25 藤の花には毒がある

「先ほどは失礼いたしました。少々取り乱してしまいまして……」


 紫藤ズートンは小さな笑みを浮かべながら、机に乗った碁盤を押す。


 相手をしろということだろうか?


 ここは何も言い返さず、彼の向かい側に座ることにしよう。こちらの予想は当たっていたらしく、紫藤は碁石が入った器を差し出した。

 

「まさか……軍師様と碁を、打ち合う日がこようとはね」


「ただの遊びですよ。身構えないで下さい」


 紫藤は、しばらく高笑いをしていたが、私が最初の一手を打つと、すっと無表情に戻った。

 すると廊下べ控えていた宮女が、戸を叩き中へ入ってきた。彼女は紫藤と顔を合わせると、何度か頷き再び廊下へ出た。


「これから僕が話すことは、口外無用にして頂けませんか?」


 どうやら廊下にいる宮女は、誰かに話を盗み聞きされない為の見張りらしい。


「謀反の相談でしたら受けませんよ」


「そんな物騒な事は考えていませんよ。やだなぁ……」


(この男――何を考えているのか全く分からないわ)


 碁石を掴み、乗せてゆく。

 私が与えられたのは、桃色の碁石で、紫藤のものは翡翠色だった。感触は固く、とても冷たい。


 まさか本物の宝石でできているのかしら?


「ならば何だと言うのです?」


「取引ですよ。貴方と兄上が徳をする取引です」


「どういう意味でしょう?」


「僕は兄上に決断させたい事があります。ですので、貴方は兄上を説得して下さい。もし成功すれば兄上は呪縛から解放されますし、貴方が後宮へ侵入した目的も果たせます」


「今なんとおっしゃいましたか……?」


「この取引に乗ってくれれば兄上を救えるだけではなく、貴方の敵討ちも終わりますよ」


 思考が停止する。

 言葉が出なかった。

 この男は何を考えているの?

 何を知っているの?

 私の目的は初めから筒抜けだったの?


「驚かせてしまい申し訳ありません。実を言えば、貴方が張家の血を引いていない事や、ご家族が亡くなっている事は随分と前から知っていました。しかし、誰にも口外していませんのでご安心を」


「どっ、どうして……誰から聞いたの?」


「張家の使用人から貴方が拾い子であり、親が軍隊に殺害された事を聞きました。だからといって、貴方を卑しい血筋だとか言うつもりはありませんからね。貴族が器量が良い娘を、拾うなり――時には強引な手段を用いて、手に入れ皇帝に献上する事など昔からよくありますから」


 一旦深呼吸をして平常心に戻そうとする。

 しかし、心臓の鼓動はいつまでも高鳴り続け止む事はなかった。


 真の策士は相手について念入りに調べてから行動に移す。後宮へ来る前に張家で読んだ兵法書には、そう書かれていた。少なくとも、ここで焦ってしまえば相手の思うつぼだ。


 止まっていた思考を巡らせ、碁石を打ち続ける。戦況は紫藤が優勢に見えるが、逆転の余地はいくらでもあった。


「なるほど。張家の使用人は、私が思っていたより、ずっと口が軽かったようですね」


「ですが、紫藤様が口の軽い方で助かりました。では本題とやらを話して頂けませんか?」


「話を聞いて下さるようで何よりです。単刀直入に言いましょう。僕の目的は母上――すなわち皇太后の呪縛から兄上を助ける事です」


 皇太后――皇帝軍に養父を殺害するよう命じた女。打つべき仇その物。その名を聞いた途端、全身に電撃が走るような感覚に陥る。


「順を追って説明いたしましょう。時は皇后様が亡くなられた時まで戻ります」


夏鈴シャーリン様ですよね?」


「はい。彼女が亡くなった際、一族にいくつもの不幸が舞い降りました。父――つまり先帝を含めた家族は何人も病に伏せ、母上も気が滅入ってしまったらしく、陛下から賜った宮に閉じこもるようになってしまいました。僕達息子相手にですら、ろくに関わろうとしなくなってしまいました」


「血の繋がった家族とすら関わらなくなったの……?」


「えぇ、そうです。何度尋ねても理由を、教えてはくれませんが、あの日から母上は、対人関係に興味を持つ事はなくなってしまいました。代わりに、あの人が夢中になり始めたのはまつりごとです」


「それなら知っているわ。陛下が天子の座を受け継がれた時は、まだ幼かったから皇太后様が政を任されていたのよね?」


「まぁ、大体合っていますが――厳密に言えば『今も』ですね」


「嘘でしょ。もう陛下は成人なさっているじゃない。どうしてまだ皇太后が政治に関わっているのよ」


「それは恐らく……」


 紫藤が目を伏せる。


「兄上は負い目を感じているのでしょう。一族に起こった不幸の原因は自身にあると――そう思っているはずです。母上が口を効かなくなった理由も無能な息子に失望したからだと……」


 白蓮と初めて夜を共にした、あの日。

 彼は酷く疲れているようにみえた。

 あのやつれた顔の下には、どのくらいの数え切れない苦悩があったのだろう。


 

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