第一章 蔓延る呪詛
4 恋の呪い
過去のことを、あれこれと思い出しているうちに、寝所である青衣殿へたどり着く。
中へ入ると、数人の侍女が出迎えた。
彼女達は皆、私が紙人形から作り出した傀儡だ。本来ならば、宦官に侍女が欲しいと申し出れば、いくらでも手配してくれるはずである。しかし、安全性や機密保持の点では、人間より紙人形の方が扱いやすい。
「お帰りなさいませ、娘娘。そろそろお腹が空く時間だと思い、
侍女――の形をした紙人形に導かれ、青衣宮の奥にある机へと向かう。
そこには、牛肉入りスープである羹と、茶が用意されていた。
牛といえば、農作業するには必須の動物だ。それを食べるなど、庶民では思いつかない発想である。
張家から送られてきた茶器は、それなりに高価な物であったが、対象的に周囲の家具は質素な物を選んで置いている。
襦裙も同様だ。本当は、それなりに飾りたいのだが、残念ながら山育ちである私には『着飾り方』という物が分からなかった。
幸か不幸か、この青衣殿を授けた張本人である皇帝を含め、来客は一切ないので、気にする必要はなかったが……。
席につき饅頭へ手を伸ばした、その時。
「邪魔だ。さっさと下がれ!」
外から男性の声が響く。
恐らく宦官であろう。
「何事なの?」
外の様子を見に行けば、青衣宮の侍女が中に入ろうとする宦官と数人の兵を、文字通り力づくで止めようとしていた。
(そういえば、紙人形には無断で侵入しようとする者は止めろと伝えてあったな……)
「待ちなさい、貴方達。その宦官を入れてやりなさい」
こちらが呼びかけると、侍女達はスっと宦官から離れ整列する。
「
「礼には及びません」
「それにしても、礼儀がなっていない侍女ですなぁ。こちらから信頼できる人材を送りましょうか?」
「その必要はありません。侍女には私から注意しておきましょう。それよりも、貴方は誰の使いですか?」
「あぁ、
内侍省は妃嬪や皇帝の日常生活を管理する機関だ。宦官が務めている。
「なぜ内侍省の使いが青衣殿に?」
「実は先ほど貴妃様がお倒れになりました」
「それは『死んだ』という意味でしょうか?」
「命に別状はありませんが、突如お倒れになってから、ずっと高熱にうなされております」
「まさか、私が犯人だとは仰りませんよね?」
「それがですね……徐貴妃様によると、張賢妃様に呪いをかけられたと……」
❀
「
「調べましたが、術を行使した形跡はありません」
青衣殿の中を宦官達が走り回る。
過去に家を賊に荒らされた身としては、不快極まりないが、あちらも職務を全うしているだけだ。
なにより仙術に使う道具類は、見つからないように細工を施してあるので、いくら調べられようが問題はない。
一通り調査が終わると宦官の一人が、私の前に立ち深々と拱手をした。
「どうやら杞憂であったようです。しかし、賢妃の疑いが晴れた訳ではないので、また取り調べに参上いたします。では、失礼いたしました。これにて我々は内侍省に……」
膝まついた宦官は一斉に立ち上がると、青衣宮の外へ出ようとする。
「待ちなさい。貴妃様が倒れた……とのことですが、その原因が呪詛である証拠はあるの?」
「はい。貴妃様の寝所から呪具だと思われる札が見つかっております」
「札……?」
(なるほど。呪具を直接、対象の生活空間に送る呪いか。)
「その札を私に見せなさい」
「ですが……賢妃様にも呪いが移ってしまうかもしれません」
「それならば心配には及ばないわ。私の知り合いに、それなりに腕の良い道士がいるの。
宦官達は少しばかり話し合うと、
「承知いたしました。少々お待ち下さい」
❀
「こちらで、ございます」
一刻ほど経ち、内侍省に戻った宦官達が再び青衣殿の戸を叩く。
そして、差し出されたのは、怪しげな紋様が刻まれた木札だった。
(簡易的な呪具ね)
この呪具なら養父から使い方を教えてもらったことがある。確か呪いの対象を苦しめるような物ではなかったはず。
「短い刃物を」
側へ控えていた侍女へ指示を出すと、厨に控えていた奴婢が、小型の包丁を差し出し、侍女がそれを私の手元へ運ぶ。
無論、奴婢も紙人形だ。
「娘娘、何をなさるおつもりで?」
「呪詛の対象が本当に貴妃様であったのか確認するの」
「それはどういう……」
「見ていれば分かるわ」
札の側面を切り裂き真っ二つにする。
すると、中から一枚の呪符と短い髪の毛が数本入っていた。
呪符の片面には
「これは恋愛成就の術式ね」
「なんと、対象を呪殺する物ではなかったのですか?」
「そうよ。呪符に自身の名を書き、結ばれたい対象の髪と共に木札に入れる。それを寝床の下に入れれば恋が叶う……」
「なるほど。
「いいえ、これはれっきとした
「代償……ですか?」
「そうだ。例えばこの札の場合、払わなくてはならない代償は『命』ね」
宦官の顔から、みるみる血の気が引いてゆく。そして、彼の足下からあざ笑うかのような高笑いが聞こえてきた。
「札に術者の名を書き、結ばれたい対象の髪を入れる。そして、犠牲にしたい者――言換えるならば、生け贄の寝床に札を忍ばせるの」
「どうして貴妃様は、ご自身の寝床に呪具を入れたのでしょうか。これでは自ら呪いを受けてしまいます」
「それは分からないわ。単純に術式の使い方を理解しておらず、自身を生贄にしてしまったのか。あるいは、誰かに嵌められたのか……」
呪符の筆跡を見てみれば、紋様が雑な割に線が綺麗であった。恐らく術者は見よう見まねで書いたのであろう。
「申し訳ないけど、私には、これ以上のことは分かりかねるわ」
「いえいえ、ここまで御協力頂きありがとうございます。髪は十中八九、陛下の物でしょう。貴妃であろう方が、陛下の寵を手に入れる為に、このような恐ろしい物に手を出すとは……」
髪の束から一本抜き取り、残りを宦官に渡す。幸い髪が減っている事には気づいていないらしく、宦官達は礼をすると、そのまま青衣殿から立ち去っていった。
青衣殿に再び静寂が訪れる。
残念ながら饅頭は冷めてしまったが、厨の奴婢に再加熱してもらえば良い。席に着こうとすると、足元から鬼猫の声が響く。
『どうして髪を一本抜いた?』
「髪の主を調べるためよ」
『それは皇帝で確定だろう?』
「よく見なさい。皇帝の物にしては短すぎるでしょう?」
この国では基本的に男子は、長く伸ばした髪で
しかし、木札に入っていた髪は非常に短く、これでは
国の頂点たる皇帝が慣習に従わぬはずもなく――となれば、これは皇帝の髪ではないということになる。
他国、あるいは他民族の男から手に入れた物だろうか?
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