第二章 最強の厳兄さん

第5話 実琴華羅礼と高嶺野緒花

 丘南杉おかなすぎしょうに手を出したら必ず報復を受ける。


 しかし、報復を受けることが必ずしも死に直結するとは限らない。


「あ、見つけたよ、将ちゃん! この前の恨み!」


 将ちゃんの元へ走ってきた少女は実琴華羅礼。姓がミゴト、名がカラレ。十二歳。


 フリフリが付いた桃色のミニスカートに白いブラウス。真っ赤なランドセルを背負っているが、中には何も入っていない。早く走るためらしい。


 彼女は将ちゃんの背中を思いきり殴りつけた。

 清々しい晴れの日。彼女の心も晴れやかであった。


 しかし、当然ながら将ちゃんから報復を受ける。

 天気はずっと晴れていても、華羅礼の心が晴れるのは一瞬だけ。将ちゃんは華羅礼の頭を加減なしに叩いた。

 華羅礼はあまりの痛さにわんわんと泣き出し、涙を延々と拭いつづけながらトボトボと帰っていった。

 華羅礼は将ちゃんに手を出しても死なない。それは死につながる報復を受けるほどの攻撃ができないからである。


 一発殴り返されれば泣きながら帰っていく。それが実琴華羅礼であった。


「こら! また泣かせたわね? 駄目でしょ、あんな小さな女の子を泣かせちゃ」


 そしてもう一人。

 彼女は報復を受けない。将ちゃんに対してお節介な態度を取るが、手は出さないから報復を受けることもない。


 彼女の名は高嶺野緒花。姓がタカネノ、名がオハナ。


 水色のロングスカートに白いブラウス。まるで華羅礼とは歳の離れた姉妹であるかのようだが、まったくの他人である。彼女には清潔感という言葉がよく似合う。


「攻撃してきたからやり返しただけ。それにそんなに小さい女の子でもない」


「攻撃されてもやり返したら駄目!」


「攻撃されたら必ずやり返す。だって僕は丘南杉将だもの」


 将ちゃんは、なぜ、とは訊かない。どんな理由を聞いても報復する意志は変わらない。高嶺野がどんなに納得のいく理屈を並べたとしても関係ない。


 やられたらやり返す。それは絶対である。


「もう、あなたって子は……。何を言っても無駄みたいだから、あなたを見張っていて仕返ししようとしたら力ずくで止めるしかなさそうね」


 高嶺野は頭を抱え込んでいる。さっきのように言ったものの、丘南杉に張りついていては逆に自分の行動が縛られて何もできない。


 彼女のような真っ当に働く人間は暇ではないのだ。今日はたまたま休暇だっただけ。


 仕方がないので、今日だけでも将ちゃんを見張っていようと考えた。


 そのとき――。



 ガシン。



 それはとある擬態語であるが、何を表しているのかというと……。


「ちょっ!」


 将ちゃんは高嶺野の胸を下からガッシと掴んでいた。将ちゃんの頬が彼女の右手によってバシンッと叩かれる。


 報復はなかった。


 これに対しては、将ちゃんも覚悟の上で自分からおこなった悪戯いたずらなので報復はしない。自分から手を出しておいて報復された場合には、報復はしないと決めているのだ。


「駄目でしょ! あなたが思春期の男の子で、女性の体に興味があるのは分かるけど、でもね……」


「べつにそういうわけじゃない。こんなことをしたらお姉さんがどんな表情をするのか、それを見たかっただけだよ。それともう一つ。どれだけわずかな時間で相手を怒らせられるか、それについても興味があったんだ。現に、このまえ近所の子供に馬鹿と四回言ったときよりも早く怒った」


「もっと駄目! もっと……? もっとかどうかはともかく、どっちも駄目なの!」


 いまだ自分の胸を力強く掴んでいる将ちゃんの腕を引き剥がし、ため息をつきながら頭を振った。


「とにかく、私より若い子にそんなことしちゃ駄目よ。女の子は傷つきやすいんだから」


 高嶺野は自分だってまだ若いのに、などと内心でつぶやく。

 彼女は現在、十九歳である。


「年上ならいいの?」


「駄目!」


 高嶺野は喋るだけ疲れるので、しばらくは口を開かないことにした。


 将ちゃんといれば疲れる。

 しかし、先ほど決意したことは実行する。将ちゃんが報復行動をしないよう見張っているのだ。


 将ちゃんは尾けまわされても高嶺野を鬱陶しいとは言わなかったし、そんなそぶりも見せなかった。

 手を出されたらやり返す。手を出されなければ何もしない。それが丘南杉将。将ちゃんである。


 しかし、彼も一人の人間。報復に絶対の執念を燃やすからといって、不死身な体を持っているわけではない。


 その性質が顕著に表れる事件が起こった。

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