第二章 千秋節

17 再会

 今日は朝から後宮が騒がしい。

 庭園の端では下級妃が集まり、何やら噂話をしている。中級妃に至っては豪華な装飾品や、香ばしい肉のような香りが漂う箱を、抱えて後宮中を駆け回っていた。


 今は千秋節宴せんしゅうせつえんの準備で多忙な時期だということは分かるが、それにしても騒がしすぎる。というより誰一人作業に集中していないような……。


「ねぇ、小紅シャオホン。どうして皆そわそわしているの?」


 庭園の蓮池に囲まれながら瑤徳妃と蜜餅をつまむ。

 私が尋ねると、茶を飲んでいた瑤徳妃は、口元を覆いながら目をパチクリさせた。


「あら、知らないの?」


「えぇ、まったく」


「陛下が病に倒れたらしいの。それで、みんな見舞いがてら、陛下の寵を受けようと必死になっているのよ」


 だからといって、こんな大人数の妃が見舞いに来たならば、白蓮バイリィエンの病が悪化しそうだが。


 下級妃の集会所となった宴会場は、静かな状態とは言いがたい。しかし、シュ貴妃とラン淑妃に占拠されていた頃よりはマシであった。


 倒れた徐貴妃は未だに体調が回復せず、淑妃の位につく者も居なくなった現在、後宮に住まう全ての妃嬪ひひんを束ねているのは瑤徳妃である。

 なので今まで藍淑妃が行っていた千秋節宴せんしゅうせつえんの監督も瑤徳妃の役目となった。


 徐貴妃とは異なり誰に対しても差別的な態度をとらないヤオ徳妃への評価は、中級妃、下級妃問わず、かなり高い。


 そして、なぜか藍淑妃が位を奪われてから、私への陰口や嫌味を言ってくる妃嬪ひひんが減った。


 最初は今まで取り入ろうとしていた徐貴妃と、藍淑妃が居なくなった事が原因だと思っていたが、瑤徳妃いわく「ほら、小月シャオュエは私の仕事を手伝ってくれていて、その過程で他の妃嬪ひひんと交流する機会が増えたでしょう。みんな小月シャオュエが徐貴妃様や藍……元淑妃様が言うような悪い人じゃないって気づいたのよ」とのことである。


(本当に優しい人は復讐なんてしないのにね……)


 私を取り巻く環境が変わった一方、どういう訳か鬼猫グウェイマオの姿が見当たらなくなっていた。

 初めは散歩にでも出ているのだろうと思っていたが、それにしても一向に姿が見当たらない。


黒白無常七七と八八に連れ去られていなければ良いけど……)


「小紅は陛下の見舞いに行かないの?」


「行くけど他の皆より後でいいわ。小月こそ、行かないの?」


「私は文だけ送るつもりよ。だって、あんな数の妃嬪が寝室に訪れたら陛下がもっと病んでしまうでしょう?」


「それもそうね」


 瑤徳妃がクスクス笑う。


「そうだ、どうせ皆そわそわして作業が進まないのだし、今日はお休みにして二人で過ごしましょう」


「いいけど、何かやりたいことがあるの?」


「あるわ。料理をやってみたいの」


 料理。その言葉を聞いた途端、頭が真っ白になった。なぜならば彼女のような、いわゆる名家のお嬢様には、似つかわしくない単語であったからだ。


「私ね、昔から料理がしてみたのよ。でも後宮に来る前に一度、くりやの使用人に手伝ってもいいのか断られちゃってね……」


「そう……なのね。実を言うと私には少し料理の心得があるの。だから手伝うことは出来ると思うわ」


 養父と暮らしていた頃は、料理を含めほぼ全ての雑用は私がこなしていた。しかし、久しぶりに包丁を握ったとして、上手く扱える自信はない。


「まぁ、本当?」


 瑤徳妃は立ち上がり目を輝かせる。


「なら決まりね。この後は素衣殿で料理をしましょう。私の侍女は実家の料理人達と違って厨に入れてくれるから……」


「待って。今もしかして料理人と言った?」


 再び口元を袖で覆った瑤徳妃は、不思議がるような表情を浮かべた。


「どこの屋敷にも料理人は十人ぐらいいるでしょう?」


(料理人が十人……?)


 料理をする者なんぞ、せいぜい三人ほどいれば足りるのではないか。それとも、使用人の分まで作るには十人も必要なのか?


 不安そうに眉を八の字にした瑤徳妃が続けて口を開く。


「ほら、例えば包人包丁係とか、烹人煮物係とか、獣師肉料理係とか、塩人調味料係とか……」


(うぅ、段々頭が痛くなってきた……)


 牛肉を毎日のように食べる事といい、料理人の数といい、未だに富豪が考えることは理解できなかった。





「やっぱり料理の基本と言えば米よね。でも米を炊くだけだと物足りないし……小月は何の料理が好き?」


「私は牛肉の串焼きが好きかな」


 瑤徳妃と料理ついて語り合いながら、素衣殿へ向かう。


 道中すれ違った官女と妃は、私と瑤徳妃を見るなり、すぐに礼をして道を開けてくれる。中には「今日は良い天気ですね」などと世間話をしようとする者もいた。


「いいわね。私も牛肉の串焼きは好きよ」


 肉串焼きは私が張家に来た際、初めて食した肉料理だ。山に住んでいた頃は塩で味付けした野菜や、豆、木の実ばかり食べていたので、香辛料で味付けされた肉が、あれほど美味であることに驚きを隠せなかった。


「それなら牛肉の串焼きも作ることにしましょう……」


 瑤徳妃と顔を見合わせ、口を開いいた、その瞬間――。


 ばっしゃん――と水の中に何かが放り込まれる音がする。


 音がした方向を見ると、籠を持った女官と、彼女を囲む他の宮女が三人。彼女達の足元を見ると、そこには池の上に鮮やかな襦裙が何着もプカプカと浮いていた。


「ほら、よそ見してるから洗濯物が池に落ちちゃったじゃない」


「これだから良いところのお嬢様は困るのよ」


 三人の宮女は、クスクスと笑いながら顔を見合わせていた。


「何を言っているのよ。貴方たちが、ぶつかってきたじゃない」


 笑い声の中でか細い声が、こだまする。

 籠を持った宮女が声の主だろう。


「やだぁ、私達は通りかかっただけよ」


「ねぇ、もう行きましょ。お父様に言いつけるとか言い出すわよ」


「そうね」


 三人の宮女は、そのまま立ち去ろうとする。目に映る光景を理解するよりはやく、私は体の奥から声を振り絞っていた。


「貴方たち、待ちなさい!」


 三人の宮女は、足を止めこちらを振り返る。


「そこの三人に言っているの!」


 籠を持っていた宮女も、こちらを振り向く。彼女と顔を合わせた、その刹那――私は言葉を失ってしまった。


 可愛らしい顔とは裏腹に、眼光は誰よりも鋭い。昔からよく知っているのに、今ではなつかしい、その姿。

 張家の長女である海霞ハイシャだ。







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