青衣宮へようこそ

「身分が低い私から、挨拶申し上げるべきでしたのに、気づくのが遅れてしまい申し訳ありません。考え事をしておりまして……」


「謝らなくていいわ。それにしても、貴方が物思いにふけて注意を怠るなんて……もしかして、陛下から素敵な提案をされたの?」


「もし貴方様が想定している提案が『次の皇后様について』でしたら、正解ですよ」


「やっぱり、そうなのね。」


 あの徐貴妃が、私の立后に賛成しているだけではなく、このタイミングで話しかけてくるなんて……何を企んでいるの?


「あの……ご用件は何でしょう?」


「用件は無いわ。ただ貴方を見かけたから、ついでに挨拶をしに来ただけよ」


「そうでございますか……」


 今まで徐貴妃から挨拶をされた事は、一度もない。身分が低い私から挨拶する事が、礼儀なのだから当然だ。


「そんなに警戒しなくていいわ。未来の皇后様に挨拶する事は何もおかしくないし、なにより、私たちは――親戚でしょう?」


 思考が止まり、寒気に襲われる。


(そうよ。思い出したわ。徐家と張家が政略結婚をした事で、今の私は徐貴妃と親戚同士という事になるじゃない)


「それで私の立后に賛成を?」


 今回の政略結婚は、恐らく張家が宰相を多く排出している徐家と、結びつきを作る事が目的だ。あくまで恩恵にあやかりたいのは、張家なので、徐家の彼女が私に皇后の座を譲る必要はない。


「そうよ。これから仲良くしましょうね」


 気は向かないが、ここは大人しく彼女に向かって礼をした。





「娘娘、ちょっと質問してもいいかしら?」


「構わないわよ。あと青衣宮にいる間は、私を娘娘と呼ぶ必要はないわ」


「なら早速聞くけど、どうして侍女の寝所が空っぽなのよ?」


 黎明宮を訪れた翌日。

 青衣宮に衣類が詰まったカゴを持った海霞ハイシャが来た。理由は、もちろん青衣宮の引越しだ。


 共同生活をするならば、正直に侍女や鬼猫グゥエイマオについて説明するべきだとは思っていたが――まさか、彼女が青衣宮に入るなりすぐに違和感に気づくとは……。


「それは姉上の他に、人間の侍は、いないからよ。彼女達に日用品は必要ないもの」

「にっ、人間って……何を言っているの?」


 驚きのあまりカゴを落としそうになった海霞は、怯えた表情で紙人形の侍女を指さす。


「あの子達は人間じゃないの?」

「はい。残念ながら」

「なら何だって言うのよ!」

「姉上。今から彼女達の正体を、お見せしますが、どうか驚かないで下さいね」


 海霞はカゴを床に置いてから、ゆっくりと深呼吸をした。


「いいわよ。何でも来なさい」


「分かりました。では――」


 両手をパンッと叩き、小さな声で「汝よ。あるべき姿に戻れ」と呟く。

 すると、青衣宮に居た侍女が、一斉に紙人形へと戻った。


「嘘よ。いやぁー!」


 同時に海霞の悲鳴がこだまする。


(「何でも来なさい」と言ったのは姉上なのに……)





「昔からアンタは、変わった子だと思っていたけど、まさか道士だったのね」 


「そうです。今まで黙っていて、ごめんなさい」


「まっ、まさか、時々、アンタの周りで物が勝手に倒れたり、動いたりしていたのも……?」


「あー、あれは拾った猫の幽鬼が勝手に……」


「幽鬼を拾ったの……?」


「えぇ、そうです」


 荷物の整理を終えた海霞は、早速、点心軽食の用意をしてくれた。青衣宮に来てから点心の時間になるまでの半日間で、諦めて現実を受け入れたのであろうか――海霞の様子は、昼頃になると、すっかり戻っていた。


「娘娘、点心ですか?」

「美味しそうな香りがします……」


 黎明宮から戻ってきた七七チーチー八八バーバーが、入口の方からひょこっと顔を見せる。


「はいはい。貴方達の分もあるわよ」


 机に並べられた料理から、荔枝ライチの身を数粒取り、二人の方へ差し出す。


「感謝いたします。ほら、今日は荔枝だよ、七七」

「わぁー、ありがとうございます。娘娘」


 この様子を見た海霞は、目を見開きながら何度も瞬きをした。

 荔枝を、受け取った七七と八八は、礼をしてから青衣宮の外へ出た。まだ仕事があるのだろう。


「『今日は』って……まさかアンタ、毎日、宦官に点心を……」


「そうですよ。姉上も召し上がって下さい」


「でも私は侍女よ。侍女が妃の食事を、食べるわけにはいかないわ」


(姉上は意外と律儀な性格だったのね……)


「私は一人で食事を取るのは寂しいの。だから姉上と食べたいのよ。これは私の、お願いだから姉上が遠慮する必要は無いわ」


 海霞は、しばらく、どうするべきか迷っていたようだが、最後には根負けしたらしく、大人しく荔枝ライチを受け取った。


「ありがとう姉上。どうせだし、二人で話しながら食べたいから、隣に座って」

「分かったわ。ありがとう。曇月タンユェ


 客人用の椅子に座り込んだ海霞は、どこか照れくさそうだった。


「あのー、私ね。貴方には感謝しているのよ」


「姉上……?」


「だって嫌がらせを受けている所を助けて貰ったし、下っ端の宮女だった私が、宮女の中でも最高位である侍女になれたのは、貴方のおかげだもの」


「そんな……別に大したことは何もしていないのに……」


 私は『やるべきこと』をやっただけだ。

 大した事は何もしていない。


「相変わらず欲が無いのね。見ていて心配になるわ」


「うっ、嘘?」


「嘘じゃないわ。本当よ。だから私は、貴方の為に、できる限りの事をするつもり」


 海霞は「見せたい物があるから待ってて」と言ってから、席を外し、侍女の部屋へ向かった。しばらく、すると木材で出来た小箱を、持って戻ってくる。


「これは何でしょう?」

「銀の針よ」


 木箱を受け取り、中身を確認する。

 中には海霞が言った通り、銀の針が何本も入っていた。


 毒見用に作られた物であろうか?


「その反応……まさかアンタ護身用の銀も持っていないの?」


「持っていないわ……」


「嘘でしょう……上級妃は妃嬪ひひんの中でも一番、毒を盛られる可能性が高いのに」


「確かに姉上の仰る通りよ。でも今まで紙人形の侍女と奴婢が、料理を作る所から運ぶ所までやっていたから……」


「それでも盛られる可能性がゼロでは無いでしょう?」


 海霞は木箱から銀の針を、一本取り出し、私に渡す。


「よく聞いて。アンタは今、後宮中の者から人目置かれる存在になっている。これは、妃も、宮女も、宦官も同様よ。でも同時にアンタの存在が邪魔だと思っているヤツも多いはずよ。特に貴妃である麗紫リーズ娘娘とかね」


「分かった。これからは、食事の前に、この針を使って毒見をするようにするわね」


「そうして頂戴。書物によれば銀に反応する毒は無味無臭らしいわ。そして、摂取したら最後。医官でも手の施しようがないわよ」



 

 

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