第38話

「いやああ」


 柊椰が何か言った気がしたが、足を包む炎に気を取られて杷佳はそれどころではなかった。必死で炎を消そうと足をブンブン振り回す。


「落ち着け杷佳、この火で人間は火傷をすることはない」


 柊椰が杷佳の肩を掴み、揺さぶった。


「え」


 動揺する杷佳の注意が柊椰に向き、彼の言葉が耳に入ってきた。

 

「これは浄化の炎だ。すぐに消える」


 そう言っているうちに、本当に炎は小さくなり、やがて消え失せた。


「火傷…していない」


 念のため足首を触ってみたが、火傷などどこにもない。


「そう言っただろう」

「でも、は」


 そう言って、杷佳は炎に包まれた異形の方を見た。


「ない」


 そこにあった筈の二体の姿はどこにもない。


「あれは牛頭と馬頭が運び去った」

「どこへ?」


 いくら足首に気を取られていたとしても、気がついてもいいくらいだ。だが杷佳は二人があの物体を運んだことに、まったく気づかなかった。


「あれは亡者だ。本来は地獄にいるべき者達。だから牛頭達が冥府へ運び去った」

「亡者…地獄、冥府?」


 杷佳は当然の如くそんな言葉を口にする柊椰を見た。


「まさかここまでやってくるとは。怖かっただろう?」


 柊椰が戸惑う杷佳の頭を、優しくあやすように撫でる。


「あ、あれは…亡者?」

「本来なら大叫喚だいきょうかん地獄にいるべき者達

大叫喚だいきょうかん地獄?」

「殺生、偸盗ちゅうとう邪淫じゃいん、飲酒、妄語の罪を犯した者が落ちる地獄だ。そこで釜ゆでにされ、熱した針で抜かれていたはずが、獄卒の目を盗んで逃げた亡者だ」

「釜ゆで…」


 想像して、恐怖のあまり杷佳は身を震わせた。


「若様」

「戻ったか」


 いつの間にか牛頭達が戻って来て、柊椰に声をかけた。


「それで、奴らは?」

「灼熱地獄へ」

「次の地獄か。生ぬるい気もするな。阿鼻地獄にでも行ったかと思ったが」

「順番があるからって、閻魔大王が」

「まあ、そう言うだろな」


 牛頭の言葉を聞いて、柊椰は不満げにふんと鼻を鳴らした。


「それと、もう今夜はいいって」

「お嫁様、大変だった」

「なかなか粋なことを」


 しかし馬頭がそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。


「それからね。若様の仕事のこと、話してもいいって」

「どういう風の吹き回しだ?」

「お嫁様、狙われた。教えないとだめだって」


 三人の目が、杷佳に向く。六つの目に見つめられ杷佳は緊張する。


「そうか。わかった。では、また明日の夜に」


 柊椰がそう言うと、二人は杷佳に向かってぺこりと頭を下げた。


「さようなら、お嫁様」

「え、ええ。またね」


 二人は庭の奧へと歩いて行き、闇に紛れて立ち去った。


「さて、杷佳。立てるか?」


 柊椰が振り返って、杷佳に手を伸ばした。


「は、はい。あれ?」


 そう言って立ち上がろうとしたが、力が入らず立ち上がることが出来なかった。


「どうした?」

「あ、あの…腰が」


 腰が抜けてしまったようで、力が入らない。


「そうだろな。手を貸そう」


 クククと笑った柊椰は杷佳の膝裏と腰に手を添え、ぐっと彼女の体を持ち上げた。


「と、柊椰様!」

「じっとしていろ。暴れると落ちてしまう」

「で、でも」

「腰が立たず、歩けないのだから、こうやって運ぶしかないだろう?」

「で、でも、重い」

「これくらい造作ない。むしろ夫として、こうすることが夢だった。ここまで回復したことを、喜んで欲しいな」


 確かに病弱なままだったら、彼本人が立ち上がることも難しかっただろう。それが杷佳を抱き上げるまでに力を得たのだ。恥ずかしいからと拒むより、そのことを嬉しく思うべきなのだ。


「眠くはないか?」


 敷いたままの布団に下ろすと、柊椰が尋ねた。


「はい」


 眠気など、さっきのことが脳裏に焼き付いて、どこかに吹き飛んでしまった。


「そうか。では、水を一杯もらえるか?」

「はい」


 少し落ち着いたのか、何とか体を動かして茶瓶から湯飲みに水を注いで渡した。

 彼がそれを飲み干すのを、杷佳は側に座ってじっと眺めた。


「さっきのあやつらが何なのか、私が何をしているのか、許可が出たので今から話す。わかっているだろうが」

「もちろん、誰にも言いません」


 彼が言う前に、杷佳は先にそう言った。


 

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