第2話
麻希と杷佳は、杷佳の方が一年早く生まれた従姉妹同士だ。
杷佳が今年十七歳。麻希が十六歳になる。
室生家は江戸時代に薬種問屋として商いを始め、今も老舗の問屋としてそれなりに羽振りをきかせている。
先々代の杷佳たちの曽祖父は、特に商才があり、この帝都の政財界でも一目置かれるほどの大店に成長した。
その後継ぎの先代、長治郎もそれを継いで、室生家はかなりの資産を得たが、ある事件が起こり、身代は傾きかけた。
「今日の髪型はいかがしますか?」
着替えが終わり、杷佳は鏡の前に座る麻希に尋ねた。
「そうね。マガレイトにして。この前お父様が舶来から取り寄せた色違いのリボンでね」
「畏まりました」
麻希の後ろに膝立ちになり、黒髪に柘植の櫛で梳いた。
耳の位置辺りで横の髪を後ろに回して結び、首の後ろでもう一度結んでそこから三編みを作る。出来た三編みを丸めて、輪を作り、ひとつにまとめる。最初に纏めた所に赤色を、下の場所に黄色の幅広リボンを結んだ。
杷佳の手は荒れてガサガサだったが、手先は器用なため、麻希はいつも彼女に髪を結わせる。
しかし彼女の場合、意図はそれだけではないだろう。
少し釣り上がった大きな目の、溌剌とした美少女の麻希だが、緑なす黒髪、濡羽色の黒髪は彼女の自慢だ。
それは杷佳にはないものだった。
「痛い!」
「も、申し訳ございません」
「痛いじゃない! 気をつけてよ」
「す、すみません…」
櫛がひっかかり、髪を引っ張ってしまった。力を入れてはいなかったが、麻希は櫛を持った杷佳の手の甲を思い切り引っかいた。
手の甲に爪の跡が走る。
「わざとでしよ」
「そ、そんな…違います」
ずきりと痛むのを堪え、言い掛かりに杷佳は否定した。
「ふん、どうだか…自分にはないものを羨んで、嫌がらせじゃないの?」
「そんなこと…違います」
「お前の父親は一体どこの馬の骨なのかしらね。その髪、本当に鬼子ね」
杷佳は物心ついた頃から何度も陰で言われてきた言葉に、唇を噛みしめる。
父親がどこの誰か。
それは杷佳自身が一番知りたい。
白い手拭いで覆い隠した杷佳の髪は、黒ではなく赤茶色だった。
髪質も麻希のように真っ直ぐではなく、緩く波打っている。
それが杷佳が忌み嫌われ、鬼子と呼ばれる原因のひとつだった。
「ほら、なにやっているのよ、早くしてくれないと、遅刻してしまうわ」
「は、はい」
また失敗しないよう、注意しながら杷佳は髪結いを続けた。
「終わりました。これで宜しいでしょうか」
ほつれ毛がないか念入りに確認して、杷佳は声をかけた。
「まあまあ…ね」
合わせ鏡で出来栄えを確認し、麻希はそう言った。
麻希が人を誉めることは殆どない。自分のことは褒めろと言うが、彼女の口から出るのは人の悪口ばかり。
自分を正当化するのが上手で、周囲をうまく丸め込む。
いつも仲良くしている女学校の級友たちのことも、安物しか持っていないだの、食べ方が下品だの、家の格が低いだの、どんなに着飾っても元があれでは金の無駄などと、家では悪し様に言っている。
なので、麻希の「まあまあ」は及第点と言える。
「朝日奈家の撫子さんも、こんなリボンお持ちではないでしょうね」
父親が舶来から取り寄せたという生地で出来たリボンを眺め、麻希は満足気に微笑んだ。
杷佳は実際に見たことはないが、朝日奈撫子も麻希の級友の一人だ。特に麻希とは交流はなく、あちらは子爵家で、また別の派閥に属しているらしい。
麻希が話している内容によると、母方は公家の血筋ということで、かなりの美人だと言う。
しかしそれを鼻にかけ鼻持ちならないというのが麻希の意見で、皇族とも知り合いだというのを自慢して回っているということだ。
家に級友たちを招いた時も、話題は大抵撫子への嫉みが中心だ。
恐らくだが、麻希に取って朝日奈撫子は目の上のたんこぶで、自分にないもの、家柄や高貴な血筋を持ち、見目も良いことが癪に障るのだと思う。
「失礼します。麻希お嬢様、朝餉の用意が出来ました」
ちょうど支度が整った時、女中頭の香苗がやってきた。
「今行くわ」
その声にすっと麻希は立ち上がる。
「杷佳、あんた勝手口の掃除がまだ途中だったよ。それが終わるまで朝餉は食べられないからね」
麻希の部屋にいる杷佳を見て、香苗が厳しく叱責する。
「す、すみません、香苗さん、今すぐに」
「ほんとうにグズだねぇ。おや、その額どうしたんだい?」
香苗が赤くなった杷佳の額を見て尋ねた。さっき麻希に箱枕をぶつけられたところだ。
「こ、これは…走っている時に柱にぶつけて」
本当のことは言えず、杷佳はそう言って誤魔化した。
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