3 私が選ばれた日


 真っ直ぐ山の頂上へ向かえば、やがて養父の家がある仙境へ辿り着く。

 仙境には、毎日違う果実がなる木や、酒が湧く泉があったが、全ては飾りで、養父と私が実際に口にすることはなかった。


 このまま家へと入れば、養父が「どこで道草食っていた!」などと叫ぶであろう。

 もう慣れた光景だ。もう慣れてしまったのに――。


「書物は見つかったか?」


「いえ、将軍。書物どころか仙術に関わりそうな物は一切……」


 家が荒らされている。

 壁は破壊され、家具は散らばっている。

 そして、見知らぬ男が何十人も何かを探していた。


 鳥の姿から人型に戻り、物陰に隠れる。


「見つからぬのなら仕方あるまい。命じられた任務は果たした。早く、あの方へ報告するぞ」


 男のうち何人かが持っていた旗には、三本爪の龍が刺繍で施されていた。三本爪は皇帝を象徴する物だ。

 すなわち、この男達は皇帝軍……?


(あれが皇帝軍のする事なの――まるで強盗じゃない!)


 なにより、ここは仙人の領域である仙境。

 只人ただびとが無断で立ち入り、荒らすなど許されざる大罪だ。

 皇帝軍が撤退したことを確認してから、家へと駆け込む。


「お父様。ご無事ですか?」


 家中を確認したが、養父の姿はどこにもない。ただ一つ残ったのは、皇帝軍によって破壊された家屋だけだ。


(もしかしてお父様は皇帝軍にさらわれた?)


 仙人であろう、あの方がなぜ……。


 あまりにも衝撃的な出来事故に、頭が真っ白になる。思わず膝から崩れ落ちそうになると、背後から男性の声がした。



『ヤツなら死んだぜ』



 恐る恐る振り向くと、そこには半透明の白猫が、毛繕いをしながらこちらを見ていた。


「貴方は神……それとも仙?」


『そんな立派なモノじゃねぇよ。俺はただの幽鬼幽霊だ。適当に鬼猫グウェイマオとでも呼んでくれ』


「どうして幽鬼が、ここにいるの?」


『そりゃあ、見ちまったからなぁ……』


「何を?」


『この家に住む仙人が殺される様子だよォ』


 鬼猫の言葉を聞いた途端、言葉を失ってしまう。脈が早まり、息が苦しくなる。


「そんな馬鹿な……遺体だって……」


 遺体だって無いではないか。そう言いかけたが、 口を閉ざす。

 そういえば養父によれば、仙人は死んだ際に遺体を残さないそうだ。


「百歩譲って、本当にお父様が殺されたとして、何故殺されたのよ。不意打ちでも食らったというの?」


 仙人としては、まだ若輩者である養父だが、少なくとも一般人ごときに、殺されるはずが無い。


『ちげぇよ。あの男は、わざと抵抗しなかったぜ。理由は俺には分からねぇが……』


 抵抗をしなかった――?

 一体、養父の身に何が――?


『そんで、嬢ちゃんよ。親父の敵討ちはしないのかい?』


「敵討ちって……皇帝を暗殺しろと言うの?」


 皇帝軍は、国の頂点たる皇帝直属の軍隊だ。つまり、養父を殺す命令を下したのは皇帝という事になる。


「無茶を言わないで。そもそも、どうやって宮中に入れば良いのよ?」


 鬼猫は、まるで当然のことを話すように、淡々と答える。


『それなら簡単だ。妃として後宮に入ればいいのさ』


 荒れ果てた仙境に、にゃあと不気味な猫の声が響いた。





 確後宮に入ること自体は至って簡単である。妃嬪になる方法は概ね三つ。


 一つ目は容姿による選抜。

 二つ目は貴族による献上。

 そして、三つ目は戦争捕虜か罪人の家族が後宮へ送られる場合。


 仙術で顔を偽造して選抜を受ければ、後宮に侵入することは容易い。しかし、これでは一つ問題がある。


 後宮の中では、細かい階級制度がある。

 正妻である皇后を頂点として、妾という扱いの妃達から雑用係の宮女まで。

 役職の数は数え切れないほどだ。


 そして、階級によって皇帝に会える確率は大きく異なる。後宮で暮らす女は一万人。

 高い階級の女は定期的に皇帝の寝所に呼ばれるが、大半の女は一生、皇帝の顔を拝むことはできないと聞く。


 特に三つの方法で、後宮へ入った場合は最悪だ。確実に最下層の身分である奴婢にされる。


 念の為、鬼猫に相談すると『それなら気にしなくていいぞ。少し待ってろ』と淡々とした返答が飛んできた。


 彼なりに策があるらしい。


 半信半疑で言われるがままに荒らされた家で待っていると、ジャン家出身の男が訪ねてきた。

 張家は有名な貴族の家系だ。山育ちの私でも、名前ぐらいは聞いたことがある。


「娘よ。賊に襲われたのか?」


 そう問いただす男に対し、私は「はい。盗賊に両親を殺され金品を奪われました」と返答。すると男は「ならば私の養子にならないか?」と返した。


 なぜ山で出会った孤児みなしごを引き取ろうとするのか、私が聞き返すと男は「それはまだ教えられない。教えることが出来る日が来るまで、貴族の娘らしく教養や礼儀作法を学ぶことに励みなさい」とだけ答えた。




「近づかないでよ。卑しい山娘」


 パジッという乾いた音と共に、茶器が転がり落ちる。陶器が砕け散る音と共に、右手に痛みが走った。


「茶を持ってこいと仰ったのは、姉上ではありませんか」


「アンタに姉と呼ばれる筋合いは無いわよ!」


「ともかく父上には、茶器を破壊したのは姉上だと伝えますからね」


 張家の長女である海霞ハイシャが、こちらを睨みつける。小柄で可愛らしい容姿とは対照的に、彼女の眼光は、誰よりも鋭く、気に食わないことがあれば、すぐに口に出すほど気が強い正確であった。


 現在、張家には三人の子供がいる。

 長男が一人。そして、残り二人が海霞と私である。長男はバカがつくほどの真面目で、官吏の間でも信頼が厚く、一言で表せば『将来有望な青年』である。

 彼が短気な海霞と、血を分けた兄妹であるという事実が信じられない。


「それにアンタ、時々誰もいない方ばかり見ているじゃない。本当に気味が悪いわ。まるで幽鬼でも見えているみたい」


(本当に見えているけどね……)


「そうだ。いい事を思いついたわ」


 海霞はニヤリと口角を上げる。


「アンタを娼家に送ってしまえば良いのよ。そうすれば、その生意気な態度も直るでしょう?」


 右腕が海霞に掴まれそうになる。

 同時に背後から鬼猫の叫び声が響く。

 何かを言い返そうと口を開いた、その時――。

 

「なんの騒ぎだ!」


 部屋の扉が開く。

 その先で仁王立ちをしていたのは、海霞の父であり、張家の主でもある暁嵐シャオランであった。


「いい加減にしろ。海霞」


「お父様、だって……」


「言い訳はいらん。どうしていつもお前はそうなんだ。物覚えは悪いし、楽の才も無い。極めつけには妹を娼家へ送るなどと言う」


「こんな、どこぞの馬の骨が分からぬ娘を、妹と呼びたくはありません」


「お前の考えはどうでもいい。とにかく一族で話し合った結果、陛下へ妃として曇月を献上する事になった」


「そんな……この娘は山で拾った平民ではありませんか!」


「生まれなど、どうでも良い。陛下の妃になるということは、一族の命運を握るということだ。器量も大したことがなく、勉学にも励まないお前に、その大役が務まるものか。私は元より曇月を後宮へ送るつもりで、引き取ったのだ」


 海霞が泣き崩れる。

 この様子を眺めていた鬼猫は「因果応報だよなぁ」などと呟いていた。

 


 

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