飯に勝るものはない
「後宮に入ってから、私なりに努力はしてみたけど――結果は、全然ダメだったわ。上位の宮女には庶民生まれの女が多くて、最初は悔しい気持ちで一杯だった。けれども、私は文句を言わず黙々と働いたし、読み書きができない子がいたら代書もしたのよ。でも……そうしたら……」
「『教養があることを見せびらかしたいのね』とでも言われましたか?」
突如、凛とした女性の声が響く。
素衣宮の侍女頭が口を挟んだのだ。
「
「
瑤徳妃が侍女頭の方を見ながら呟く。状況から察するに明璋は彼女の名前らしい。
「娘娘、口を挟んでしまい申し訳ございません。かつての私にも身に覚えのある話でしたので、つい……」
「大丈夫よ。そう、貴方も色々と苦労していたのね」
「そうだ姉上、お腹は空いていませんか?」
「急に何を言い出すの?」
「これから私と瑤徳妃様で夕餉を作るつもりなの。もしお腹が空いていれば、姉上にも試食をして欲しいと思っているわ」
「試食ねぇ……」
海霞が口を閉ざし、素衣宮が沈黙に包まれる。
「別に無理強いするつもりは無いですよ」
「嫌だとは思ってないわ。そうではなくて、ただ試食するより、私も協力するべきだと思ってね」
「姉上に負担をかけるわけには……」
「貴方は妃で、私は官女よ。負担をかけられて当然よ。それに、ここまで丁寧に手当てして頂いたのに何もしない訳にはいかないわ」
隣で様子を見ていた明璋が咳払いをする。
「水を差すようで申し訳ございませんが……
「明璋さん。忠告ありがとうございます。しかし、正直な事を申し上げますと、姉上に改まった態度で振る舞われると、違和感を感じて落ち着きません。ですので少なくとも今は、私達の行いに目をつぶって下さい」
明璋は、しばらく考えるような素振りを見せてから「仕方ありませんねぇ」とため息をついた。
***
「そろそろ開けても良い頃合じゃない?」
「えぇ、中身を確認しましょう」
素衣宮の
同時に芳ばしい香辛料の匂いが、鼻腔をくすぐった。
「あとは肉を串に刺して焼くだけね」
机の上に木製の串が並べられる。
持ってきたのは海霞だ。
肉を放置していた間、彼女は串の準備をしていたらしい。
水で手を洗ってから、壺から肉を取り出す。肉の大きさは不揃いだ。
これは肉を切った、瑤徳妃、海霞、そして私が、慣れない作業をした結果である。
まず今まで使用人に家事を任せていた瑤徳妃は、今日初めて包丁を握った。
海霞は女官ではあるが、調理場担当ではないので瑤徳妃と同じく包丁に触れるのは、初めてだ。
そうなると庶民生まれの私が、一番上手いはずだという結論に至る。しかし、残念ながら養父と暮らしていた頃は、山菜や豆ばかり食べていたので、肉と無縁な生活を送っていた。
肉を串に刺しながら海霞が呟く。
「そういえば曇月は陛下とお会いになったことがあるのよね?」
「知っているの?」
「もちろん。だって陛下が青衣宮へ足を運ばれた噂は、私の耳にも届いているからね」
雑用係の女官にまで情報が行き渡っていたとは……。
「そうだったのね。それにしても、どうしてそんな事を聞くの?」
「単純に陛下が、どのような方なのか気になっただけよ」
中々串に刺さらない肉を、睨んでいた瑤徳妃も口を開く。
「それは私も気になるわ。だって陛下たら年中行事に参加なさるのに、私を含めた
白蓮がどのような人物か……。
頭に思い浮かべるならともかく、言葉で表すとなると難しい。
「そうねぇ……まず容姿や振る舞いは、文句のつけようがないわ。まるで白い蓮のように美しく優雅な方よ。性格は――」
白蓮の言動を思い返す。
数え切れない程の贈り物。
初めて夜を共にした日に言われたこと。
悪夢を見た夜の出来事。
全てを一言でまとめると――。
「過保護すぎるというか……兄か父親みたいな人ね」
その途端――作業をしていた二人の手が止まった。
❀
「そうなのね。意外だわ」
「私も
今まで白蓮との間に起こった出来事を、簡潔に伝えると、二人は何度も頷いたり、塞がらなくなった口を手で覆ったりしていた。
「それで曇月は陛下のことを、どう思っているの?」
「どうって……特に特別な感情は抱いていないわよ」
「本当かしら?」
海霞が、からかうように問いかけると、瑤徳妃もクスクスと笑う。
「海霞の言う通りよ。そうだ、
白蓮が他の妃と夜を共にする様子か……。試しに
すると、かつて悪夢から覚めた日に感じたモヤモヤが胸の底から溢れ出してくる。
「なんだか悲しいような、腹立たしいような……おかしな気分になってきたわ」
「それは貴方が陛下に恋している証拠ね」
「え……?」
驚きのあまり声を失ってしまった。
(まさか……あの時に感じた感情は『嫉妬』なの?)
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