第6話 天の御人

「ニッポン国を買ったらここもワシの土地になるのかえ?」


「そのとおりでございます、我らが天の御人よ」


 天のオヒトと呼ばれたその男は、外国の貴族であった。

 天の御人と呼ばれてはいるが、紛れもなく地球という土地に生まれ住む一人の人間である。天界人や宇宙人といったたぐいの者ではない。どこぞの国王でもないし、その親類などでもない。

 ただ単に、国を一つ買えるほどの超大金持ちの貴族というだけのことである。


 天の御人は豪奢な純白の衣装にジャラジャラと貴金属やら宝石やらを全身に散りばめて、馬に揺られながらゆっくりと前進している。

 その両脇では合計十の屈強な兵士たちが護衛を務めている。今日は雲が出ていて、武装した兵士の仕事も気候的に少しは楽であった。


 天の御人は日本を購入先の候補の一つとして選んだ。

 まだ購入はしていない。しかし、購入を前提に視察をおこなっている。


「薄汚い土地であるな。物も人も汚い。ワシの庭にふさわしくない」


おっしゃるとおりでございます、我らが天の御人よ。さすれば、この領域だけ非購入といたしましょうか?」


「馬鹿者が! 足!」


 天の御人がそう叫ぶと、叱られた兵士の左足を別の兵士が槍で突き刺した。


「言葉に気をつけれ。ワシが島を買うと言ったら例外なく買うのじゃ。足のおまえ、それが分かったら遅れずついてくるのじゃぞ」


「承知致しました、天の御人よ……」


 兵士は痛みに顔を歪ませながらも、主を仰ぎ見るときにはそれを覆い隠すよう努めた。


 天の御人はさらに前衛の者に申しつけた。


「目障りなるものはすべて排せ。我が進路に足を踏み入れたるは罪。例外なく処刑せよ」


 貴族の闊歩かっぽを野次馬していた人々はそそくさとその進路から立ち退いた。

 多くの者がその貴族の視界にすら入らない場所へと避難した。


 しかし、彼だけはやはり動かない。


 丘南杉おかなすぎしょう。将ちゃん。


 高嶺野たかねのが将ちゃんの腕を引いて必死に逃げようとするが、将ちゃんはガンとして動かない。


「なんぞ、こやつ! 足のおまえ、かつてこれほどまでに罪深き人間を、おまえは見たことがあるかえ?」


「いえ、ございません」


「そのとおりである。これより絶対の勅命ちょくめいを下す。ここにそろいぶむすべての槍をもって、あの二人に刑を執行せよ」


 天の御人の護衛を務める十人すべてが、彼らの護衛対象の元を離れて将ちゃんに飛びかかった。


 いよいよ危機と高嶺野が勢いよく将ちゃんの腕を引く。

 ようやく将ちゃんの体が傾いたが、その瞬間に一兵士の槍が将ちゃんの右肩を掠めた。高嶺野が腕を引かなかったら確実に突き刺さっていた。


 だが彼は将ちゃん。報復の将ちゃんなのだ。


 将ちゃんはその場に落ちていた石ころを兵士に向かって投げつけた。

 石は兵士のひたいに命中した。兵士は面食らったが、ただそれだけである。

 兵士はよりいっそうの殺意をあらわにして将ちゃんに槍を振る。


「逃げるのよ。将ちゃん! 死んだら元も子もないでしょ!」


 高嶺野が再び将ちゃんの腕を引く。


 動いた。


 今度は将ちゃんも高嶺野に従った。

 高嶺野自身も驚いたが、将ちゃんの言葉を聞いて納得する。


「死ぬのは困る。報復できなくなる」


 将ちゃんはどこまでいっても報復の将ちゃんであった。

 彼の行動を逃避に切り替えさせられたことは高嶺野にとって大きな成果である。あのままでは自分も死んでいた。将ちゃんを見捨てて自分だけ逃げるわけにはいかない。高嶺野は決してそんなことをする女性ではない。


 当然、兵士は全員が将ちゃんたちを追った。

 足は兵士たちのほうが速い。二人はあっという間に追いつかれたが、追い詰められた先は将ちゃんの自宅であった。

 将ちゃんは高嶺野の腕を捻じれるくらい強く引いて家に入り、鍵もかけずに奥へと逃げ込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る