謎の少年
私の養父は本物の仙人であった。
何故わざわざ肩書きに『本物の』という言葉を加えたのかというと、近頃は仙人や巫術師を名乗る詐欺師が多いからだ。
噂によれば、都や宮廷には詐欺師が溢れかえっているらしい。
対して養父は紛れもない『本物』だった。
水面を歩き、鳥となって空を飛び、紙人形に魂を宿し込む。物語でしか語り継がれることが無かった御業の数々を私は、この目で見てきた。
十年前、まだ六歳であった私を引き取った養父は、まだ何も知らない無垢な子供であった私にいわゆる『仙道』と呼ぶべき物を教えてくれた。
様々な仙術から、伝承、不死へと至る方法まで。彼が教えてくれた事は、星の数ほどある。授けてくれた知識は、仙道に関わる物だけではない。読み書きや、礼儀といった淑女としての教養まで。
彼は全てを教えてくれた。
満足だった。満ち足りた生活であった。しかし日常生活そのものはお世話にも快適とは言えなかった。なにせ俗世から離れなくてはならない
肝心な食事でさえ「仙道を志す者は無欲であるべきだ」と述べる養父によって、様々な制約を受けていた。
酒はもちろん禁止。
肉や、米、砂糖でさえも。
養父なりに最低限栄養は補給できるようなは配慮をしていたようだが、正直うんざりしていた。
だから、あの日も水汲みへ向かった私は、家に帰らず、川を眺めていたのだろう――。
***
笛の音が響く。
美しくも儚い、そんな音色が。
足元を見下ろせば、現在足場になっている大木の枝が目に映る。それより下には、煌めく小川と、中身が満たされた水瓶が放置されている。
そして川の向かい側では、満開の梅が咲き乱れていた。
目を閉じ、耳を澄ます。
水が流れる音。
子鳥のさえずり。
笛の音。
全てが心地よい。
木製の笛を、口元から遠ざける。
この笛は養父が十歳の誕生日にくれた物だ。彼いわく、作る過程て特別な
再び笛を口元へ寄せた、その刹那。
足元から少年の声が響く。
「君は何者だ?」
声がした方向を見ると、一人の少年がこちらを見つめていた。服装から察するに裕福な家庭出身であろう。
質の良い生地に見合った象牙のように白い肌に、夜空よりも美しい黒髪。年は私より年上に見える。
少なくとも容姿については『完璧』としか言いようがない男だ。
「それはこちらの台詞よ。ここは、貴方ような金持ちの坊ちゃんが来るべき場所ではないと思うけど」
「若い女の子が一人で来るべき場所だとも思えないが」
「私はもともと、この辺りに住んでいるの。ここに来た理由も単純に水を汲みに来ただけで……」
「俺には君が、呑気に川辺で笛を吹いているようにしか見えないな」
「これは……その……」
「サボりか?」
「そうよ……」
少年は優しく微笑むと、そのまま木の上へ登ってきた。華やかな服装には似合わない軽やか身のこなしで。細かい刺繍がされた衣からは、お日様の匂いがする。
しばらく少年と川を眺めていると、桃色の小鳥が空から降りてきた。少年が手を差し出すと、小鳥は彼の手のひらへ降り立った。
「山に住む娘よ。名をなんという?」
「先に名乗るのが礼儀でしょう?」
少年は暫く沈黙した後、口を開いた。
「俺の名は
「そう、白蓮ね……。私の名は
「ほう、美しい名だな」
白蓮の手に乗った小鳥が飛び立ってゆく、心做しか彼の表情は少し悲しげに見えた。
「山に住んでいるということは、木こりの娘かい?」
「いいえ」
「ならば親の職業は何だ?」
そう、私は断じて木こりの娘などではない。だからといって、正直に仙人の義娘だと名乗る訳にもいくまい。
(道士の娘とでも説明しようか)
色々と考えを巡らした末、私は一つの答えにたどり着いた。
「私は……花の精霊。
この少年に本当の身分を教える義務は無い。とはいえ木こりの娘では、華やかさに欠ける。
ならば、思い切って花の精霊と名乗ってしまっても良いだろう。
疑うような目を向ける少年。
しかし、数秒後には、まるで何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべた。
「では、決めた」
「決めたとは?」
白蓮は笛を持つ私の右手に両手を重ねる。
「俺の妃になってくれ」
「は……?」
今何と言った?
『妃』になれ、そう言ったはずだ。
養父から昔教わったことある。
『妃』というのは『妻』という意味だと。
つまり、この男は、まだ月の障りすら来ていない少女を妻にしようとしているのだ。
もしや、金持ちたちの間では、道端で出会った男を口説くことが常識なのか?
「承諾して下さりますか?」
白蓮の美しい顔が迫ってくる。
(承諾も何も、私は不死を求め修行をする身だ。誰かと結ばれるなどあり得ない)
ここは逃げるべきだ。
本能的にそう感じ取り、彼の手を振り払う。
息が苦しくなり、締め付けられた胸が早く逃げろと警笛を鳴らしている。
そして、そのまま前方に一歩踏み出し、木の枝から落下。これが大抵の人間ならば、そのまま地面に向かって身を投じることになるが、私には問題ない。
全身が熱を帯び、両手の感覚が無くなる。
そして、そのまま両腕――否、両羽を動かして空へと飛びたつ。
小川の方へ視線を動かす。すると、空を飛ぶ桃色の鳥と、呆気にとられた表情の少年が写っていた。無理もない。なにせ先ほどまで話していた少女が、急に鳥へと姿を変えたのだから。驚いて当然だ。
美しい顔が目を見開いている様は、もはや滑稽だった。
そのまま私は中身が満たされた水瓶を足で掴み、高度を上げた。
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