瑤徳妃

七七チーチー八八バーバー。まさか貴方たち、素衣宮まで付いて来るつもりなの?」 


 瑤徳妃とが住まう素衣宮へ向かうべく身支度をしていると、いつのまにか日傘や手土産の花餅を用意する侍女達の中に双子の宦官が混ざっていた。


「僕たちの役目は、貴方様の護衛ですので」


「そうだね、七七。何かがあれば陛下に奏上しなくてはならないし……あ、なんでもないです」


(要は白蓮バイリィエンに私の監視をするように命じられたのね)


 さぁて、これで今まで以上に身動きが取りづらくなってきた。これでは、わざわざ侍女全員を紙で作った意味がなくなってしまう。

 いちおう後宮ここから逃げ出すという手もあるけど――皇帝軍を代わりに指揮できる人間となるど、白蓮の身内か外戚だと思われる。

 ならば、まだ宮廷に居座って調査を続けるべきだろう。




***



 素衣宮は想定していたよりもずっと美しい場所であった。もともと金の飾りが少なく、素朴な作りになっている母屋を中心に、牡丹の花が咲き乱れている。

 彼女の侍女いわく、この庭には様々な花の種が植えられているらしく、一年中美しい景色を楽しめる。


 現在、私がまとっている月下美人の刺繍が施された襦裙も素衣宮では、取るに足らない一輪の花でしかなかった。


「お初にお目にかかります。ヤオ徳妃。陛下より賢妃の位を賜りました張曇月ジャンタンユェと申します」


 そして、素衣宮この場所の主も牡丹のように美しい人であった。

 若芽色の上衣に、赤紫の裙。

 そして、肩がけは雪のような白。

 彼女がまとう衣は、シュ貴妃が好む物と対称的に、刺繍は少ないが、代わりに瑤徳妃の美しさを際立たせている。


 彼女の傍に控える侍女も同じ色の帔を纏っているが、これは我が国における後宮の習わしだ。青衣宮では秘色ひそくの帔を使用しているが、素衣殿では白なのだろう。


 侍女は主人の衣を際立たせるために、わざと同じ色の襦裙を纏う。もちろん、主人の物よりも地味な生地を選んで。


「こちらこそ初めまして。陛下から徳妃の位を賜りました瑤紅慧ヤオホンフェイと申します」


 瑤徳妃は、こちらにそっと近寄ると手を差し出した。


「さぁ、中に入って点心でも食べましょう」


 彼女の手をとるべく、こちらも手を差し出そうとする。しかし、普通ならば身分が低い私が彼女の手を引くべきだ。

 瑤徳妃は何を考えている?


「一体……これは?」


 瑤徳妃はハッとしたかのように、手を引っ込めると、気まずそうに目を逸らした。


「あら、失礼いたしました。四夫人の中で歳の近い方が貴方しかいなくて……つい友人のような態度で……」


 言われてみれば、正確な年齢は分からないが徐貴妃は私よりずっと年上に見える。残念ながら淑妃とは、まだ顔を合わせたことはないが、おそらく彼女も年上なのであろう。


「えーと、その……私は他の妃と寵を競う気など毛頭ございません。ですから警戒なさる必要は……」


 瑤徳妃の声が震え始める。


「いえ、少し考え事をしていました。もし心配をかけてしまったようでしたら申し訳ありません」


「いえ、こちらこそ」


 大半の妃嬪は後宮に足を踏み入れたその日から、生を終えるまで寵を競い合わななくてはならない定めとなる。つまり、彼女達に『一生の友人』と呼べる存在ができることはない。


「そうだ、曇月。もし良ければ貴方と友人になりたいわ」


「私が瑶徳妃様と友人に?」


「嫌かしら?」


「滅相もないことでございます。ただ少しばかり恐れ多いと言いますか……」


「気にしなくていいわ。ねぇ、貴方の事を|小月月ちゃんと呼んでもいい?」


「分かりました。でしたら私も紅慧様の事を小紅紅ちゃんと呼ばせていただきます」


「えぇ、それが良いわ。そうしましょう!」


 瑤徳妃は私の両手を掴みながら満面の笑みで微笑んだ。同時に彼女が身につけている翡翠の耳飾りが揺れ、ジャラジャラと音を立てた。


「瑤……じゃなくて、小紅。実を言うと私今まで友人という物が出来た事が無いから何をすれば良いのか分からないの」


 瑤徳妃はクスクスと笑う。


「まぁ、そんな気がしていたわ。だって小月たら、箱入りお嬢様ぽいもの」


 山入りお嬢様の間違いだけどね……。



***



 瑤徳妃と別れた後、私は鳥に変化して宮廷内の噂を聞いて回った。

 白蓮にはもう既に鳥になった姿を見られているので、細心の注意を払いながら巡回したが、幸い怪しまれることは無かった。


(そろそろ鳥以外にも化けられるようにしないとね。鳥の姿だと噂を聞くことはできても、こちらから話しかけることはできないもの)


 とはいえ昔から鳥以外に化けるのはかなり苦手であった。

 鳥に化けようとすると、すんなり変化へんげできるのに、それ以外に化けようとすると体が中途半端に人間の姿になってしまうのだ。


 奴婢の紙人形に茶を用意させ、窓の外を眺める。

 本当にこのままで良いのだろうか?

 無事に復讐は果たせるの?

 このまま後宮に捕われ続けないといけないのだろうか?


 ふと、白蓮の顔を思い出す。

 彼の笑顔は暖かい春の光のようで、見ている者を狂わせる。

 あぁ、なんて恐ろしい。


 物思いにふけていると隣から男の声が近づいてきた。


「娘娘、例の宦官について調べてきました」

「お時間宜しいでしょうか?」


 七七と八八だ。


「お疲れ様。言ってちょうだい」

「はい、礼哥れいかという宦官ですが、もともと花蝶ファーディエ娘娘に仕えていたらしいです」


 記憶の中から花蝶という名前を探す。

 思い出した。淑妃の藍花蝶ランファーディエだ。

 宮廷内で宴が開かれる度に、徐貴妃と一緒に居る。まさに腰巾着のような存在だ。


「記録によれば礼哥れいかは心優しい花蝶娘娘を慕っていたらしく、ある日、自身の爪や髪を送ろうとしたそうです。それが上にバレて棒たたきにされたとか……」


「へぇー、そうだったのね」


 なるほど。恋愛成就のまじないに使われた髪は死後抜かれたわけではなく、生前本人から渡されていたのか。


「分かったわ。ありがとう。もう下がっていいわよ」


 机の上からライチを取り、二人に渡す。

 すると、二人は目を輝かせながらライチを受け取り、青衣宮から姿を消した。代わりに入ってきたのは鬼猫グウェイマオであった。

 

『曇月、よく聞け。これからお前に関わろうとするヤツは増えるだろう。中には、お前を通して皇帝に拝謁する機会を得ようとする者から、お前に毒刃を向けようとする者までいる。だからこの際ハッキリ言っておくぞ。他の妃嬪ひひんを簡単に信用するな』


「つまり瑤徳妃も信用するなと言いたいの?」


『そういう事になるな』


 瑤徳妃と別れ、すっかり日が暮れた頃。

 いつも通り青衣宮のしんしょに座りながら思考にふけていると鬼猫グウェイマオが話しかけてきた。


「そんな事は分かっているわ。私はただ瑤徳妃から情報を得たいだけよ」


 その通り。瑤徳妃が私をはめようとしている可能性がある事は百も承知だ。

 しかし、彼女と親交を結ぶことで得た物もあった。


 それは高級の頂点であり、白蓮の正妻である皇后が、亡くなってから彼が人と関わりを持つ事を拒絶し始めたという事だ。

 ゆえに後宮では、皇帝が姿を表さない理由は未だに皇后様を愛しているからだと言われているらしい。


(それに瑤徳妃と茶菓子を食べながら世間話をする事は、思いの外楽しかった。これが友人というものなの?)


 窓の外を眺める。

 空の上では星空と下弦の月が煌々と輝いていた。住む場所は変われど、夜空だけはいつも同じだ。昔山で見た景色と変わらない。


(そろそろ寝着に着替えても良い時間ね)


 床に就くべき時間だ。白蓮から与えられた衣は、それなりに着心地が良かったが、そろそろ着替えるべきだろう。

 また外出する機会があれば着れば良い。


「娘娘、客人がいらっしゃいました」


 侍女の声に顔を上げる。


「まさか、陛下とは言わないでしょうね?」

「仰る通り陛下です」

「なぜ、このような夜分に?」


 侍女に白蓮を迎える準備をさせる為、立ち上がると、入口の方から男性の声が耳に届く。


「おや、夫が夜に妻の寝所を訪ねる事のどこがおかしいですか?」


 そこに立っていたのは、白蓮と提灯を持った宦官であった。

 

 



 

 

 


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