皇帝の口を割らせる方法

曇月タンユェ、今から皇帝を懲らしめに行くぞ』


 青衣宮に戻ると、全身の毛を逆立てた鬼猫グウェイマオが待っていた。


「鬼猫、どうしてそこまで不機嫌なの?」


『あの男――皇帝が勝手に青衣宮に入ったり、お前に触れたりするからだ』


「それは仕方ないでしょ。相手は後宮どころか天下の支配者よ。どこに行こうが、なにをしようが誰も咎める権限なんてないわよ」


『だけどヤツは剣や槍を持たなければ、なにもできない凡人だ。俺たちにとっては取るに足らない存在だぞ』


「さっきからどうしたの。そんなに怒って」


『俺はお前が傷つくところを見るのがイヤなんだ。皇帝が来るようになってから他の女からの嫌がらせは増える上に、お前自身だって好きでもない男と寝かされて。黙っていられねぇよ』


 どうやら鬼猫の怒りは、嵐のごとく収まることを知らないらしい。ひとまず彼に近寄り、背中をゆっくりと撫でてあげた。

 

 ゴロゴロと喉を鳴らす鬼猫。


 たしかに白蓮バイリィエンが来るようになってから、ろくでもないことばかり起きる。一人だった時は平和に暮らせていたのに。

 

 だけど鬼猫の怒りは私のためにあるものじゃない。もっと傲慢で自分勝手な感情。

 だって白蓮が居なくなっても、他の妃が私に対して取る対応が変わるはずがない。


(やっぱり猫であることに代わりはないのね)


「鬼猫、はっきり言わせてもらうわ。貴方は私を守りたいんじゃなくて、陛下を――白蓮が気に入らないだけ」


『そんなわけあるか!』


 鬼猫の声が低くなる。


『俺にとって一番大切なのはお前で、あいつがお前に触れると腹が立つ。これは、俺にとって皇帝はお前を傷つける敵であるということだろう?』


「鬼猫、どうか落ち着いて。お願い」


 鬼猫は「フンッ」と鼻を鳴らしてから、厨の方へ姿を消した。

 なんとなく虚しい気持ちに襲われる。


(私が始末するべきなのは養父の敵。皇帝じゃない)



***



 花が揺れる。

 庭園に植えられた花々は、風になでられる度に華やかな香りを運んできた。

 窓を開けながらなんとなく外を眺めていたが、虚しい気持ちは収まることを知らなかった。


 雨は上がった。

 でも地面はぬかるんだまま。

 まるで私の心みたい。


 なんだか胸に穴が空いちゃったみたい。

 道士は常に冷静無欲であるべきなのに。

 本当にバカみたい。


「たまには外に出てみれば気が晴れると思っていたけど、気のせいだったみたい」


 思わず感情を口から漏らしてしまう。

 すると、隣から無気力な声が響いてきた。


「本当だね。外に出たところで不安が胸から無くなることはない」


 男の声だ。

 鬼猫ではないかと思い視線を移した、その時であった――。


「まったく、誰のせいだと思って……」


 視線の先で立っていたのは白蓮であった。


「俺が原因かな?」


「いえ、陛下。てっきり別の方が話しかけてきたのかと思いまして……」


七七チーチー八八バーバーか?」


「あー、そんなところです」


 口が裂けても猫の幽鬼です、とは言えない。


「花を眺めながら考え事でもしていたのかな?」


「はい。実は最近、友人と呼ぶべき人と仲違いをしてしまいました。それから胸の中で黒い感情が渦巻いているのです。虚無感のような不思議な感情が」


 慌てて胸の内を言語化しようとしたせいで、おかしなことを言ってしまった。しかし、白蓮は真剣な顔で私の話を聞いてくれた。


「分かるよ。人と人が通じ合うのは難しい。それに理解できない相手や物事には憤りを感じるものだ」


 白蓮は悲しい目をしていた。

 どこか遠い場所にいる誰かを眺めるような、悲しい目を。


「どうすればいいのでしょう?」


「俺にも分からない」


 花がカサカサと揺れる。まるで、こちらを嘲笑っているかのように。


「天子にも分かり合えない方がいるのですね」


「いや、天子だからこそだ。臣下を含め、兄弟、母親でさえも心から信じることはできない。なぜならば俺は常に命を狙われる立場だからだ」


 白蓮の声が震えた声で呟く。

 呼吸もわずかに乱れていた。

 彼の背に手を当てる。


 冷静さを失った白蓮は、まるで子供のようであった。


「私は陛下の信じられる存在になる……などと生意気なことは申し上げませんが、常に貴方に寄り添い支えようと思います。どうか私を信じられなくなってしまった時は、どうか切り捨てて下さい」


「そんなこと……するものか……」


 大きな背中をそっとさすってあげる。すると、白蓮の様子が段々と落ち着いてきた。


「曇花、お前はまるで書物に出てくる母親のようだな」


「どういう意味でしょうか?」


 まるで書物でしか母親を見たことがないような言い方だ。


「俺の母上は昔から、何事にも厳しく冷徹な人物であった。ゆえに彼女から母親らしいことをしてもらったことはない」


「そうでしたか。それでも皇太后様を幽閉していらっしゃらない陛下は寛大でございますね。歴代の皇帝では実の母を始末した方も多いでしょうに」


「あれでも母親だからな。それにあの女は父が死んでから、まつりごとと家督争いを収め、俺を皇帝の座につかせてくれた」


 なるほど。

 ようするに皇太后には政に手を出す権限があるのね。それならば皇帝軍を動かすこともたやすいでしょうね。


 白蓮をそっと抱きしめる。


「陛下、私でよろしければ母親の代わりでもなんでもいたします」


 かつて皇帝は冷酷無慈悲な人だと思っていた。私利私欲で民から税を取り、酒と女を楽しむろくでなしだと。


 しかし、実際は違った。


 彼はただの子供だ。

 愛情を貰えなくて子供のまま体だけ成長してしまった人。私は彼に特別な感情を抱いている。


 今まで、この特別な感情には気づいていたのに、否定し続けてきた。


 だけど、もう否定しない。

 認めてしまおう。


「ありがとう、曇花」


 白蓮は笑った。

 蓮のように美しい笑顔だ。


(きっと私おかしくなってしまったのね)









 

 

 

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