執着は甘露の味

 弦が弾かれ、軽やかな音楽が広場に響く。赤と金に包まれた広間に、華やかな衣がヒラヒラと舞う。


 音楽に合わせ、布をなびかせているのは、宴の余興である舞を任された下級妃と中級妃だ。 琵琶の音が段々と勢いを増し、やがてピタッと止まると、彼女達も一斉に静止した。


「素晴らしい。練習を初めてから貴方達の成長は目を見張るものがあるわ。さて、今日の練習は、ここまでにしましょう」


 私が何度か手を叩くと、広間にいた妃たちは、一人ずつ礼をしてから立ち去って行った。このまま全員が広間から立ち去ると思われたが、妃の一人が身を縮ませながら私の傍へ来た。


「どうしたの?」


「実は……娘娘にお礼を申し上げたくて参りました」


「そんな……大した事はしてないわ……」


「いえ、今まで中級妃の役割であった舞踊係を、下級妃である私が務めさせていただけているのは、娘娘のおかげです。何とお礼を申し上げればいいか……」


 彼女が伝えたいであろう言葉を、やっと察することができた。

 

 淑妃の位が空席になった翌日。

 千秋節宴せんしゅうせつえんの監督を引き継いだ瑤徳妃は、私に舞踊を担当する妃を、選ぶよう指示した。


 慣例に従えば、身分や舞の腕を考慮して、監督役が、担当する妃を指名する。しかし、これは、あくまで建前であり、実際は監督役の私情によって決められていた。

 それゆえに舞踊を任される可能性が高い中級妃は、徐貴妃や藍淑妃に気に入られようと媚びを売っていたのだ。

 

 とはいえ今まで他の妃との交流を絶ってきた私に、そのような事情など関係ない。

 なので、あえて慣例を無視して選抜をしてみる事にした。


 まず最初に宦官を使って舞踊を担当したい者を青衣宮へ集めた。もちろん、身分は制限は無し。中級妃から、下級妃まで、才能がある者は分け隔てなく起用する。これが私の方針だ。


 代わりに青衣宮には、膨大な数の妃が集まり、選抜には丸一日を要したが後悔はない。


「舞踊係は宴会の花形よ。そんな大事な係を、身分より技能で選ぶ事は当然でしょ?」


 皇帝と顔を合わせる機会が少ない中級妃と下級妃からしてみれば、宴会の舞踊係は、直接皇帝に舞を見せることができる千載一遇の機会であった。

 だから彼女たちは意地でも舞踊係の座を手に入れようとするし、比較的身分が高い中級妃が優先されて選ばれるのだ。


 他の下級妃も、ぞろぞろと私の傍に集まってくる。


「はい。私たちも感謝しております」

「えぇ、本当に。陛下に舞踊を直接見ていただけるなんて……夢みたいです」

「何か困ったことがあれば、仰って下さい。できる限りお手伝い致します」

「そうよ。いつか恩返しさせて下さい」


 感謝される為に、この選抜方法を選んだ訳ではないが、少なくとも悪い気はしなかった。凍てついた心に陽光が差し込む。そんな心地がした。


(今まで一人で十分生きていけると思っていたけれど、他人から好かれるのって案外気分が悪くないわね)


 下級妃たちが全員立ち去り、広間が空っぽになると、今度は一人の宦官が側へよってきた。私の前に立つと丁寧に拱手する。


紫藤ズートン様が、娘娘と一度話をしてみたいと仰せです」


「分かりました――いや、その前に失礼ながら私は紫藤様がどなたか知らないわ」


「陛下の弟君ですよ。皇族の中では唯一の陛下と同じ母の兄弟です」


「あら、皇族の方だったのね。私としたことが『どなたか知らない』だなんて、失礼な事を……」


「お気になさらず。先帝の娘と息子は計五十四人いらっしゃいますから、全員の名を覚えていらっしゃらなくても仕方ありませんよ」


 先帝は随分と好色な方だったのね。

 もしかすると、これでも少ない方かもしれないけど……。



***



 紫藤が私に来るよう命じた場所は、黎明殿の一室だった。宦官に案内され、部屋へと到着したが、まだ中には入らないように伝えられる。

 理由はすぐに分かった。部屋の中で白蓮バイリィエンと紫藤だと思われる男性が、話していたからだ。


「紫藤、なぜ曇月を呼んだ?」


「なぁに、大した理由はありませんよ。ただ兄上のお眼鏡にかなった女性が、どのような方か気になっただけです」


「何か企んでは、いないだろうな?」


「いいえ、全く。むしろ兄上の事を思って、俺は張賢妃様を呼びだしました。天子であろう男が、いつまで経っても世継ぎを持てないなんて笑い話では済まされませんから」


「余計なお世話だ。それと、曇月を子を産むだけの道具として扱うな」


「分かりました。反省します。ですから、どうかお許し下さい。そして、今回は本当に、ジャン賢妃様と茶を飲みながら下らない話をしたいだけです」


 しばらく部屋の中で沈黙が続いたが、突如白蓮の舌打ちが響く。


「分かった。曇月と会うことを許そう。だが、もし彼女の身に何かあればタダでは済まないぞ」


「はい。肝に銘じておきます――では最後に一つ忠告をさせて下さい」


「なんだ?」


「しつこい男は嫌われますよ」


「なっ……俺の一体どこが、しつこいと言うのだ」


「これは無自覚ですね……」


 扉の向こうから白蓮の驚く声。

 なんだか聞いては、いけない会話を耳にしてしまった気がする。隣で控えた宮女に「この話は聞こえていなかったフリをしましょう」と耳打ちすると、彼女は何度も頷いた。


 しばらく待っていると、部屋から白蓮がでてくる。彼から「部屋から何か聞こえたか?」と問われたが、私と宮女は、何度も首を横に振った。


 白蓮は「そうか……」と呟くと、最後に「何かあったら遠慮せず俺に言え」とだけ言い残して立ち去って行った。


 どうやら紫藤は最後まで、白蓮の信頼を勝ち取ることは、できなかったらしい。


 宮女に導かれ、部屋の中へ足を踏み入れる。大きな窓から庭を見渡せる白蓮の寝室とは違い、ここには殺風景な景色が広がる小さな窓しかない。


「初めまして。紫藤様。陛下から賢妃の位を賜りました張曇月と申します」


「お目にかかれて光栄です。私は陛下の弟であり、現在は軍師として陛下をお支えしている紫藤と申します」


 紫藤は体格が大きい白蓮とは違い、小柄でやせ細った男であった。白い肌に傷跡が何も無い事から、弓や槍より、兵法書や詩歌を好む人物であるように見える。


 そして、白蓮に負けず劣らず美丈夫である。もしや、彼等の母である皇太后は、傾国絶世の美女と呼ぶべき方では、なかろうか。


「これは兄上から伺った通り百花仙子花の女神のように美しい方だ。もし貴方様が兄上の妃嬪ひひんでなければ、今すぐ、その雪のように白い肌に触れているのに……」


「冗談は辞めてください」


 紫藤の顔がゆっくりと迫ってくる。

 まるで私の容姿を品定めするように。


「どうやら兄上は、貞淑な方を妻に迎えたようですねぇ――羨ましい事です」


(なっ、何この人)


 紫藤は何を考えているのか全く分からない男だが――少なくとも私が苦手な部類の人間である事だけは分かった。


 

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