第16話 将ちゃんの遠征と尾小田信治②

「黙ってやられると思うなよ!」


 待ち構えていた逃亡者は懐から大きいサバイバルナイフを取り出した。将ちゃんに向けて姿勢を低く保つ。

 逃亡者は将ちゃんに向かってナイフを動かし、近づくなと暗に脅す。


 しかし、ナイフは横を向いた。

 逃亡者の警戒が、前方一点から周囲360度へと広がった。


 警戒対象が将ちゃんだと認識できない。

 将ちゃんのことは、凶器を持った危ない奴が近くにいるのに自分に近づく邪魔な奴、そういう認識でしか存在を脳に認めさせることができない。


「いたああああ! ぐあっ! ぐっ!」


 将ちゃんは逃亡者のひたいを石で殴打した。

 倒れ込んだところに、頭蓋をカチ割らんばかりの勢いで何度も頭頂部を殴打した。


 警官が慌てて逃亡者に駆け寄る。


 将ちゃんの腕に手が伸びる。それはまるで暴走する機械を止めようとしているような動き。

 将ちゃんを傷害の罪人として認識することができない。逃亡者に怪我を負わせる危険な物体としてしか認識できない。


「報復の邪魔したね」


 将ちゃんは自分の腕に手を伸ばした警官の頭も殴打した。


 警察署は怒涛の混乱に見舞われた。


 負傷者8名。死者3名。

 大事件である。


 だが将ちゃんが能力を駆使したため、誰も将ちゃんを認識することができずに事件は迷宮入りしてしまった。

 警察署のロータリーに血の飛沫が大量に飛んでいながらの迷宮入りなど、前代未聞だった。


 将ちゃんは悠々と枕木町へ帰っていく。

 彼が枕木町に戻っていちばんにすることは、阿木館に報復我慢券を渡すこと。


 枕木町に入るまでは能力全開で行くためよく人にぶつかる。その場合にも例外なく報復はおこなう。

 将ちゃんが絡む事件には、ほぼこのような二次被害がともなう。


 本日の負傷者13名。死者4名。


 認識解脱能力は将ちゃんを警察の手から逃れさせるだけでなく、いたずらに犠牲者を増やしてしまう。

 社会にとっては大悪。

 将ちゃんにとっては単なる便利な能力。


 将ちゃんはこの認識解脱能力を戸北宮環斗から授かった。


 もちろん、そのためには代償を払う人がいなければならない。それも代償を払いますという意思表示をしてくれる人が。


 尾小田信治。

 姓がオコタ、名がノブハル。

 将ちゃんの友人だった少年。


 将ちゃんは尾小田と取引した。互いに環斗君に願いを叶えてもらうための代償を払うと。


 将ちゃんは「能力を行使した相手に認識されなくなる能力」を得て、尾小田が「決して誰とも親しい間柄になれなくなる」代償を払った。

 尾小田が「誰からも攻撃されない存在になる」願いを叶えてもらい、将ちゃんは「やたらと人に絡まれるようになる」代償を払った。


 以前、阿木館が有沢に語っていたBクラスの候補というのが尾小田信治である。

 彼は誰からも攻撃されない存在になったため、無敵と言っても過言ではない。あの丘南杉おかなすぎごんからも攻撃されないのである。


 阿木館がBクラスに入れようと思ったのは、尾小田に他者への攻撃的意思が感じられないから。

 彼が無差別殺人なんかを企てれば、それはもう恐ろしいことである。

 彼は他人を攻撃できるが、誰も彼を攻撃できない。


 ただし、懲らしめたり報復したりする手段は攻撃以外にも存在する。

 痛みをともなわない方法で拘束するか、あるいは彼の留守に家を焼く。

 環斗君に願って彼の能力を消すことも可能。

 難易度が高いものでは、彼を完全に孤立させて生きていけなくする方法もある。


 ともあれ、尾小田信治は愚直な報復兄弟に対しては相性がいいだろう。


 結局のところいちばん恐ろしいのは、そのように危険人物をも生み出してしまう戸北宮環斗かもしれない。

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