第11話

 香苗のことを聞いて、慌てて飛び出し、昼前におずおずと杷佳が勝手口から戻ると、「どこをほっつき歩いていた!」と、仁王立ちになった叔父が立ちはだかった。

 そのすぐ後ろには麻衣と麻希が意地悪な笑みを浮かべ、こちらを見ている。


「も、申し訳…」


 そして杷佳が謝る前に、叔父の平手打ちが飛んできた。


 バチーンと大きな音と共に衝撃が杷佳を襲い、目の前に火花が散って、勢いで土間に尻もちをつき、背中を扉にぶつけた。


「仕事もせずに半日近くもふらふらと、いいご身分だな! 一体誰のおかげで雨露が凌げる生活が出来ていると思っているんだ」


 お腹がせり出し、恰幅のいい体格の智之は、胸の前で腕を組んで倒れた杷佳の胸ぐらを掴んだ。


「も、申し……ござ…ゴホッゴホッ」


 息が詰まり、杷佳はか細い声で謝ろうとしたが、声がうまく出ない。


「お前が仕事をサボったせいで、麻希は支度が整わず、遅刻してしまったのだぞ」

「恥ずかしかったわ」

「麻希、可哀想に…」

 

 そっと袖先で目元を拭う仕草をする麻希を、麻衣が慰める。


「ただでさえ香苗がいなくなって人手が足りないというのに、お前を探すために、麻衣がどれほど大変な思いをしたか…」

「そうですよ。余計な手間をかけさせて…」

「申し訳…ございません」

 

 杷佳は土間の上に正座をして、額を擦付けて謝った。


「罰として、儂がいいと言うまでその場に座っていろ! 水も食事も抜きだ!」


 杷佳の言葉など何一つ聞こうともせず、智之はそう言い放って背中を向けて立ち去った。


「仕事を放り出すから悪いのよ」


 智之が去った後で、麻希が袖を口元に当てながら土間に座る杷佳に近づいてきた。


 本当に泣いていたのかもわからないが、先程の涙は乾き、口角を上げて顔を寄せ、土間に突いた杷佳の手の甲を草履で踏み付けた。


「……」


 痛みに顔を歪め、杷佳は「痛い」という言葉を呑み込んで俯いて耐えた。ここで何か言えば、麻希を調子付かせることがわかっていたからだ。

 しかし、次の言葉を聞いた瞬間、とても平静ではいられなくなった。


「その赤い髪。気味が悪いわね。香苗が死んだのも、お前にかまったからじゃない?」


 はっと顔を顔を上げた杷佳の瞳に、麻衣のにたりとした笑顔が写った。


「バレバレなのよ。気づかれていないと思っていただろうけど、香苗があんたをこっそり助けていたのは知っているのよ」

「こちらが知らないふりをしていたら、つけあがって。ばれないようにコソコソしているのは、滑稽だったわ」


 麻衣もそう言ってクスクスと嘲るように笑う。

 香苗が亡くなったばかりなのに、二人はなぜこんなふうに笑えるのだろう。

 

「お義父とう様からの威光がいつまでもあると思っているのか、私の采配に文句ばかりで目障りだったのよね。クビにするなという遺言がなかったら、とっくに暇を出していたわ」


 忌々しげに麻衣が言う。


「遺言?」


 そんな遺言など知らなかった杷佳は、思わず声を漏らした。


「辯護士の伊東先生に香苗の了承なしに彼女に暇を出したら、三百円彼女に払わないといけないと脅されて、それも出来ないし、歯痒かったのよね」

「首にしなくてもいなくなってくれて、ちょうど良かったわ。私を馬鹿にしていたのがかなりうっとおしかったのよね」


 麻希はまるで何かを追い払うように、肩にかかった髪をパサリと払い除ける。


「そんな…そんなこと…」


 香苗の死をちょうど良いなどと言われ、この場を黙って耐えようとした杷佳は、わなわなと唇を震わせ麻希を見上げた。


「なあに、その目は…私を呪い殺そうとで言うの?」

「まあ、生意気ね。自分がどんな立場か分かってるの?」

「呪い殺そうなんて…わたしはただ…香苗さんのこと…」

「香苗のことを悪く言われて許せないとでも? 私の言動が気に入らないの?」


 更に手を踏む麻希の足に力が入る。


「そ、気に入らないとか…」


 杷佳は奥歯を噛み締め、痛みを堪えながら声を絞り出した。


「まあこれで、あんたのことを庇う者はこの家では一人もいなくなったわけね」

「イタッ…」


 麻希は杷佳の被っていた手拭いを取り、中の髪を引っ張った。


「こんな見かけのくせに、何でも私よりうまく出来るからって鼻にかけて、目障りだったのよね」

「鼻にかけるなんて…わたしは…」

「そのいかにも人畜無害で、何も自分は悪くないみたいな顔をして」


 鼻にかけてもいないし、どんな顔をしているというのか。言いがかりだとは思うが、ここで逆らうのは、麻希の怒りを煽るだけだ。

 杷佳は左頬と土間に突いた手の痛みにひたすら耐えた。

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