様の・・・」


 黒に亀甲柄の浴衣を、そっと撫でた。彼が生前どれだけの時間を、これを着て過ごしていたのかと考えた。

 会ったこともなく、今後顔を見ることができるかもわからないが、もし自分が縫ったものを彼に着てもらえたら、どんなにいいだろう。

 そう思いながら、杷佳は浴衣を広げると、糸切り鋏で丁寧に浴衣を解体していった。

 昼には常磐が早速連絡してくれたのか、呉服屋が浴衣用の反物をいくつか届けてくれて、常磐と相談して黒を基調とした細い縦縞の柄が入った生地を選んだ。

 夕方には古い浴衣を解き終わり、明日から解いた布地に合わせて買った反物を裁断していく。


「あまり根を詰めすぎないでくださいね」

「わかりました」


 本当は少しでも早く作業を始めたかったが、体調のことを心配してくれる常磐の顔を潰すわけにいかない。

 それでも、その夜は買った反物を枕元に置いて床に就いた。

 



 室生家では昼の間こき使われ、麻希に押し付けられた裁縫をするため、夜も遅くまで起きていた。

 少ない睡眠時間で慣れてしまったせいで、その日はなかなか寝つけなかった。

 ようやくウトウトし始めた時、障子の向こうで音がした気がした。


(……気のせい?)


 耳を澄ませ、様子を窺う。ここの夜はとても静かだ。

 寝静まった深夜の屋敷は、しんと静まり返っている。


 一体何が自分を覚醒させたのか。何の音がしたのかと、身動ぎせず息を殺して様子を窺う。

 

(だ、誰かいる?)


 部屋の空気が僅かに動いた気がする。そう思った瞬間、髪が何かに引っ張られた。

 

「こら」


 潜めた嗜める男性の声がして、髪を引っ張る感覚が無くなった。

 

(だ、だれ?)


 そう思うのに、怖くて声が出ない。

 

「ごめんなさい」


 子供らしき声が謝った。


(綺麗? 何が?)


「気持ちはわかるが、見ているだけにしなさい」


 この声には聞き覚えがある。一昨日の夜も聞こえた。


(でも、そんな子供はいないって…)


「ごめんなさい。…様」


(…、今、なんて言ったの?)


 酷く押し殺した声だが、周りが静かなので声は聞こえるが、言っている言葉は聞き取り難い。


「わかればいい。さあ、そろそろ行こう」

「はい、…様」


(え!)


 杷佳は一瞬自分の耳を疑った。聞き間違いだろうか。そう思ったが、考えるより先に声をかけていた。

 

「あ、あの! 待って」


 杷佳の声に、出ていこうとしていた人物が背中を向けたまま顔だけ振り向いた。

 しかし、外より部屋の中の方が暗いため、輪郭が月明りに縁取られたその人物の顔は、はっきりわからなかった。


「あ、あの…」


 呼び止めてみたものの、そんな筈がないと、頭ではわかっていた。

 だが、もう一人の自分が、そうだとも言っている。

 

「あの…」


 ただ「あの」と繰り返すだけの杷佳に対し、相手は無言のまま動く気配もない。

 代わりに足元で何かが動いた。


 杷佳が引き留めた人物の腰よりも小さいその二つの影は、最初子供だと思った。

 しかしよく見ると、その影はどこか奇妙だった。

 

「!!!!!!」


 じっくりと目を凝らしてその影に見入った杷佳は、思わず息を呑んだ。

 人の体の首から上にあったのは、ひとつは馬。そしてもうひとつは牛の姿だった。

 

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