青衣宮へようこそ
「身分が低い私から、挨拶申し上げるべきでしたのに、気づくのが遅れてしまい申し訳ありません。考え事をしておりまして……」
「謝らなくていいわ。それにしても、貴方が物思いにふけて注意を怠るなんて……もしかして、陛下から素敵な提案をされたの?」
「もし貴方様が想定している提案が『次の皇后様について』でしたら、正解ですよ」
「やっぱり、そうなのね。」
あの徐貴妃が、私の立后に賛成しているだけではなく、このタイミングで話しかけてくるなんて……何を企んでいるの?
「あの……ご用件は何でしょう?」
「用件は無いわ。ただ貴方を見かけたから、ついでに挨拶をしに来ただけよ」
「そうでございますか……」
今まで徐貴妃から挨拶をされた事は、一度もない。身分が低い私から挨拶する事が、礼儀なのだから当然だ。
「そんなに警戒しなくていいわ。未来の皇后様に挨拶する事は何もおかしくないし、なにより、私たちは――親戚でしょう?」
思考が止まり、寒気に襲われる。
(そうよ。思い出したわ。徐家と張家が政略結婚をした事で、今の私は徐貴妃と親戚同士という事になるじゃない)
「それで私の立后に賛成を?」
今回の政略結婚は、恐らく張家が宰相を多く排出している徐家と、結びつきを作る事が目的だ。あくまで恩恵にあやかりたいのは、張家なので、徐家の彼女が私に皇后の座を譲る必要はない。
「そうよ。これから仲良くしましょうね」
気は向かないが、ここは大人しく彼女に向かって礼をした。
❀
「娘娘、ちょっと質問してもいいかしら?」
「構わないわよ。あと青衣宮にいる間は、私を娘娘と呼ぶ必要はないわ」
「なら早速聞くけど、どうして侍女の寝所が空っぽなのよ?」
黎明宮を訪れた翌日。
青衣宮に衣類が詰まったカゴを持った
共同生活をするならば、正直に侍女や
「それは姉上の他に、人間の侍は、いないからよ。彼女達に日用品は必要ないもの」
「にっ、人間って……何を言っているの?」
驚きのあまりカゴを落としそうになった海霞は、怯えた表情で紙人形の侍女を指さす。
「あの子達は人間じゃないの?」
「はい。残念ながら」
「なら何だって言うのよ!」
「姉上。今から彼女達の正体を、お見せしますが、どうか驚かないで下さいね」
海霞はカゴを床に置いてから、ゆっくりと深呼吸をした。
「いいわよ。何でも来なさい」
「分かりました。では――」
両手をパンッと叩き、小さな声で「汝よ。あるべき姿に戻れ」と呟く。
すると、青衣宮に居た侍女が、一斉に紙人形へと戻った。
「嘘よ。いやぁー!」
同時に海霞の悲鳴がこだまする。
(「何でも来なさい」と言ったのは姉上なのに……)
❀
「昔からアンタは、変わった子だと思っていたけど、まさか道士だったのね」
「そうです。今まで黙っていて、ごめんなさい」
「まっ、まさか、時々、アンタの周りで物が勝手に倒れたり、動いたりしていたのも……?」
「あー、あれは拾った猫の幽鬼が勝手に……」
「幽鬼を拾ったの……?」
「えぇ、そうです」
荷物の整理を終えた海霞は、早速、
「娘娘、点心ですか?」
「美味しそうな香りがします……」
黎明宮から戻ってきた
「はいはい。貴方達の分もあるわよ」
机に並べられた料理から、
「感謝いたします。ほら、今日は荔枝だよ、七七」
「わぁー、ありがとうございます。娘娘」
この様子を見た海霞は、目を見開きながら何度も瞬きをした。
荔枝を、受け取った七七と八八は、礼をしてから青衣宮の外へ出た。まだ仕事があるのだろう。
「『今日は』って……まさかアンタ、毎日、宦官に点心を……」
「そうですよ。姉上も召し上がって下さい」
「でも私は侍女よ。侍女が妃の食事を、食べるわけにはいかないわ」
(姉上は意外と律儀な性格だったのね……)
「私は一人で食事を取るのは寂しいの。だから姉上と食べたいのよ。これは私の、お願いだから姉上が遠慮する必要は無いわ」
海霞は、しばらく、どうするべきか迷っていたようだが、最後には根負けしたらしく、大人しく
「ありがとう姉上。どうせだし、二人で話しながら食べたいから、隣に座って」
「分かったわ。ありがとう。
客人用の椅子に座り込んだ海霞は、どこか照れくさそうだった。
「あのー、私ね。貴方には感謝しているのよ」
「姉上……?」
「だって嫌がらせを受けている所を助けて貰ったし、下っ端の宮女だった私が、宮女の中でも最高位である侍女になれたのは、貴方のおかげだもの」
「そんな……別に大したことは何もしていないのに……」
私は『やるべきこと』をやっただけだ。
大した事は何もしていない。
「相変わらず欲が無いのね。見ていて心配になるわ」
「うっ、嘘?」
「嘘じゃないわ。本当よ。だから私は、貴方の為に、できる限りの事をするつもり」
海霞は「見せたい物があるから待ってて」と言ってから、席を外し、侍女の部屋へ向かった。しばらく、すると木材で出来た小箱を、持って戻ってくる。
「これは何でしょう?」
「銀の針よ」
木箱を受け取り、中身を確認する。
中には海霞が言った通り、銀の針が何本も入っていた。
毒見用に作られた物であろうか?
「その反応……まさかアンタ護身用の銀も持っていないの?」
「持っていないわ……」
「嘘でしょう……上級妃は
「確かに姉上の仰る通りよ。でも今まで紙人形の侍女と奴婢が、料理を作る所から運ぶ所までやっていたから……」
「それでも盛られる可能性がゼロでは無いでしょう?」
海霞は木箱から銀の針を、一本取り出し、私に渡す。
「よく聞いて。アンタは今、後宮中の者から人目置かれる存在になっている。これは、妃も、宮女も、宦官も同様よ。でも同時にアンタの存在が邪魔だと思っているヤツも多いはずよ。特に貴妃である
「分かった。これからは、食事の前に、この針を使って毒見をするようにするわね」
「そうして頂戴。書物によれば銀に反応する毒は無味無臭らしいわ。そして、摂取したら最後。医官でも手の施しようがないわよ」
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