第10話

「随分深刻そうなお顔をされていますが、結局、見越様はどのようなご要件でお越しになられたのですか?」


 夕食の箸がなかなか進まない夫を見て、幸恵が尋ねた。

 あの後、もう一服茶を点ててから席を外すように言われた幸恵は、見越が今日ここに来た理由を知らない。

 ひと口運んでは考え込んでいた住職は、ため息と共に箸を膳の上に置いた。


「杷佳さんは、いつ頃帰った?」


 妻の質問には答えず、住職は逆に質問してきた。

 この寺の責任者は照景であるが、住職の妻というのも寺内ではそれなりに責任を負わされている。

 自分と住職、そして今は五人ほどいる住み込みの僧侶や修行中の弟子たちの世話や、帳簿付け、檀家との付き合いなども必要な業務だ。

 特に檀家の婦人方で構成される「婦人会」なるものなくしては、寺の行事はまわらないが、それが幸恵にとっては大変骨の折れるものだと、住職も承知しているので、普段から彼女への感謝の意を口にし、労ってくれる。

 幸恵の実家は遡れば江戸時代は旗本で、武家である。

 質実剛健を常としてきた家風で、性格は寡黙で彼女自身幼い頃から薙刀を習い、茶や花と同様その腕前は師範代である。

 元来、華やかな雰囲気で、「婦人会」の集まりなどは苦手とするところなのだ。

 そんな彼女の苦労を夫も良く理解しており、大抵のことは話してくれるのだが、今回ばかりは口が重い。

 自分の質問に答えないばかりか、なぜ杷佳のことを聞くのだろうと思いながら、彼女はお茶のお代わりを湯呑に注いだ。


「お昼前…でしょうか。ちょうど檀家さんからいただいた干菓子があったのでもたせて帰らせました」

「そうか…」


 しかし住職はそれにも手をつけず、じっと空を見つめている。


「きっと、戻ったら叱責されているだろうな」

「あちらの奥様は、勝ち気でいらっしゃいますから」

「勝ち気…ね」


 それが控え目半分、嫌味半分なことは住職も承知している。

 呉服屋の一人娘だった麻衣は、蝶よ花よと育てられたお嬢様育ち。

 派手好きで見栄っ張りで、武士の娘の幸恵とはまるで相容れない。それは向こうも察しているのか、表立って対立することはないが、二人が顔を合わせる場面は、常に緊張が走っている。

 更に幸恵がかつて杷佳に習い事を教えていて、可愛がっていることを知っているだけに、心象はよろしくない。

 麻希のことも最初は共に教えていたのだが、それは「もっと教え方の上手な方を見つけたから」と、とっくに辞めてしまっている。

 #教え方が上手__・__#なのか、麻希の我儘も寛容に受け止め、#好きにさせている__・__#のかは、甚だ疑問ではある。


「他人様の家内事情には口出さないのがいいのでしょうけど、坊主憎ければの態度は称賛出来ませんわね」


 それは幸恵も心を痛めていたところだ。

 しかし、見越の要件と杷佳の境遇に何の関係があるのだろうと思いつつ、しばらく様子を見ることにした。


「坊主憎ければ…ねぇ」


 自分が坊主なだけに、幸恵のその言い方は通常より刺さる部分がある。


「香苗さんがいなくなったら、あの家はもう、彼女に取っては針の筵のようなものだろう」

「…それは私も案じておりました。しかし…」

「そう。我々にはここで心配することしか出来ない」


 再び重い溜息を住職は吐いた。

 

「あそこにあのまま居るよりは、どこかに出した方がいいのかね」


 それは独り言なのか質問なのかわからず、幸恵は返事を躊躇った。


「出す…とは、どのような理由で?」


 暫く沈黙が続き、ようやく幸恵は自分の答えを待っているのだと気付いた。


「どこかに奉公に?」


 杷佳がタダ働きをさせられ、使用人以下の扱いを受けていることは、香苗からも聞いていた。

 きちんと給金を払ってくれる奉公先でもあればとは、幸恵も思う。

 本当なら働く必要もないのに。それでも働き者だと重宝してもらえれば、御の字だろう。


「いや、奉公というよりは…」


 しかし、住職はそれを否定する。


「嫁入りでも? ですが、杷佳さんのあの身成では…彼女のことを良く知れば、働き者のいい子だとわかりますが、やはり…」


 鬼子と呼ばれる娘を息子の嫁に、そして跡取りの母親にしたいと思う者がいるだろうか。


「そうだな。それにあの子のためとわかったら、ご当主がどう思うか…」


 杷佳のためにと誰かが動けば、智之たちが意固地になって、反対するのは目に見えている。


「今より不幸とわかっている嫁入りなど、言語道断です。それならあの家に居た方がましだと思うでしょう。何しろ、一度嫁に出た者を快く迎えてくれる家ではありませんから」

「わかっている。女は三界に家無しだからな」


 「三界」は仏教で、欲界、色界、無色界、すなわち、全世界のこと。女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。というのものだ。

  

「あの子の境遇を承知で、可愛がってくれるような嫁ぎ先があれば…」

「もしあったら、どうする?」

「え?」


 幸恵としては願望を口にしただけだったが、夫の意外な言葉に、彼女は思わず目を丸くした。

 

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