妃の苦悩

曇月タンユェ娘娘がいらっしゃいました」


 ヤオ徳妃の侍女が、素衣宮の扉を開くと、部屋の奥から瑠璃色の衣をまとった少女が駆け寄ってきた。


 金の装飾を全身に纏っているも関わらず、彼女が走る様子は軽やかであった。

 

 もしかして実家にいた頃は、走り回っていたのかしら?


少月シャオユエ。いい所に来てくれたわ」


 瑤徳妃は入口で立ち止まると、私の手を引きながら素衣宮の奥へ向かった。

 なぜが彼女の目元は赤く腫れている。

 先ほどまで泣いていたのだろうか。


 やがて素衣宮の最奥にある瑤徳妃のベッドにたどり着き、そのまま座らされた。

 隣に瑤徳妃も座る。


シュ貴妃様に呪いをかけたり、私や小月に濡れ衣を着せようとしていた犯人がラン淑妃様だったらしいの」


 事件の真相が分かったことが、瑤徳妃が泣いていた原因らしい。


「まぁ、そうだったのね」


 まさか「知っているわよ。被害者の幽鬼から聞いたもの」などと答える訳にはいかないので、何も知らなかったフリをしておく。


「何となくそんな気はしていたのよぉ。でも本当に、こんな酷い事をなさるなんて……」


小紅シャオホンは犯人が藍淑妃様だと思っていたの?」


 瑤徳妃が、ゆっくりと首を縦に振る。


「えぇ、私がまだ後宮へ来たばかりの頃は、まだ藍淑妃様は穏やかでお優しい方だったの。でも陛下が後宮にいらっしゃらなくなってから、日を重ねるごとに、どんどん、おかしくなられて……以前は嫌がらせなんてなさらなかったのに……」


 あの藍淑妃が、穏やかな態度で接してくる様子など想像し難いのだが、瑤徳妃が言うからには事実なのだろう。


「それで、少し前に皁衣宮を尋ねた際に、藍淑妃様の、ご実家から届いた手紙が机にあって、こっそり中身を読んでみたの。そしたら酷い言葉が書き連ねてあったの」


「どうしてかしら。一族の者が淑妃という立派な位を賜っているのに、何か不足があるの?」


「あぁ、小月は箱入りお嬢様だから知らないのね。昔から徐家と藍家は仲が悪いの。だから、徐家出身の女が貴妃の位を賜っている事が気に入らないみたいで……」


「それで酷い言葉が書き連ねてあったのね。賜った位に関しては、藍淑妃様に罪はないのに」


 白蓮が長らく後宮へ足を運んでいなかったこことにより、現在、後宮で作られている階級による序列は、政治的な要因や、家柄を考慮して作られた物だ。

 なので少なくとも藍花蝶ランファーディエが、寵愛の奪い合いに負けてしまった訳ではない。


 酷い。酷すぎる。

 こんな物は理不尽だ。

 今まで藍淑妃を、ただの嫌な女としか見ていなかった自分自身を悔やむ。

 もう少し彼女について知っていれば……向き合っていれば……。


「きっと気が病んでしまって、何もかも、どうでもよくなってしまったのね」


 瑤徳妃が涙を流し始める。

 この様子を眺めていた素衣宮の侍女頭は、他の侍女にくりやから水瓶と杯を持ってこさせた。私も瑤徳妃の背を優しくさする。


「私も実家にいた頃は、毎日お母様から、いつも酷い言葉を浴びせられていたから分かるの」


「嘘でしょ。娘にそんな事をする母親がいるの?」


「それがね……今のお母様とは血が繋がっていないの。お父様の再婚相手なのよ。あの人は、私を目の敵だと思っているみたいで、ずっと酷い言葉ばかり浴びせてくるの。例えば『女が書物ばかり読んでどうする』とか『一族の恥さらし』とかね」


「そんなの酷すぎるわよ。書物を読むことはいい事だし、小紅シャオホンは恥さらしどころか瑤家の誇りそのものでしょ」


「ありがとう、小月。それでね、お母様の態度を見かねた、お父様が私を実家から引き離す為に、後宮へ送ってくれたの」


「素敵な、お父様ね」


 毎月、瑤徳妃に贅沢な品が届く理由は、彼女の父が娘の幸せを祈って贈り物をしている為であろう。


 瑤徳妃は、しばらく涙を流していたが、やがて泣き止んだ。杯に水を注ぎ、彼女に飲ませる。


「ねぇ、小紅。昨夜、私の夢に亡くなった女官が現れて、言伝ことづてを残してくれたの」


 実際は、官女どころか見知らぬ女に「許さない」と罵られる夢を見たが、彼女に女官の遺言を伝えるには、これが一番良い方法だった。

 死人が夢を経由して、意志を伝えに来た例は星の数ほどある。


 官女が残した言葉を、一字一句変えず、そのまま伝える。


「そう、彼女も私と同じ本の虫だったのね。もう彼女と言の葉を交わす事はできないけど、せめて東岳大帝冥府の王が彼女の罪を許すことを祈るわ」


 東岳大帝冥府の王泰山冥府の主であり、死者の罪を裁く者だ。泰山へ向かった彼女が罪を許されたか否か。答えは東岳大帝冥府の王本人と、その眷属しか知らない。


「そうね。私も祈っているわ」


 窓の外で鳴り響く雨粒が、石や草を叩く音が強まってゆく。


 今まで心地よいと感じていた雨音は、少しずつ騒音へと変わっていった。






 

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