7 鳥籠の中

(何を言っているの……?)


 白蓮バイリィエンの妻――すなわち妃にはもうなっているではないか。なにより、この男と永遠に添い遂げる気など毛頭無い。


 乱れていた息を整え深呼吸する。


(私は仙人の義娘よ。この程度で惑わされるものですか)


「そのような事を仰らなくても……私は後宮の妃。この場所へ足を踏み入れた時点で貴方と永遠に添い遂げる運命さだめです」


「その通りだ。しかし、君は他の妃と違い、その気になれば、いつでも王宮から逃げ出せるではないか」


「そうですね。ですが、脱走する予定は無いのでご安心下さい」


「いや、それでは急に君の気が変わってしまってしまう可能性がある。そうだな……こうなれば、いっそ鳥籠にでも入れてしまおうか」


(それでは『妻』ではなく『ペット』になってしまうじゃない)


 適切な返答が見つからない。何も言葉を発せずにいると、先ほどまで穏やかな表情を浮かべていた白蓮が目を泳がせ始めた。


「急におかしな事を言ってしまい、すまない。では話題を変えるとしよう。君が好きな物を教えてくれ。花でも色でも構わない」


 なんとか誓約を立てずに済んだ。

 もちろん、一時の嘘として適当に誓約を立てても良いのだが、例え嘘でも、この男と一生添い遂げるなどと口にしたくない。


「好きな花でしたらあります。曇花タンホォアーです」


 幼少期、養父とただ一度だけ見たことがある美しい花。夜にだけ咲き誇る気高き花。


「曇花――月下美人の別名か。ふなるほど……分かった」


 白蓮は満足そうに微笑むと、スっと右手で私の頬を触れた。 


「お見受けしたところ青衣殿の内装は少し寂しいようだし、宦官もいないようだからね。俺から色々手配しよう」


「そこまでしていただかなくても……」


「妻に、このような貧相な暮らしを、させていては俺の体裁に関わる」


(貧相って……)


 今まで青衣殿に人を呼ぶことは無かった上に、山育ち故に必要最低限の家具しかない青衣殿を、貧相などと感じることは無かった。しかし他の妃嬪ひひんからしてみれば、私の暮らしは貧相を超えて、家畜のごとき生活に見えるであろう。


 白蓮の機嫌を損なわない為にも、大人しく好意を受け取っておこう。


「感謝いたします」





 なんということだ。

 フワフワとした奇妙な感情に囚われて、我を失ってしまった。


 どうにかして、この状況を打破しなくてはならない。しかし、恋愛経験はおろか男性と関わる機会すら無かった私には、対処法など検討もつかなかった。


(そうだ。こういう時は鬼猫グウェイマオに相談すればいいのよ。だって、いつも彼は物知りだし)


 鬼猫は死人――いや、死猫になってから、かなり長い時間を過ごしているらしく、やけに博識だった。


「ねぇ、鬼猫……」


 意見を求めるべく、窓から月を眺めている鬼猫に話しかける。すると彼は、かなり不機嫌そうな低い声で話し始めた。


『なんだ。皇帝に惚れちまったか?』


「そんな訳ないじゃない。有り得ないわ」


『その割には、ずいぶんと頬を赤らめていたじゃねぇか』


 鬼猫の口から知らされた衝撃の事実に、耳を疑う。頬を赤らめるなんて――まるで白蓮に惚れてしまったみたいじゃない。


「鬼猫こそ、どうしてそんなに不機嫌なの?」


『何でだろうな。俺にも分からねぇ。ただ、お前が皇帝に触れられている所を見ていると酷く腹が立つ』


(やはり鬼猫は、私の身を案じてくれているのね。だから白蓮が私に触れることに対して腹を立てているのよ)


 彼に礼を言うべきか、謝罪するべきか迷っていると、侍女が傍に寄ってきた。

 彼女の手には、文らしき物が一つ。


「徳妃様からでございます」


「こんな夜分に?」


「えぇ、使者の方が、先ほど青衣殿に、いらっしゃいました」


 呆れた。徳妃であろう方が夜分に文とは、非常識にも程がある。更に言えば彼女から文が届くことも初めてだ。


 折りたたまれた薄紅色の紙を開き、中を確認すれば、短い文章で要件が書かれていた。まず最初に、書かれていたのは当たり障りのない社交辞令。そして、最後には「ぜひ貴方と話をしたいので素衣殿にいらして下さい」と。


 このタイミングで他の妃から連絡が来ることは想定済みだった。長い間、後宮に足を運んでいなかった皇帝が私の寝所に来たのだ。


 白蓮がどのような要件で青衣殿を訪れたのか、知りたい妃や宮女も多かろう。 

 

(徳妃といさかいを起こす訳にもいかないし、もし嫌味を言われても適当にあしらおう)



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