第2話 浜瀬裕と針山小枝②

 浜瀬はかつて、ルールに縛られた社会から少しでも遠ざかろうと暴走族に入った。

 しかし、暴走族には暴走族のルールがあった。ルールを犯せば制裁が待っている。一般社会となんら変わりない。

 だがここは違う。極端な話、人を殺そうとも自分を裁こうとする人はいない。警察は枕木町を恐れて入ってこられないのだから。


「そう、ここは俺のためにある町だ!」


「え? 何の話?」


 浜瀬が突然叫んだので、針山が驚いて立ち止まった。


「ああ、いや、独り言」


 浜瀬が照れるようにそう言ったとき、浜瀬のすぐ横を何かがかすめた。



 カッシャーン。



 その音を目で追いかけると、褐色の植木鉢が割れて菊の花と土がこぼれていた。


 浜瀬は陽光の直射と格闘しながら天を見上げた。


「あいつ!」


 ビルの屋上からさっきの将ちゃんが顔を出していた。

 その顔がすぐに引っ込む。そうかと思ったらすぐに出てきた。

 両手に菊の花が植えられた植木鉢が抱えられている。それはなんの躊躇もなく、浜瀬に向けて落とされる。いや、投げつけていた。


 浜瀬は針山を連れて慌ててビル内に入り、植木鉢を回避した。


「あいつ、いつの間に。さっきすぐそこでノビていたはずなのに」


 ビルからはみ出さないように来た道を覗き見ると、さっきノビていた将ちゃんはもういなくなっていた。


 浜瀬が将ちゃんをボコボコにしてからいまに至るまで、ほんの少しの時間しか経っていない。

 いま、あの将ちゃんがビルの屋上にいるということは、将ちゃんは殴られた後すぐに立ち上がり、裏側からいまいるビルへと回りこんで、さらに屋上まで上がったということだ。


「チッ、やりすぎたと思ったが、ぜんぜんだ! 殴り足りなかった!」


 植木鉢に怒り心頭なのは浜瀬だけではなかった。

 針山も殺意を剥き出しにしていた。へたをしたら自分が死んでいたのかもしれないのだ。自分は将ちゃんに何もしていないというのに。


「ぶち殺してやる!」


「やっちゃって!」


 浜瀬は階段を駆け上がった。

 ここは廃ビルでエレベーターは機能していない。自分たちが屋上へ向かえば、将ちゃんは必然的に追い詰められる。逃げ道はない。


 浜瀬は舌なめずりをしながら屋上の扉を開け放った。

 床が濡れていて滑りやすい。ヌルッとしている。

 そういえば階段もヌルッとしていて危なかったが、屋上に辿り着いたいまとなってはどうでもいいこと。とにかく将ちゃんを探した。


 いない、いない、と辺りをキョロキョロ探しまわった。


「いた!」


 針山が発見し、浜瀬の視線が針山の指先を辿る。


「あぁ?」


 将ちゃんは隣のビルの屋上にいた。


 将ちゃんは梯子はしごを抱えている。梯子で渡ったのだ。

 梯子はもう取り上げられていて浜瀬たちには追いかけられない。跳んで渡れる距離ではない。


「くっそ、舐めやがって!」


 浜瀬が地団駄を踏んでいると、将ちゃんはポケットから何かを取り出した。


 ライターだった。


「そっちの一面に広がっているのはね、ガソリンだよ」


 将ちゃんはそう言ってライターを着火し、浜瀬に向かって投げつけた。


 咄嗟のことで混乱したが、先に状況を理解した針山がライターをキャッチしようと駆け出した。

 しかし取り損ねて上へ跳ね上げてしまう。針山に遅れて状況を理解した浜瀬がライターをビルの外へと叩き落した。


 浜瀬と針山、二人のひたいには粒のような汗が浮き出ていた。


「ガキ……おいガキ!」


 二人は危うく火達磨ひだるまになって焼け死ぬところだった。

 子供の悪戯いたずらや冗談じゃ済まされない。

 浜瀬は自分の心の中の何かが完全に切れたことを感じた。


「許さねぇ。ガキ、テメー、絶対に殺すからな!」


「15、14、13……」


 将ちゃんの謎のカウントダウンを無視し、浜瀬は急いで引き返し、階段を駆け下りた。

 途中、濡れた床に滑って転倒するが、打撲を重ねつつもついに地上へと戻ってきた。


 辺りに将ちゃんはいない。

 さっき見た梯子の長さではこのビルと隣のビルを行き来するのが精一杯。自分が隣のビルを上がり、針山がここで待ち伏せすれば挟み撃ちにできる。


「小枝、おまえはここを見張っていろ。いいな」


「分かった」


 浜瀬は走りながら針山に指図し、ビルから飛び出した。


 そのとき――。



 カッシャーン。



 浜瀬の頭に菊の植木鉢が直撃した。


「ゼロ。ジャストだったね」

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