第七章 ブラックボックス

第30話 黒箱災禍①

 有沢ありさわは歩いていた。


 この道はあのときの道だ。

 空き缶を蹴って将ちゃんにぶつけてしまった道。

 この日がきっかけで有沢はこの枕木町に居つくことになった。


 それまでは普通の女子高生だった。

 高校に通っているはずの娘が高校にも行かずにフラフラ危険な町を歩いていることを両親が知ったら愕然とするだろう。


 高校は放任主義というか、無責任を極めたような高校だったので、学校をサボっても両親へ連絡がいかない。

 三月になって「おたくのお子さんは卒業できませんよ」なんて連絡がくることも過去何度もあったらしい。

 そんなことになったら教育委員会だとか、何かそういう機関的なものが黙っていないだろうに。


 しかし高校はなぜか無事で相変わらずなのである。

 きっと裏に何かある。有沢にはどうしてもそういう結論にしか辿り着けなかった。


「あいたっ!」


 有沢は誰かにぶつかった。幸いなことに、将ちゃんではなかった。

 老人だった。背筋が弓なりに曲がっていて杖をつく老人だった。髪も髭も白いが、どちらもふさふさである。


「あ、ごめんなさい」


 老人は尻餅をついていた。

 だが、ムクッと起き上がってズシズシと勢いよく有沢に近づいてくる。


「痛いわ、ボケ!」


 老人が杖で有沢の足の甲を叩いた。

 だがそれだけで終わらない。横からふくらはぎをバシバシ叩き、有沢が背を向けて逃げようとしたところに最後の一撃が入る。

 最後はお尻にホームラン級の一発が叩き込まれた。


「いったーい! ちょっと、そこまでしなくてもいいじゃない! 報復のレベルが将ちゃんの比じゃないし!」


 もしや丘南杉家のお爺さんかと思ったが、以前、阿木館に聞いた話では、丘南杉家の両親はすでに他界していて、ほかに親族もいないとのことだった。

 報復兄弟が全員殺してしまったのではないか、と阿木館は予想していた。


「あんなケダモノと一緒にするでない。年寄りは大切にせんか!」


「将ちゃんよりよっぽどケダモノよ、アンタ。年寄りにしても、大切にするには元気すぎるわよ!」


 老人はつばを吐いてスタスタスタと去っていった。


 有沢は最高に不機嫌になった。

 大声でなんの脈絡もなく笑いたくなるほどイラついていた。


「なによ、まったく。またこんな所に空き缶なんて置いて!」


 以前と同じ場所に空き缶が立っていた。しかも今度は三つ積み重ねてある。


「誰かが蹴って将ちゃんに当たったら危険でしょうがっ!」


 有沢は三段重ねの空き缶を思いっきり蹴っ飛ばした。


 足が痛かった。一段目が空き缶だから三段とも空き缶かと思いきや、二段目だけ中身が入っていた。

 しかし位置的に最もクリーンヒットするのが二段目。中身が入っていて重いにもかかわらず、素晴らしい円弧を描いて飛んでいった。


「あ……」


 前に人影が現れた。あのときとまったく同じ。タイミングよくビルの陰から人が出てきてしまった。


 将ちゃんかと思ったが、幸い将ちゃんではなかった。

 いや、幸いではなかった。


「あ、あ、あれは……厳兄さん!」


 阿木館によると、将ちゃんは素直に報復を受け入れれば加減してくれることもあるそうだが、厳兄さんは容赦がない。

 しかも中身が入っている缶ジュースは鈍器そのもの。


「当たった……」


 厳兄さんはビクともしなかったが、進路を当然のように有沢の方角へと変えた。


 有沢は学習したため逃げはしない。

 膝をついて厳兄さんに体を差し出した。


「あの、ごめんなさい! わざとじゃないんです」


「報復絶対!」


「分かってます。あの、私、殺されます?」


「そこまでではない」


 厳兄さんの張り手が有沢の頬を叩く。

 有沢は吹っ飛んで地面を数メートル滑った。


 だいぶ痛かった。


 厳兄さんは報復を終えて変わらぬ歩調で帰っていった。

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