幽鬼妃

「ねぇ、見て頂戴」


 庭園の真ん中。

 色とりどりの蝶が池の上を舞っている。

 

 一見、美しい姿を持つ蝶の群れ。

 見る者に癒しを与えてくれる存在だ。

 だけど、よくよく見てみれば、彼等が行っていることは蜜の奪い合いである。


 私を含めた、庭園の中で花を眺めている数十人の女も蝶と同じだろう。上辺だけは美しいくせに、中身は野心で溢れている。


 蝶のように美しい衣を、まとった女性たちは、口元を袖で隠しながらクスクスと笑っていた。

 

「まぁ、みすぼらしい生地の衣ですわね」


「仕方ないですよね。賢妃様の後ろ盾たら、最近落ちぶれてきているもの」


「そうよねぇー。それに、あの方が他のお妃様方から何と呼ばれているか知っている?」


幽鬼妃おばけ姫でしょ?」


娘娘ニャンニャン。あの様な女、さっさと庭園から追い出してしまいましょうよ?」


 周りの侍女も、主人である女に続き、私に軽蔑の目をむける。


 本音を言えば今すぐにでも、あの侍女に嫌味の一つや二つ言い返したい。しかし、今は唇を噛み締めてこらえるしかなかった。


 なぜならば侍女たちを束ねる主人こそが、貴妃である徐麗紫シュリーズであるからだ。皇后が不在である後宮内では実質彼女が、全ての妃嬪を束ねる存在であった。


 後宮に住む女性は主に妃と宮女に分かれる。妃は名の通り皇帝の妻で、宮女は妃の生活を支える存在だった。


 妃は正妻である皇后を頂点に、上級妃である四夫人、中級妃である九嬪、下級妃である二十七世婦、八十一御妻に分かれる。

 私の場合は、上級妃である賢妃だ。


 とはいえ、上級妃の中では最下層の身分だが……。最下層にいる私がここで余計な真似をすれば、事態を悪化させかねないだろう。



「賢妃の実家は最近落ちぶれてきているのよ。きっと、下賎の小娘にとって庭園にいる時間こそが、唯一気が安らぐ時間なの。邪魔してしまっては可哀想だわ」


「まぁ、なんて慈悲深い」


 主人の言葉に対し侍女が返答する。


『人を下賎呼ばわりしておいて、何が慈悲深いだァ』



 足元から男の声が響く。

 見下ろしてみれば、足の周りで半透明の白猫が、欠伸をしていた。


 幽鬼の鬼猫グウェイマオだ。


『どうせ、親の後ろ盾がなければ何も出来ないのになァ』


「放っておきなさい。徐貴妃は、最近、陛下が寝所にいらっしゃらないせいで苛立いらだっているだけよ」


『あの女も、ついに寵を失ったのか?』


「いや、陛下は最近、どの妃の元にも尋ねていないらしいそうね」


 私を含め彼女達の夫である皇帝は、長らく後宮へ足を運んでいなかった。

 現在、後宮の妃嬪ひひんが、皇帝から賜っている位は、寵愛ではなく家柄や政治的な要因で決められたものである。


 鬼猫は舌打ちをしてから徐貴妃の方へ向かう。


「待ちなさい。放っておけと言ったでしょう?」


 こちらの忠告も聞かず鬼猫は、徐貴妃を日差しから守るために傘を差している侍女へ、飛びかかり彼女を池へ引っ張りこんだ。


 ざぶーん、と水しぶきが上がり、侍女の悲鳴がこだまする。同時に池の水を被った徐貴妃も、高い悲鳴をあげた。


 幸い池は浅いので大事には至らなかった。


 おそらく彼女たちには、侍女が池に落ちた原因は分からないであろう。なぜならば、この場で鬼猫を視認できる人間は私だけだ。

 幸い庭園の池は浅かったらしく、侍女はすぐに救出された。


 とはいえ、これから騒ぎが大きくなる事は目に見えている。さっさと立ち去ろう。


「違います、娘娘。私は、ただ目に見えぬ『何か』に池へ引きずり込まれただけなのです。恐らく賢妃様の仕業ですよ。邪術をお使いになったのでしょう!」


 最後に響いたのは、池へと落ちた侍女の弁明と悲鳴であった。


(少女時代は住むなら桃源郷が良いと思っていたのに。結局は、このような場所で暮らさなければいけなくなってしまった……)


 ため息をつきなから、空を見上げる。

 澄み切った青空を眺めていると、まだこの場所へ来る前――まだ幼子であった頃の記憶が蘇った。

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