やっと見つけた。やっと会えた
筆先に墨をつけ、紙の上で滑らせる。
墨をつけすぎたらしく、描き始めた部分だけ、少しばかり線が太くなってしまったが、問題はないだろう。
五分ばかり筆を滑らせると、簡易的な星図が完成する。持ち主探しの術に使う物だ。
「やはり紙は便利ね。竹簡のように使い回しは出来ないけど、体積が少ないから、持ち運びや、収納には最適よ」
侍女に筆を渡し、後片付けをさせる。
内侍省の宦官が立ち去った今、青衣宮には私の他に、黙々と仕事をこなす侍女と、窓辺で昼寝をする猫――の姿をした
先程までの喧騒がまるで嘘のように、現在の青衣宮は静寂に包まれていた。
『竹簡って……何百年前の話をしているんだよ。今時、そんな物は誰も使っていねぇよ』
窓際の方をみると、日向ぼっこをしている
「お父様は俗世に疎いから、紙が開発されてから五百年以上経った現代でも、竹簡を使っていた」
『ほぉー。いつの時代も爺さんが、流行に疎いのは、同じということだな』
貴方は一体何歳なの?
いや、もう既に死んでいる時点で、年齢という概念は無くなっているのか。
「お父様の悪口を言わないで。例え貴方でも許さないから」
次は紙の上に先ほど拝借した髪の毛を設置し、呪言を唱えながら息を吹きかける。
すると一筋の煙が立ち上る。
「汝の持ち主は何処にいる?」
その煙を掴みもう一度息を吹きかける。すると煙は小鳥の形となり、窓の外へ飛びさろうとする。
「鬼猫、私はあの鳥が向かう先を確認してくるわ。留守番は任せたわ」
『おう。気をつけて行ってこいよ』
浅葱色の
いや、周囲が大きくなったのではない。
私が小さくなったのだ。
両羽で風を掴み、後宮を空から見下ろす。ここからならば、女官達の噂話から、妃達の陰口まで。何もかも筒抜けだった。女官の中には、こちらに向かって「あら、小鳥さん。今日も暑いわねぇ」と話しかけてくる者もいる。
誰一人、小鳥の正体が張賢妃だとは気づいていないらしい。
数々の邸を抜け、庭園を抜け、やがて、冷宮を抜けると、後宮を囲む塀まで辿り着いた。本来ならば一度超えれば二度と超えることは無い塀。
後宮が隔離された空間であることの象徴。
しかし、鳥へと変化した今の私ならば、いともたやすく超えることができる。
塀を越えた先で待っていたのは皇帝の居住区――ではなく、墓地だった。
聞くところによれば、この墓地は先帝の命令で作られた物らしい。
本来、皇帝や妃が亡くなった場合は、宮廷とは別の場所に設けられた墓場に葬られるが、奴婢や宦官までも葬ることはできない。
そこで代わりに彼らを弔うために作られたのが、この墓場だ。
陰気くさい場所であることに変わりはないが、野鳥が集まっていないことから最低限、火葬はされていると思われる。
煙の小鳥は、墓碑に降り立つと雲散してしまった。
要するに髪の主は死人だ。
墓碑に近づき、刻まれている名を確認する。
それがこの墓碑に刻まれた名であった。
おそらく遊牧民族の男か。
宦官として後宮に入ったのであろう。
(宦官の死体から髪をむしり取るなんて。罰当たりなことをするものね)
それにしても不可解な点が一つある。
恋愛成就の
徐貴妃の術式に対する理解が足りなかっただけか、あるいは誰が皇帝の髪だと偽って彼女に死人の髪を献上したのか。
(いずれにしても、徐貴妃が皇帝からの寵を取り戻すために術を行使した可能性は消えたわね)
本来ならば、今すぐにでも内侍省に捜査の続きを任せて、養父の死について調べたいところだが、正体を隠さねばならない関係上「術を使って髪の主を調べた」などと報告するわけにはいかない。
(とにかく今回の件については、誰にも報告しないでおこう。上手く活用すれば徐貴妃を味方につけられるかもしれない)
塀の手前で引き返し、皇帝が生活を営み、政治を行う場である黎明殿へと向かう。
このまま青衣宮に戻っても良いのだが、どうせなら空の旅を続けよう。
他の妃は持たない、私だけの特権だ。
深紅色に染まった建物の上をいくつか通り抜ける。もう少し飛べば、皇太子が暮らす東宮が見えてくるだろう。
しかし東宮にたどり着くより先に、美しい花々に囲まれた蓮池が現れた。
後宮にある物と、よく似ている。
そして、蓮池を眺める男が一人。
服装からして、この男こそが皇帝なのであろう。
(このまま、あいつの髪を、ついばんでしまいたい……)
腹の底からみなぎる熱を押さえつつ、庭園の中央にある大木の枝にとまり、皇帝を眺める。もし本当に皇帝の髪をついばんだ場合「誰か、あの鳥を撃ち落とせ」とでも命令されれば、たまったものではない。
皇帝は先ほどから池を眺めながら、なにやら物思いにふけているようだ。背丈は高く、体格はそれなりに良い。しかし、表情は穏やかで、とても山奥に住む老人を殺すよう命じる人間には見えなかった。
(とはいえ。人は見かけによらぬもの。あの男が仇であることに変わりはない)
このまま彼を眺めていても何も収穫が得られそうにないので、このまま青衣殿に帰るべく、両羽を動かす。
すると羽の音からこちらの存在に気づいたのか、皇帝が顔を上げ、こちらを凝視する。
もちろん、現在の姿は、ただの小鳥なので見られたところで何も問題はないが、全身に氷のような恐怖感が襲う。
そして、次に皇帝が放った言葉は、衝撃的な物であった。
「
全身を押しつぶさんとする恐怖感に耐えられなくなり、急いで空へと飛び上がる。
これでは私の正体が曇月だと
(一度も青衣殿へ来た事が無いくせに。名前だけは知っているのね)
いや、それ以前にどうして小鳥の姿である私の姿を見て、正体が分かった?
養父以外この姿を知っている者など居る筈が――。
そういえば居たわね。
たった一人だけ。
小川で出会った少年。
彼だけは、この姿を知っている。
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