2 謎の少年

 私の養父は仙人であった。

 何故肩書きに『本物の』という言葉を加えたのかというと、それは近頃、仙人や巫術師を名乗る詐欺師が多いからだ。噂によれば、都や宮廷には詐欺師が溢れかえっているらしい。


 対して養父は紛れもない『本物』だった。水面を歩き、鳥となって空を飛び、紙人形に魂を宿し込む。


 全て今まで私が、この目で見てきた彼が仙人であることを証明する御業みわざだ。


 しかし、養父は仙術の腕とは対照的に『他人に教える』という点では、壊滅的にセンスが無かった。


 十年前、まだ六歳であった私を引き取った養父は、まだ何も知らない無垢な子供であった私に『仙道』と呼ぶべきものを教えてくれた。


 様々な仙術から、不死へと至る方法まで。

 彼が教えてくれた事は、数え切れないほどある。

 仙人となる為に必要な知識だけではない。

 読み書きや、礼儀といった淑女としての教養まで。彼は全てを教えてくれた。


 しかし、日常生活そのものは不便極まりなない物であった。なにせ俗世から離れなくてはならないゆえ、住む場所は山の中。


 肝心な食事でさえ「仙道を志す者は無欲であるべきだ」と、厳しい制限を受けていた。


 酒はもちろん禁止。

 肉や、米、麦でさえも。

 

 正直うんざりしていた。


 だから、あの日も水汲みへ向かった私は、家に帰らず、川を眺めていたのだろう――。



❀.*・゚



 笛の音が響く。

 美しくも儚い、そんな音色が。

 少し見下ろせば、光が反射し煌めく小川と、馬の足跡がついた道、水で満たされた瓶。そして、現在足場となっている大木の枝が見えた。


 そして、川の向かい側では、満開の梅が咲き乱れている。


 使用していた木製の笛を、口元から外す。

 

 この笛は、養父が十歳の誕生日にくれた物だ。彼いわく、作る過程て特別なまじないがかかっているらしい。その為か、この笛を使用していると、自然と気持ちが和らいだ。


 再び笛を口元へ寄せた、その刹那。


 足元から少年の声が響く。



「君は何者だ?」



 声がした方向を見ると、一人の少年がこちらを見つめていた。服装から察するに裕福な家庭出身であろう。

 質の良い生地に見合った象牙のように白い肌に、夜空よりも美しい黒髪。年は私より年上に見える。

 少なくとも容姿については『完璧』としか言いようがない男だ。


「それはこちらの台詞よ。ここは、貴方ような金持ちの坊ちゃんが来るべき場所ではないと思うけど」


「若い女子おなごが一人が来るべき場所だとも思えないけどね」


「私は元々この辺りに住んでいるの。ここに来た理由も単純に水を汲みに来ただけで……」


「おや、呑気に川辺で笛を吹いているようにしか見えないが?」


「これは……その……」


「サボりかな?」


「そうよ……」


 少年は優しく微笑むと、そのまま木の上へ登ってきた。しかも、華やかな服装には似合わない軽やか身のこなしで。


 てっきり、彼からは汗の匂いがするものだと思っていたが、予想とは裏腹に天日干しされた衣のような香りがした。


 暫く少年と川を眺めていると、桃色の小鳥が空から降りてきた。少年が手を差し出すと、小鳥は彼の手のひらへ降り立った。


「山に住む娘よ。名をなんという?」


「先に名乗るのが礼儀でしょう?」


 少年は暫く沈黙した後、口を開いた。


「俺の名は白蓮バイリィエンだ」


「そう、白蓮ね……。私の名は曇月。張曇月」


「美しい名前だね」


 白蓮の手に乗った小鳥が飛び立ってゆく、心做しか彼の表情は少し悲しげに見えた。


「山に住んでいるということは、木こりの娘かい?」


「いいえ」


「ならば親の職業は何だ?」


 そう、私は断じて木こりの娘などではない。だからといって、正直に仙人の義娘だと名乗る訳にもいくまい。


(道士の娘とでも説明しようか)


 色々と考えを巡らした末、私は一つの答えにたどり着いた。


「私は……花の精霊。ゆえに親は居ません」


 この少年に本当の身分を教える義務は無い。とはいえ木こりの娘では、華やかさに欠ける。


 ならば、これが最適解だろう。


「冗談でしょう?」


 疑うような目を向ける少年。

 しかし、数秒後には何事もなかったかのように穏やかな笑顔を向けた。


「では、決めました」

「決めたとは?」


 白蓮は笛を持つ私の右手に両手を重ねる。


「俺の妻になってくれ」

「は……?」


 この男は今、何と言った?

 『妃』になれ、そう言った筈だ。

 養父から昔教わったっことある。

 『妃』というのは『妻』という意味だと。


 つまり、この男は『まだ月の障りすら来ていない少を妻にしたい』と言っているのだ。


「承諾して下さりますか?」


 白蓮の美しい顔が迫ってくる。


(承諾も何も、私は不死を求め修行をする身だ。誰かと結ばれるなどあり得ない)


 ここは逃げるべきだ。

 本能的にそう感じ取り、彼の手を振り払う。

 

 そして、前方に一歩踏み出し、木の枝から落下する。

 通常ならば、そのまま地面にまっしぐらだが、そうはならなかった。

 全身が熱を帯び、両手の感覚がなくなる。

 そして、そのまま両腕――否、を動かして空へと飛びたつ。


 小川の方へ視線を動かすと、空を飛ぶ桃色の鳥と、呆気にとられた表情の少年が写っていた。無理もない。なにせ先ほどまで話していた少女が、急に鳥へと姿を変えたのだから。


 そのまま私は中身が満たされた水瓶を足で掴み、高度を上げた。



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