終章 立后の儀

『しあわせ』の形

「そう……全ての黒幕は夏鈴シャーリンだったのね」


 日が沈み、黎明殿の灯籠が煌々と輝き始めた頃。見舞いという名目で、白蓮バイリィエンの寝所を訪れたのは、七七チーチー八八バーバーだった。


 二人の報告が真実ならば、あの女が養父を……。


 何が「許さない」よ……許せないのは私の方だわ。


夏鈴シャーリンの魂は僕と八八が見つけて捕らえますから、娘娘は厄除けで身を守りながら待っていて下さい」


「これが赤の他人ならそうしたいところだけど、養父の死に関係しているなら見て見ぬふりはできないわ。犯人が夏鈴なら、なおさらね」


「やはり、娘娘は自身の手で夏鈴に罰を下したいと……」


「違うわ。私は彼女と話がしたいの」


 七七と八八が目を見開く。


「二人の話を聞いて、全てを理解したの。夏鈴が何を考えて、このような愚行を犯したのか」


「復讐は辞めるおつもりですか?」


「あら、辞めるつもりはないわよ。貴方達の主人に、あの女を徹底的に罰してもらうの。それが、貴方たちの主人東岳大帝の仕事でしょう?」


「うわぁ……やっぱり普段優しい人ほど怒らせると怖いですね」


 七七が口元を袖で隠しながら呟くと、八八が何度も頷いた。

 何と返答しようか考えていると、入り口の方から誰かの足音が迫ってくる。執務を終えた白蓮が戻ってきたのであろう。


「陛下がお戻りになられたようなので僕達はこれで」

「えぇ、戻って良いわよ」


 七七と八八が部屋から出ると、入れ替わりるように白蓮が入ってくる」


曇月タンユェ――!」

「陛下!」


 両腕を広げながら私の傍へ寄ってくる白蓮。その腕の中へ潜りこむと上品な白檀の香りがする。

 顔を上げて彼の顔を見ようとすると、私の頬や、おでこ、鼻に、口づけが雨のように降ってきた。

 

「もう本当に大丈夫なのだな? 食欲はあるか? どこか具合の悪い場所は?」


「もう大丈夫よ。どこも痛くないし、食欲もあるわ」


「それは良かった。本当に良かった」


 私を抱きしめる腕の力が強くなる。

 少しばかり痛かったが、今は、その痛みが、暖かくて、頼もしくて、嬉しくてたまらなかった。


「以前、君に断られた立后の件だが――やはり早急に執り行おうと思う。もう君のことが心配で、このままではまつりごとに集中できない」


「私のような者でよろしければ喜んで」


「拒否しないのか?」


「以前の私でしたら間違いなく、お断り申し上げていたでしょう。しかし、今は陛下の傍に居られるなら、それでも良いと思うのです」


 白蓮と出会う前、私は養父の敵討ちを終えた後は、さっさと鳥籠後宮から逃げるつもりでいた。しかし、いつの間にやら、私は自ら鳥籠に留まることを望む愚かな小鳥になってしまった。



***



「おかえりなさい。曇月」


 翌日、青衣宮に戻った私を出迎えてくれたのは、海霞ハイシャだった。


「ただいま、姉上」


「貴方が無事で良かったわ。ねぇ、お腹は空いた? さっき麗紫リーズ娘娘が香りが良い茶葉を差し入れて下さったの」


シュ貴妃様とヤオ徳妃様が?」


「えぇ、彼女達だけではありませんよ。下級妃と中級妃の皆様も、薬草やら、病に効く厄除けやら――色々と持ってきたわ。せっかくですし茶菓子と一緒に頂きましょう」


 海霞は厨から梨と、菊の絵が描かれた茶器を運んできた。見るからに高価そうな、この茶器は白蓮からの贈り物だ。

 茶器に限らず今の青衣宮は、白蓮からの贈り物で溢れていた。おかげさまで殺風景だった室内も、今では桃源郷のごとく輝いている。


 もし皇后になれば、黎明殿に一番近い建物である蓬莱ほうらい宮へ移動せねばらない。きっと蓬莱宮は、青衣宮よりずっと広いだろう。白蓮から送られた品も、もっと飾れるに違いない。

 でも、それなりに思い入れのある青衣宮から離れるのは、少し寂しかった。


「本当は茶菓子を焼こうと思ったけど、病み上がりの体には食べづらいでしょう? だから、代わりに紅慧ホンフェイ娘娘が差し入れて下さった梨を用意したの」


「そう、ありがとう」


 中身が満たされた茶杯を持ち、香りを確認する。するて海霞が言った通り、強い芳香が漂ってきた。

 そして茶を一口頂こうとしたが、ふと違和感に気づく。違和感があるのは、茶ではない。青衣宮そのものだ。


 異様に静かだった。

 元々、青衣宮自体、四夫人の宮にしては、人が少なすぎる場所であったが、今日はいつも以上に静かだ。


 まず七七と八八の姿がない。

 この二人に関しては、白蓮か東岳大帝鬼猫の元へ向かっていると思われるが、侍女の姿さえも見当たらなかった。


 青衣宮に海霞が来てから、私は紙人形達に海霞の手伝いをするように命じていたのに、彼女達の姿がない。


「あら、飲まないの?」


 海霞が問いかける。


「姉上こそ、何も言わないの?」


「何か言うべきことがあるかしら?」


「いつもの姉上なら、食べるものが何であれ銀針で毒味するよう忠告するはずよ」


「でも、これを用意したのは私でしょ? どうして妹に毒を盛らないといけないの?」


「えぇ、貴方が本物の姉上ならば、毒は盛らないでしょうね」


 素早く立ち上がり、八卦鏡を海霞に向かってかざす。すると、海霞は悲鳴をあげながら倒れてしまった。

 素早く彼女の背を受け止め、丁寧に床へ下ろす。体はまだ暖かく、手首に触れれば、まだ脈があった。幸い命に別状はなく、一時的に体を奪われていただけのようだ。


「仕草や話し方は姉上にそっくりだったけど、肝心な部分までは真似できなかったようね。夏鈴」


 顔を上げると、半透明の姿となった夏鈴が立っていた。夏鈴は薄笑いをしながら呟く。


『あーあ、残念。気づかれちゃった』

 

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