第33話 有沢彩嘉の報復①

 少女は屈んで空き缶をまじまじと見つめた。


 なぜこんなところに空き缶が置いてあるのだろう。

 誰かがカンケリでもやっているのだろうか。

 もし自分がこの缶を蹴ったら、鬼はどんな顔をするだろう。


「えいやっ!」


 少女は空き缶を蹴っ飛ばした。


「痛っ!」


 将ちゃんの頭に当たった。

 頭を押さえた将ちゃんが少女の方を向く。そして睨む。


「あわわわ、将ちゃん!」


「またおまえか!」


「わざとじゃないもん! 勝手に当たった将ちゃんが悪いんだもん!」


 少女は実琴みごと華羅礼かられ。いつも将ちゃんに手を出しては報復され、泣きながら帰っていく少女。


「報復!」


 将ちゃんにとって、今日は代償の報復禁止が解かれたまさにその日である。

 そして記念すべき第一号が馴染みの報復相手、実琴華羅礼であった。


「鬼だぁーっ!」


 華羅礼は走って逃げた。

 将ちゃんが鬼の形相で追いかける。


「将ちゃん! やめなさい!」


 そう叫ぶのは高嶺野たかねの緒花おはな。将ちゃんを後ろから追いかける。将ちゃんに報復をやめさせようと考えているのだ。


「報復の邪魔をするとお姉さんも許さないよ」


「報復なんてお姉さんが許しません!」


 華羅礼を将ちゃんが追いかけ、将ちゃんを高嶺野が追いかける。身長順かつ年齢順の並び。

 しかし前との距離を縮めるのは将ちゃんだけである。


「お嬢ちゃん!」


 曲がり角の向こうから誰かが手招きしている。

 華羅礼はその手の方へと走った。


「お姉ちゃん、助けてくれるの?」


 屈んで華羅礼に目線の高さを合わせ、両肩を掴む。

 そのお姉ちゃんと呼ばれた女性は有沢ありさわ彩嘉さいかであった。何でも屋の阿木館あきだてあらたの助手である。


「残念ながら私には将ちゃんを止められないわ。でも、あっちにいるあのお爺さんはね、将ちゃんのことをよく知っているらしいの。だから、あのお爺さんに助けてもらうのよ。ほら、将ちゃんが来る。早く行って!」


 有沢が華羅礼の両肩をポンと押してやると、華羅礼はそちらの方向へと走った。T字路の反対側へと直進する。

 華羅礼は杖をつくお爺さんの前に辿り着き、同時に将ちゃんが華羅礼に追いついた。


「お爺さん、助けて!」


 将ちゃんが華羅礼ににじり寄るが、華羅礼はお爺さんの後ろに隠れる。

 お爺さんは自分にしがみつくその幼い少女を振り払おうとしていた。


「ワシは知らん」


「お願いです。助けてあげてください」


 高嶺野が追いついて祈るようにお爺さんに懇願する。


「邪魔するの? ねえ、報復の邪魔をするの?」


「せん、せんよ、邪魔なんて!」


「でもお爺さん、邪魔だよ」


「こら、離せ。なんでおまえさんの代わりにワシが報復を受けねばならんのじゃ」


 お爺さんはついには暴れだした。

 しかし、そのお爺さんの腕を掴む者がいた。将ちゃんではない。


「そう言わず助けてあげてよ、お爺さん!」


 有沢である。

 もはや三対一だか四対一だかで、お爺さんはかなり追い詰められていた。

 しかし有沢の狙いはそこではない。


「あれ? 何これ。お爺さんの腕、ペンキが付いてるわ」


 有沢がお爺さんの手を離し、自分の手のひらを広げてみた。

 黄色いペンキがベッタリとくっついていた。


「あ、将ちゃん。将ちゃんのオデコにも何か付いてるよ」


 有沢が将ちゃんのひたいに手を伸ばす。もちろん、お爺さんの腕を掴んで汚れていないほうの手。

 将ちゃんは額を触られた程度では報復の意思を示さなかった。


「あ、ペンキだ。お爺さんの腕に付いていたのと同じペンキだ。なんでだろう。お爺さんの触ったものが、何かの拍子に将ちゃんのオデコに当たったのかしら」


 有沢のわざとらしい口調。お爺さんは当然ながら彼女の意図に気がついた。


 有沢は自分の手にペンキを付けておき、その手で触れることで腕と額にペンキを付け、逆に腕や額からペンキが手に付いたフリをしたのだ。

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