飯に勝るものはない

「後宮に入ってから、私なりに努力はしてみたけど――結果は、全然ダメだったわ。上位の宮女には庶民生まれの女が多くて、最初は悔しい気持ちで一杯だった。けれども、私は文句を言わず黙々と働いたし、読み書きができない子がいたら代書もしたのよ。でも……そうしたら……」


「『教養があることを見せびらかしたいのね』とでも言われましたか?」


 突如、凛とした女性の声が響く。

 素衣宮の侍女頭が口を挟んだのだ。


樹大招風出る杭は打たれるという言葉があります。まず後宮いる女官には読み書きすらできない庶民の娘が多いです。幼い頃から労働ばかりをして学問に励む時間がなかった彼女達にとって、読み書きができることは憧れの対象であり、同時に嫉妬の対象でもあります」


明璋ミンジャン……?」


 瑤徳妃が侍女頭の方を見ながら呟く。状況から察するに明璋は彼女の名前らしい。


「娘娘、口を挟んでしまい申し訳ございません。かつての私にも身に覚えのある話でしたので、つい……」


「大丈夫よ。そう、貴方も色々と苦労していたのね」


 ヤオ徳妃は、ぽつりと呟く。


「そうだ姉上、お腹は空いていませんか?」

「急に何を言い出すの?」


 海霞ハイシャを気遣って質問をしたつもりが……逆に呆れたような目で見られてしまった……。


「これから私と瑤徳妃様で夕餉を作るつもりなの。もしお腹が空いていれば、姉上にも試食をして欲しいと思っているわ」


「試食ねぇ……」


 海霞が口を閉ざし、素衣宮が沈黙に包まれる。


「別に無理強いするつもりは無いですよ」


「嫌だとは思ってないわ。そうではなくて、ただ試食するより、私も協力するべきだと思ってね」


「姉上に負担をかけるわけには……」


「貴方は妃で、私は官女よ。負担をかけられて当然よ。それに、ここまで丁寧に手当てして頂いたのに何もしない訳にはいかないわ」


 隣で様子を見ていた明璋が咳払いをする。


「水を差すようで申し訳ございませんが……曇月タンユェ娘娘と海霞さん。お二人かが例え姉妹だとしても各々の身分に応じた振る舞いをするべきかと」


「明璋さん。忠告ありがとうございます。しかし、正直な事を申し上げますと、姉上に改まった態度で振る舞われると、違和感を感じて落ち着きません。ですので少なくとも今は、私達の行いに目をつぶって下さい」


 明璋は、しばらく考えるような素振りを見せてから「仕方ありませんねぇ」とため息をついた。



***




「そろそろ開けても良い頃合じゃない?」 

「えぇ、中身を確認しましょう」


 素衣宮のくりやに、蓋が乗せられた壺が一つ。瑤徳妃に催促され、蓋を開ければ、一口大に切られた肉片が顔を覗かせる。

 同時に芳ばしい香辛料の匂いが、鼻腔をくすぐった。


 二刻前一時間前、瑤徳妃と私は牛肉を一口大にカットし、香辛料と共に壺へ入れた。こうすることで、肉に味がしみ渡る。


「あとは肉を串に刺して焼くだけね」


 机の上に木製の串が並べられる。

 持ってきたのは海霞だ。

 肉を放置していた間、彼女は串の準備をしていたらしい。


 水で手を洗ってから、壺から肉を取り出す。肉の大きさは不揃いだ。

 これは肉を切った、瑤徳妃、海霞、そして私が、慣れない作業をした結果である。

 まず今まで使用人に家事を任せていた瑤徳妃は、今日初めて包丁を握った。

 海霞は女官ではあるが、調理場担当ではないので瑤徳妃と同じく包丁に触れるのは、初めてだ。

 そうなると庶民生まれの私が、一番上手いはずだという結論に至る。しかし、残念ながら養父と暮らしていた頃は、山菜や豆ばかり食べていたので、肉と無縁な生活を送っていた。

 

 肉を串に刺しながら海霞が呟く。


「そういえば曇月は陛下とお会いになったことがあるのよね?」


「知っているの?」


「もちろん。だって陛下が青衣宮へ足を運ばれた噂は、私の耳にも届いているからね」


 雑用係の女官にまで情報が行き渡っていたとは……。


「そうだったのね。それにしても、どうしてそんな事を聞くの?」


「単純に陛下が、どのような方なのか気になっただけよ」


 中々串に刺さらない肉を、睨んでいた瑤徳妃も口を開く。


「それは私も気になるわ。だって陛下たら年中行事に参加なさるのに、私を含めた妃嬪ひひんと全く言の葉を交わさないもの。どのような性格をしていらっしゃるか気になるわ」


 白蓮がどのような人物か……。

 頭に思い浮かべるならともかく、言葉で表すとなると難しい。


「そうねぇ……まず容姿や振る舞いは、文句のつけようがないわ。まるで白い蓮のように美しく優雅な方よ。性格は――」


 白蓮の言動を思い返す。


 数え切れない程の贈り物。

 初めて夜を共にした日に言われたこと。

 悪夢を見た夜の出来事。


 全てを一言でまとめると――。


「過保護すぎるというか……兄か父親みたいな人ね」


 その途端――作業をしていた二人の手が止まった。





「そうなのね。意外だわ」

「私も紅慧ホンフェイ娘娘と同意見です。もっと恐ろしい方だと思っておりました」


 今まで白蓮との間に起こった出来事を、簡潔に伝えると、二人は何度も頷いたり、塞がらなくなった口を手で覆ったりしていた。


「それで曇月は陛下のことを、どう思っているの?」


「どうって……特に特別な感情は抱いていないわよ」


「本当かしら?」


 海霞が、からかうように問いかけると、瑤徳妃もクスクスと笑う。


「海霞の言う通りよ。そうだ、小月シャオユエ。陛下が他の妃と夜を共にしている様子を想像してみて」


 白蓮が他の妃と夜を共にする様子か……。試しにシュ貴妃の元へ通う白蓮を想像してみる。

 すると、かつて悪夢から覚めた日に感じたモヤモヤが胸の底から溢れ出してくる。


「なんだか悲しいような、腹立たしいような……おかしな気分になってきたわ」


「それは貴方が陛下に恋している証拠ね」


「え……?」


 驚きのあまり声を失ってしまった。


(まさか……あの時に感じた感情は『嫉妬』なの?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る