夜のお渡り

「これは陛下。もう既に中にいらしていたのですね、これは失礼な事を申し上げてしまいました」


「いや、気にしていないよ。それよりも――」


 白蓮バイリィエンはこちらへ歩み寄ると、素早く私の右頬に手を添えた。


「俺が送った衣を纏ってくれたのか。あぁ……やはり君は美しい。まるで月下美人そのものだ」


 彼の美しい瞳と視線が交差する、


(いいえ、白蓮。貴方の方がよっぽど美しいわ)


「陛下……」


 言葉を失っていると今度は白蓮の左腕が私の腰を、右腕が頭を捕らえた。

 つまり抱きしめられたのだ。


 ついこの前まで親の仇だと思い込んでいた男に、抱擁されているにも関わらず、そこまで悪い気はしなかった。

 むしろ落ち着くぐらいだ。


 彼は確かに、おかしな人。

 だって突然初対面の女の子に求婚したり、急に「永遠に添い遂げて欲しい」と言い出すもの。


 でも……それでも、悪い人ではないわ。


「他に何か欲しい物があれば、遠慮なく護衛につけた宦官へ伝えてくれ」


 その護衛とは、恐らく七七チーチー八八バーバーの事であろう。黒白無常死神が護衛につくとなれば、最悪の場合守ってもらうどころか、魂魄こんぱくを奪われる可能性があるが……。


「あの二人は私の護衛だったのね」


「何だと思っていた?」


「下働き」


 白蓮が苦笑し、向かい側でこちらの様子を眺めていた七七と八八が口を尖らせた。


「後宮には昔から不審な死を遂げる妃嬪が多いからね。護衛は居るに越したことはない」


「ならば、私を今すぐ離して下さい。そうすれば、この危険な場所からとっとと失せますから」


 抱擁する腕の力が強くなる。

 彼の頬が私の頭に触れ、耳元で白蓮の吐息が聞こえた。


「離してなるものか。傷ついた小鳥は檻の外では生きられない。野原に咲く花は手入れしなくては、すぐに枯れてしまう。きっと君もそうなのだろう?」


「私は鳥でも花でも、あるいは精霊でもありませんよ。ただの道士です」


 ここまでの執着――私が誰かに傷つけられる事を恐れているのであろうか?


「それならば余計に心配だ。外の世界で暮らし始めた君が、今後危険な状況に陥る可能性は十分にある。もしかすると、賊に襲われるかもしれないし……タチの悪い男に寝所へ連れ込まれるかもしれないし……」


 どうやら白蓮にとって、堂々と女性の寝所へ入ってきた自身は『タチの悪い男』に含まれていないらしい。


「考えすぎですよ」


「そうだな。その通りだ。多分、俺は君を守りたいのではなく、ただ手放したくないだけなのだろうね」


 あぁ、なんと罪深い。

 それは執着だ。

 守ることを言い訳とした、ただの執着。欲望を敵とする仙人にとって彼は大罪人だ。


「なつかしい、この香り。まるであの頃みたいだ。本当によく似ている」


 あの頃……?


 顔を上げる。白蓮は目を閉じながら考え事をしているようだった。


 似ている?


 なにに似ているの?


 それは誰?


 かつての私?


 それとも別の人?


 まぁ、そんなことは、どうでもいい。

 私はコイツの過去など興味無い。


「私は陛下にお伝えしなければならないことがあります」


「どうした?」


 ホワホワと暖かい熱に包まれた頭を一旦冷やす。深呼吸をして冷静さを取り戻す。


 現在、白蓮は私を抱擁して気分がいいはずだ。人間は気分がいいとき口が軽くなる。

 彼だって同じはずだ。


「私が入宮した理由についてです。きっと陛下がお聞きになればお許しにならないでしょう」


「いや、構わない。正直に話しなさい。まさか、親に俺を殺すように命じられたか?」


 惜しい。ジャン家は私に寵愛を手に入れろとは命じたが、殺せとは命じていない。


「実は貴方様とであった、あの日、私の知り合いが皇帝軍に殺されてしまったのです。しかし、私は陛下が罪のない民を殺すように命じるような方だとは思いません。ですのでもし殺すような理由があれば知りたいと思い、後宮へ来ました」


 窓辺から「おいおい、マジかよ」という鬼猫グウェイマオの声が聞こえたが、今は無視させてもらう。

 

「無理なお願いだとは分かっています。しかし、私はどうしても、あの人が殺された理由を知りたくて……」


「そうか、それは災難だったね。君は本当に優しい娘だ。なにより俺に本当の事を打ち明けてくれた事を心より嬉しく思う。しかし、申し訳ないが君の大切な人が殺された理由は俺にも知る術がないんだ」


「え……?」


 そんな、嘘だ。

 国の頂点たる天子に知りえないことなど、あるものか。


「もし他にも悩んでいる事があれば、打ち明けて欲しい。仇討ちについては、どうか忘れてくれ。俺は……君まで失いたくはない」


「それは、どういう……」


「当時、皇帝軍を指揮できた人物は俺ではない。さらに、その人物は徹底的な秘密主義者だ。俺にですら行動の理由は教えない」


「せめて、その方がどなたかだけでも」


「すまない。それは無理だ。あの人には関わらない方がいい。鬼神よりも恐ろしい人だ」


「待って下さい。私は相手が鬼神だろうが、天であろうが恐ろしくはありません」


「だからといって、大切な者を人殺しにしたい者がどこにいる?」


 白蓮の眉間にシワが寄り瞳孔が開かれる。

 その声は戦場で燃え盛る炎のごとく恐ろしく、瞳は凍てつく氷のように冷ややかであった。


 その時であった――ふと彼の目にクマが出来ていることに気づく。


「陛下……もしかして疲れていらっしゃいますか?」


「毎日疲れてはいる。なにしろ天子というものは多忙だ」


「そうではなく、今日はクマできていらっしゃるので寝不足かと……」


「これか……確かに最近は寝不足だね」


「でしたら、この話はまた今度に致しましょう。今日は、もうお休みになって下さい」


「帰れと言うのかい?」


「いいえ。よろしければ青衣宮でお休みになって下さい。安眠できるまじないを存じ上げております」


 侍女に命じてくりやから温めた牛乳を持ってこさせる。これは幼少期の頃。眠れない夜に養父が、安眠の薬として勧めてくれた物だ。毎晩寝る前に飲んでいる為、今日も奴婢に用意させていた。


「これは?」


「温めた牛乳です。安眠できる秘薬ですよ」


 白蓮が苦笑する。


「そうか、俺はもっと道士が使うような秘薬が出てくると思っていたが……」


「期待に添えず申し訳ありません。残念ながら私が知っている道士が使っていそうな秘薬は辰砂しんしゃぐらいです」


 辰砂は俗世にて不死の秘薬として知られている物質だ。しかし、その正体は猛毒で、過去に服用した人々は命を落としてしまったらしい。養父も絶対に飲んではいけないと言っていた。


「ならば牛乳で構わないよ」


「でしたら私が先に毒味をしますね」


 牛乳と共に侍女に持って来させたさじを使い毒味をしようとする。皇帝に献上する品に直接口をつける訳にはいかないからだ。


 なんだか彼の母親にでもなった気分だ。


「待て」


「どうかされました?」


「君自ら毒味をする必要はないだろう。宦官か侍女にさせなさい」


 白蓮は自身の付き人に、牛乳が入った陶器製の小瓶を渡した。

 相変わらず心配性の人だ。





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