26 宴の前日

「ご理解いただけたようで何よりです」


「それで貴方は陛下に皇太后様を、幽閉させたいと思っている――という解釈で良いかしら?」


 紫藤ズートンの狙いが、単に白蓮バイリィエンが皇太后の話を聞かず、自身の意思で政を行わせるだけならば仇討ちとは呼べない。

 だからといって公的な方法で皇族を、処刑する事は法で禁じられている。ならば、考えられる罰は、ずばり『幽閉』だ。


「よく分かっておいでですね。見目麗しいだけではなく察しも良いとは……」


(紫藤様には悪いけど、復讐をするなら白蓮に頼らず自力でやらない――)


 でも……もし私が皇太后を打ち倒した日には、白蓮は失望するでしょうね。お父様が亡くなってから私は、復讐の鬼として、この身を怒りで燃やしてきた。


 だから後悔など存在しないはずなのに……今は、白蓮が悲しむ様子を想像するだけで、胸が苦しくなる。


 きっと、白蓮に全てを告白した、あの夜から私の運命は、なにもかも変わってしまったのだ。されども後悔は無い。


 だって幸せだから。


 翡翠色の碁石を掴んだ紫藤は、次の手を考えているようであったが、最後には諦めたように碁石を器に戻した。

 まだ碁盤は埋まっていないのに。


「残念、僕の負けです」 


「まだ終わっていませんよ」


「いえ、ここで僕がどこに石を置いても、次の手を迎える前に君に逆転されるでしょう」


「でも私が次の手を誤る可能性もありますよ」


 紫藤が苦笑いをする。


「まさか、君は最初から常に最善の手しか打ってないじゃないですか」


 まさか紫藤相手に碁で勝つことができるとは――。


 呆気にとられ、言葉を失う。

 気まづい空気が流れる中、扉を叩く音が響いた。


「おや、どうやら兄上が戻ってきたようですね」


(白蓮が戻ってきたら、扉を叩くよう宮女に指示していたのね)


 廊下からコツコツと足音が近づいて来て、やがて部屋の前で止まった。

 そのまま扉が開かれ白蓮が入ってくる。


「兄上。どうかさなさいましたか?」


 白蓮は紫藤の問いかけを無視して、私の傍へ歩み寄ってきた。


曇月タンユェ、君の事が心配で戻ってきた。紫藤に何かされていないか?」


「いいえ。何も……」


 口説き文句まがいの言葉なら、色々と言われたが――具体的に何かをされたかと問われれば、答えは「いいえ」だ。


「ほら、兄上。僕は何もしないと言ったではないですか」

「そっ、その通りであったようだな……」


 わざわざ私のみを案じて戻って来るなんて……相変わらず心配性な方ね。


「兄上が仰った通りジャン賢妃様は、見目麗しいだけではなく、機知に富んでいらっしゃる素敵な方ですね」


「そうだろう?」


「ですから僕の策で戦に勝利したあかつきには、褒美として張賢妃様を僕に下さい」


 白蓮の表情から笑顔が消える。


「断る。例えお前の策で、どれだけ大きな勝利を収めても曇月タンユェだけはやらん。というか曇月を金品のように扱うな」


「例え彼女が僕を選んでも?」


「それでも渡すつもりは無い」


「なるほど」


 冷たい視線を向ける白蓮に対して、紫藤は怪しげな笑みを浮かべたまま茶を飲んでいた。


「やはり兄上は、張賢妃様を相当深く愛していらっしゃるようだ。いやぁ、熱いですねぇー」


「なんのつもりだ?」


「兄上を試してみたかっただけですよ。別に兄上から張賢妃様を奪うつもりは、一切ありませんので、そんな顔なさらないで下さい」


「くそっ、お前というやつは……」


 白蓮は頭を抱えて、ため息をついた。

 ひとまず最悪の事態は回避できたらしい。


 兄とはいえ、天子である男に冗談を言う紫藤――そのうち彼の首が飛ばないか心配だ。





「へぇー、紫藤様って噂通り美丈夫な方なのね」


「性格は難ありだけどね……それよりも、姉上は紫藤様について知っていたの?」


「えぇ、数日前に黎明宮で紫藤様に話しかけれた宮女がいてね。その子いわく、紫藤は美丈夫な上に詩歌や碁にも秀でておられる文化人らしいわよ。ここまで完璧な方なのに、酒好きなのが少し残念ね」


 楽しそうな笑みを浮かべながら噂話について語る海霞ハイシャ。彼女の手には何本もかんざしが握られている。

 対して、一応彼女の主人である私は、彼女から指示された襦裙を、まといながら、姿見を前にずっと座っていた。


 海霞から着るよう指示された衣は、ヤオ徳妃から貰った上衣と、白蓮から賜った下衣である。


 純白の襦は、袖の辺りが牡丹色に染まっており、秘色ひそくの裙と、組み合わせるには、うってつけだった。


「陛下から頂いた象牙の簪も素敵だけど――どうせなら金の方が目立つわよね。腕輪は翡翠が良いかしら」


 そう言って海霞は、象牙の簪を木箱に入れ、今度は紅宝石ルビーがはめられている金の簪を取り出し、私の髪にさす。

 これで何本目だろうか?

 先ほどから海霞は、ずっと私に装飾品をつけては、すぐに取る行為を繰り返していた。


「姉上、そこまで悩まなくても……宴会の衣装なんて、どれでも良いと思うけど?」


「ダメよ。貴方は未来の皇后でしょ。そのような女性が陛下の誕生を祝う宴で、他の妃より見劣りする衣を着るなんて……私が絶対許さないわ」


「えぇ……そう……」


 海霞が口を尖らせながら言い返す。

 彼女の衣装に対する熱意は本物らしい。


 瑤徳妃と千秋節宴せんしゅうせつえんの準備を始めてから一ヶ月。慣れない作業に悪戦苦闘しながらも、気づけば前日になっていた。


 準備は完璧だ。

 装飾、余興、食事。

 どの分野でも抜かりなく、完璧に整えた――つもりである。


 作業の合間、シュ貴妃が何度も「手伝おうか?」と問いかけできたが、全て断った。


 単純に宴を成功させるだけならば、経験豊富な彼女の手は是非とも借りるべきだが、彼女が何を企んでいるのか分からない今、それは危険だった。


(何より、これは私が任された仕事よ。心配性の白蓮を安心させる為にも、最後までやり遂げないと――!)


 そう、例え今の生活が、養父の仇を取るまでの『偽り』であっても――。

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