第6話

 ある日、香苗は麻衣に頼まれた用事のため、朝早くから外出していた。


「え、香苗さんが…」


 杷佳がその話を聞いたのは、次の日の朝だった。


「何でも奥様の御用で出掛けたんたけど、通りを走る自動車に轢かれたそうよ」


 昨日の昼から邸内が騒がしく、その後皆がバタバタしているとは思っていた。

 しかし、誰も杷佳に事情を説明してくれる者がいなかった。

 今朝になって香苗の姿を見かけないため、下働きの春に思い切って尋ねてみたところ、そのようなことを聞かされたのだった。


「そ、それで…香苗さんは?」

「詳しいことはわからないけど、亡くなったって聞きましたよ」


 あまりの話に、杷佳はまるで雷にでも撃たれたかのような衝撃を受け、その場を動けなくなった。

 

「そ、そんな…」

「うちらだって、驚いてます。香苗さんがいなくなったら、誰がここの奥を采配するのか。皆、香苗さんには良くしてもらってました。あの人使いの荒い奥様たちだけでは…」

「杷佳、杷佳はどこにいるの?」

「やばい、奥様だ」


 麻衣の声を聞いて、春は杷佳からさっと離れて行ってしまった。


「杷佳、いるならさっさと返事をしなさいな!」


 間一髪春は麻衣が現れる前に雲隠れし、麻衣は呆然立ち尽くす杷佳の姿を見て、怒鳴り散らした。


「ほら麻希がもうすぐ起きるから、早く支度を…おや、その顔はどうしたの?」

「か、香苗さんが…」

「香苗? ああ、そう言えばお前に言ってなかったね。香苗は昨日自動車に轢かれて死んだわ」


 まるで天気の話でもするかのような、何の感情も籠もっていない口調で、麻衣は香苗の死を杷佳に告げた。


「そんな…どうして…」

「だから自動車に轢かれてって言っているでしょ、頭だけでなく耳も悪くなったの?」

「香苗さん…」

「本当にこっちも大変だったわ。でも、相手が華族様でたっぷり見舞金もくれて、全部面倒見てくれるって言うから、助かったわ。お陰でうちは一銭も出さなくても済んだし、華族様とお知り合いになる機会が出来て…」

「香苗さんは、今はどこに?」


 麻衣は杷佳の質問に答えず、関係ないことを話し続ける。


「実家は遠いから火葬して遺骨にして帰すでしょうね。室生家の菩提寺の興得寺よ。それより、早くしなさい麻希が、あ、ちょっと杷佳!」


 香苗が興得寺にいるとわかると、杷佳は麻衣の話を無視して走り出した。


「杷佳、どこに行くの、待ちなさい!」


 叫ぶ麻衣の言葉など耳に入らず、自分の部屋へと掛けていき、行李こうりの中から巾着を取り出すと、そのまま外に飛び出した。

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