6 『愛』は見えないから

 六歳の時に出会った少年の正体――白蓮バイリィエンが現在の皇帝だとするならば、彼が養父を殺すように命じた可能性は低くなる。


 当時の彼は、成人前の子供に見えた。

 まだ幼い皇太子が天子の位を賜った場合、外戚や先代の側近が、まつりごとを行う事が多いと、張家にあった歴史書に書かれていた。


(当時、白蓮の代わりに政を行っていたのは、誰かしら?)


 青衣殿のベッドの上であれこれ思考を巡らせていると、侍女の一人がやってきた。


「娘娘。明日の未の十四時頃に陛下が、青衣殿ここにいらっしゃるそうです」


「それは本当なの?」


「私達が主である娘娘に、嘘を申し上げることはございません」


 近頃、後宮にすら顔を出さなかった皇帝が青衣殿に来るということは、今までの出来事は夢ではなかったらしい。


『あの皇帝が後宮――しかも青衣殿ここに来るのかよ。一体どういう風の吹き回しだ?』


 困惑する鬼猫グウェイマオに事情を説明する。


 すると彼は尻尾をユラユラと振り始めた。

 猫は機嫌が悪い時に尻尾を振ると、聞いたことがある。


 一連の出来事を説明すると、鬼猫はピタリと尻尾を止める。


『要は、お前の正体が露見しちまったと?』


「えぇ、不本意ながら」


『こうなっちまったら仕方がねぇな。仙術を政治利用されそうになっちまったら、それっぽい事を言って誤魔化せ。間違っても気に入られるようなマネはするなよ?』


 彼の心配は最もだ。

 この国では、仙人を探し求めた天子の話がいくつも残っている。そして、恋に落ちる話も――。


(ダメだ。これ以上は考えないようにしよう。それよりも気にするべき事があるわ)


「でも気に入られた方が、皇帝から情報を得られる機会が増えるでしょう?」


 以前ならば小鳥に変化へんげすれば、いくらでも白蓮を偵察することができたが、正体が露見した今その手段は使えない。


 他の動物に変化したところで、いずれ気づかれてしまうだろう。


 ならば気に入られ寵妃になることで、白蓮と接触する機会を増やすことが、敵討ちへの近道であろう。


『あのなぁ、お前は親父を殺した男と夜を共にしたいのか?』


 確かに言われてみれば、その通り。

 白蓮の夜伽などまっぴらごめんだ。

 私はあくまで、養父の敵討ちをするべく後宮へ潜入しただけ。寵愛などいらない。


「分かったわ。皇帝には礼を尽くしても、敬愛の念は示さないようにしましょう」

 


 



「陛下に拝謁いたします」


 未の刻になり、太陽も落ち始めた頃。

 私の宿敵である男、白蓮が姿を表した。

 かつては私より少し背丈が高かった彼も今では立派な一人の男になっていた。何の術も使わずに力比べをすれば、確実にこちらが負けるであろう。


 彼が青衣殿に姿を現すなり、すぐに跪き頭を垂れる。


「賢妃であろう者が私に対してここまで畏まる必要は無いだろう。さぁ、頭を上げて立ちなさい。スカートが汚れてしまう」


「お気遣い感謝いたします。始めまして、陛下。張曇月ジャンタンユエと申します。お目にかかれて光栄です」


「おや、『始めまして』ではなく『久しぶり』の間違いだろう?」


 どうやら嫌な予感は、的中してしまったらしい。


「それにしても幽鬼妃おばけひめの正体が桃の精霊様とはね」


「えぇ、その通り……幽鬼妃おばけひめ?」


「おや、幽鬼妃おばけひめの噂を知らないのかな?」


 白蓮が僅かに目を見開く。


「初めて耳にする言葉です」


「まさか当の本人が知らないとはね。現在、後宮ではこのような噂が流れているそうだ。『青衣殿の傍を通ると、時々賢妃様が幽鬼おばけと話している声が聞こえる。故に幽鬼妃おばけひめ』と」


「それで幽鬼妃おばけひめなどという呼び名を……」


 とんでもない風評被害だ――と反論したいところだが、残念ながら鬼猫おばけと言の葉を交わしていることは、事実なのであった。


「ところで本日陛下がいらした理由は何でございまさしょぅ。入宮してから一度も青衣殿に、姿を現さなかった陛下がいらっしゃるとは――しかも昼間に」


「今まで一度も顔を合わせなかったことについては、本当に申し訳ないと思っている。正直に言おう。俺は賢妃が君だと知っていれば直ぐにでも青衣殿に足を運んだであろう。そして、今日昼にここへ来た理由は君と茶でも飲みながら語り合いたかっただけだ」


「茶……でございますか?」


 白蓮が首を縦に振る。


 彼が青衣殿に来てから腹の底で煮え立つ怒りが収まらないというのに、なぜであろうか『怒り』その物が、見えない『何か』に洗い流されるような感覚に陥る。

 多分原因は彼の声だ。

 白蓮の声を聞いていると、知らず知らずのうちに心が落ち着く。


 思考を巡らせているうちに、白蓮が連れてきた宦官達、が次々と机に茶器や甜味菓子を並べてゆく。


 料理の品数が多い事から察するに、長居するつもりらしい。


 私の仙術を政治利用したいのか、はたまた甜味に怪しげな薬でも盛られたいるのか――どのような魂胆なのか検討もつかないが、警戒をするに超したことはないだろう。


 一通り、茶菓子の準備が終わると、白蓮が私の右手を掴む。


「何を……」

「共に点心軽食でも食べましょう」


 そして、こちらの手を引きながら椅子の方へ向かった。


「手を繋がなくとも一人で歩けます!」


「いや、君が裙の裾を踏んで躓いてしまうかもしれないじゃないか」


 まるで私の親にでもなったかのような振る舞いだ。


 自身の腹に手を当てると、ぐぅー、という音が鳴った。

 丁度、胃袋が食事を求め始める時間帯だ。

 ついでに白蓮が持ってきた点心を食べても良い頃合いだろう。


 導かれるがままに、白蓮の向かい側に座る。大人になった白蓮の顔は相変わらず美しく、長く見ていれば見とれてしまいそうであった。


「それで、茶を飲みながら話したいこととは?」


「実は君に頼みがある」


「頼みですか。先に断っておきますが、私の術を政治に利用なさるおつもりなら、諦めた方がいいかと」


「いいや、俺は君を道具として扱う気など微塵はない。俺はただ、簡単な、頼みをするために、ここへ来た」


 白蓮は優しく微笑むと空になった茶杯を持つ私の右手に、そっと両手を重ね合わせた。

 

 腹の底から湧く怒りは収まらないのに、自然と心が落ちついてゆく。まるで春の陽だまりに包まれているようだ。


「どうか、今度こそ俺と添い遂げてくれないか。永遠に」


 真剣な表情でおかしなことを言う彼。


 ふと、かつての彼が、川辺で求婚してきた、あの日を思い出す。気づけば胸が高鳴り、呼吸をすることすら忘れてしまっていた。


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