嫉妬の渦
「ほら、早くこちらに来なさい」
青衣宮の最奥部。
私の寝床に一人の男が横たわっている。
夜着に召替えた
そして、私は薄手の華やかな衣装に着替えた。少し化粧もしてある。
聞いた話によると、皇帝の寝所へ呼ばれた妃は、美しく着飾ることが慣例らしい。
おそるおそる寝床へ近づくと、白蓮に片腕を掴まれた。
「さぁ、おいで」
「申し訳ありません陛下、少しお待ち下さい」
「どうした?」
彼を寝所の中で抱き寄せて、よしよしと頭を撫でたい。毎日頑張っていらっしゃる貴方は素敵だと伝えたい。
目にクマができるまで働いている白蓮。
彼に付き添える人物はいるのだろうか?
彼は後宮に姿を表さない。
皇太后、妃嬪を含めた彼の『家族』は皆後宮で暮らしている。つまり彼はいつも孤独のはずだ。
ならばせめて彼を愛してくれる人が見つかるまで、私が傍に居よう。支えてあげよう。
養父と二人暮しだった私には母親というものは分からないが、きっとこのような気分なのであろう。
「今日は……月の障です」
彼には悪いが、体までは渡すわけにはいかない。もし別の日にも共寝を求められたら体調不良を装って回避しよう。
「……そうか。それは残念だ。それでも眠ることはできるだろう?」
体を引き寄せられる。
「……陛下?」
どうやら今夜は離して貰えないらしい。
***
瞼の先に光を感じ、深い闇の底に沈んでいた意識が現実に戻される。目を覚ますと、隣で眠っていたはずである白蓮は居なくなっていた。まるで昨夜の出来事が全て夢であったように。
「おはようございます、娘娘」
「陛下は?」
「
(他の
妃嬪が夜伽をする時は、迎えの
「そう、分かったわ。朝食も持ってきて」
「承知いたしました。それともう一つ申し上げたい事がございます」
「何かしら?」
「まもなく
「そうね」
千秋節宴は皇帝の誕生と長寿を願う宴だ。豪華な食事や、舞踊、詩を楽しむ。
もし行かなくても良いのであれば、欠席して、人が一箇所に集まった状態を利用して、後宮内を自由に捜索することができた。
しかし、今の私は後宮の頂点たる四夫人の一角。皇帝の誕生祭に欠席するなど御法度である。
「宴に向けて陛下が妃嬪へ、お召し物と
皁衣宮は藍淑妃が暮らす宮の名前だ。素衣殿の傍にあるので、瑤徳妃の元を訪れる時は、しょちゅう藍淑妃の侍女と遭遇する。
「どうして
淑妃は四夫人の中で二番目に位が高い妃だ。貴妃を頂点として、淑妃、徳妃、賢妃と続く。陛下の代わりとなれば、最高位の貴妃がするべきであろうに。
「貴妃様はまだ呪いの影響で体調が悪いそうです」
恋愛成就の術が原因ね……。
***
「今朝、陛下が青衣殿から出ていく様子を見た侍女がいるらしいよ」
「あー、聞いた。今まで後宮に足を、お運びにならなかった陛下が、
「一体どうやって
「邪術を使ったのよ。だって、あの
「そうよね。だって藍淑妃様の方がよっぽど美しいじゃない」
皁衣宮の前では、数え切れぬ程の妃が集まっていた。服装から察するに下級妃だ。
上級妃と中級妃は、もう既に皁衣殿の中であろう。身分が高い者から下賜された品を受け取っているのだ。
彼女達の隣を通り過ぎると、再び噂をする声が聞こえ始める。
「私達の話聞かれてないよね?」
「呪われちゃったらどうしよう」
「やだぁ、怖い」
こちらが予想していたよりも
皁衣宮へ入ると上位の妃だと思われる女性が三十人程いた。
その中でも一際目立つ服装をした女性が、淑妃であろう。奥に置かれた机に並べられた品を順番に渡している。
今受け取っているのは
「遅かったじゃない。呑気に湯浴みでもしていたの?」
派手でありながらも、徐貴妃の衣と比べれば豪華ではない。
そんな彼女のまとっている衣は、まさに模範的な身分相応の襦裙であった。
そして、彼女の言う湯浴みとは、日常的に体を清潔にするために行うものではなく、男女が共寝した後に行う方を指しているのであろう。平たく言えば嫌味だ。
(ちゃんと指定された時間通りに来たのにね……)
「これは、失礼いたしました。もしまたこのような機会があれば、その時はもう少し早く参上いたします」
「分かればいいわ。これは貴方の分よ。次の子を待たせているからさっさと失せてちょうだい」
そう言って藍淑妃が渡してきた襦裙と
皇帝にバレたらどうなるか、分かっているのだろうか?
「感謝いたします。では私はこれで」
藍淑妃へ向かって礼をしてから、皁衣宮の外に向かって歩く。
こまま早足で外に出ようとしたが、ふと大切なことを思い出し立ち止まる。
「私からもご忠告を。もし慕っている肩に思いが届かなくても怪しい術を使うことは勧めませんよ。特に爪や髪を使ったものはね」
「黙りなさい!」
藍淑妃が立ち上がり、声を荒げる。
息が荒くなり、瞳孔が揺れている。
分かりやすく動揺している様子であった。
そのまま皁衣宮の外に出る。
足元で鬼猫が「おい、ふざけんなよ。あいつ」などと騒いでいるが、幸い徐貴妃の侍女を池に落としたときのようにトラブルを起こすつもりは無いらしい。
耳元に響く中級妃の声。
下級妃たちとは違い、わざとらしく、大きな声だ。
「ねぇ、今の見た?」
「見たわ。藍淑妃様は大変お怒りでしたよねぇ」
「当然よ。陛下が二度も寝所にいらっしゃったからって調子に乗っちゃって」
「そうよ、そうよ。上級妃の中には、まだ陛下の顔すら知らない方だっていらっしゃるのに」
彼女達は、名家出身である徐貴妃と藍淑妃に取り入りたいだけ。気にする必要はない。気にする必要はないのに……。
目元が熱くなる。悔しかった。悔しくて、悔しくて、胸が苦しい。
急ぎ足で庭園を横断しようとすると、瑤徳妃に止められる。
「待って、
「どうしたの?」
振り返ると、そこには頬を膨らませた瑤徳妃が私を追いかけていた。
「見たわよ。藍淑妃様が貴方にだけ質の悪い衣を渡していたわ」
「そうね。でも大した事ではないわ」
「いいえ、大した事よ。あぁ、何で貴方が今まで、みずぼらしい衣ばかり着ていたのか分かったわ。こうやって、いじめられていたから身分相応な衣が手に入らなかったのね。今思えば、
「それは違……」
「決めた。私が下賜された衣と、小月が藍淑妃様から頂いた衣を交換しましょう」
瑤徳妃は侍女から下賜された衣を受け取ると、私に差し出した。どうやら彼女は一度感情が高ぶると人の話を聞かなくなる性格らしい。
(私が住んでいた山の麓に村がいくつかあったけど、そこにもこんな女の子が何人か居たわね)
「受け取れないわ。それだと貴方が困るでしょう?」
「私なら大丈夫よ。毎月、実家から衣が沢山送られてくるから」
瑤家は相当裕福な家であるらしい。
毎月も衣が送られてくれば、確実に余るであろうに。要らなくなった衣は侍女に送っているのであろうか。
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