首をたれて故郷を思う
「そうでしたか……お辛い記憶を思い出させてしまい申し訳ございません」
「いや、君が謝る必要はない。そもそも、この話を始めたのは俺だからな」
「誠に美味であった。礼として何か送りたいが、欲しい物はあるか?」
「ございません。私は陛下が健康でいらっしゃれば、それだけで満足です」
これは紛れもない本心だ。
今の生活で不足に感じることは無いし、白蓮には早く完治して欲しいと思っている。
「ほう、遠慮する必要はないぞ」
「ですが本当に欲しい物などありません」
「そうか。しかし、お前に尽くして貰ってばかりでは……」
「私は妃です。妃は天子に尽くす物です」
白蓮が小さく笑う。
「いや、俺は何もして貰わなくとも、君が幸せならそれで良いんだ。さぁ、本当に欲しい物は無いのかな?」
ここは大人しく、お言葉に甘えるべきね――。
「では、二つお願いがございます」
「何だ。願いは無いと言っていたのに、本当は二つもあったのか?」
腹を抑えながら高笑いする白蓮。
言われてみれば、確かに彼の言う通りだ。
恥ずかしさのあまり、袖で口を覆う。
「良い。二つとも申し上げてみよ」
「はい。感謝いたします。一つ目は私の姉についてです」
「君の姉がどうした?」
反応からして白蓮は、
「私の姉である海霞は、現在、宮女として後宮で務めております。しかし、他の宮女との関係は、あまり良好ではないようです。先日顔を合わせた際は、彼女の体にアザのような物が大量にございました」
「それは労しいことだ。ならば俺が君の姉君を臣下へ褒美として贈るという形で、後宮から出られるようにしよう」
要は白蓮が直々に海霞の嫁ぎ先を、探してくれるという事か。
「姉にご慈悲をかけて下さり、ありがとうございます。」
「しかし、披露宴の日にアザだらけでは、君の姉君も可哀想だ。だから、傷が癒えるまで彼女を、君の侍女にしようと思う」
「そっ、そうでございますか」
「どうした。何か問題があるか?」
「いえ、何も……」
現在、青衣宮で生活しているのは、紙人形と、猫の幽鬼、そして死神二対だ。
客人が訪れる際には問題はないが、共同生活するとなれば話は別だ。決まった動きしかできない紙人形は、傍からしてみれば、気味が悪いだろうし、時々、
今までは何とか誤魔化してきたものの、暮らすとなれば、青衣宮の異常性に気づかれるのは時間の問題であろう。
「それより陛下。二つ目のお願いについてですが――」
「そうであったな。申してみよ」
「皇后様について、もっと詳しく話していただけませんか?」
「構わないが。どうしてだ?」
「陛下のご様子からして、皇后様に関することについて、何か後悔していらっしゃるように見えます。もし、そうでしたら私に話す事で陛下の御心が少しでも楽になれば良いと思いまして」
「二つ欲があると聞き、君にも欲はある物だと思っていたが――まさか、両方、他人の幸せを願った物だとは思わなかった」
白蓮は伏せていた顔を上げ、
「こちらに、おいで」
彼に手招きされ、側へ歩み寄る。
窓の外は丁寧に手入れされた庭となっており、睡蓮、花菖蒲、露草、矢車菊が咲き乱れていた。
「今から少し昔の話をしよう。彼女と出会ったのは、俺達が十六歳であった頃だ……」
***
十六歳の春。俺は彼女――
何の前触れもなく決まった縁談に、俺は困惑した。もちろん、父上に理由も尋ねた。
そして、父上から伝えられた真相は信じ難い物であった。
少し前、文官の男が詩を作る為に、酒を持って山へ入ったところ、怪しげな隠者に出会ったらしい。その隠者は文官に、こう言ったそうだ。
――私の娘を引き取って欲しい。
大抵の人間ならば、ここで理由を尋ねるか、隠者を警戒するであろうが、酒に酔っていた男は二つ返事で了承したらしい。
すると隠者は最後に、こう言って姿を消したそうだ。
――この娘が幸福なら富が舞い降りる。娘が不幸になれば厄災が訪れる。
隠者が消えると、そこには眠っている少女だけが残っていた。
酔いが覚め我に返った文官は慌てて娘を家へと、連れ帰り父上に事の
その娘こそが夏鈴であり、これが俺達の出会いだ。
夏鈴が皇后となった日、俺はそのまま彼女と初夜を過ごすことになった。しかし、俺が夏鈴が待つ寝室へ向かった際、中からすすり泣く声が聞こえてきた。
俺はすぐに中へ入り「どうしたのか?」と聞いた。すると、彼女は嗚咽を漏らしながら答えた。
――家に帰りたい。
この時、俺はどうすれば良いのか分からなくなった。だから「君を家に返してやることはできないが、初夜は見送ろう。俺は許しを得るまで、君には触れない」と答えた。
夏鈴はしばらく泣いていたが、しばらく待つとすぐに泣きやんだ。
――白蓮。貴方は優しい人ですね。
俺と夏鈴、互いに触れることなく、そのまま夜は明けた。
その後、俺達が関わる事はほとんど無くなった。それが約束だからな。
あれから一年後。
俺は彼女の誕生日に、衣と玉を送ろうとした。本人から「放っておいてくれ」と頼まれているとはいえ何も送らないわけにはきないだろう。
しかし、後宮へ向かおうとした俺が、宦官から聞かされた情報は――彼女が毒殺されたという物だった。
俺は後悔した。誰よりも深く。
信じられなかった。目の前に突きつけられた真実を受け止められなかった。
話によれば宮女が試食して欲しいと言いながら運んできた
これが昔から毒殺される危険があった良家の娘なら、先に侍女に毒味をさせただろう。
でも彼女は、しなかった。
優しい彼女は『悪意』という物を、知らなかったのだろう。
彼女が亡くなった後、父上が病でお倒れになった。「夏鈴が不幸になれば厄災が訪れる」という隠者の言葉は本当だったらしい。
その後、天子の位を引き継いだものの、俺自身はまだ子供であった為、
暇を持て余していた俺は、度々、文官が夏鈴を引き取った山を訪れた。
そこで、君と出会ったんだ。
君と視線を交わした時、俺は反射的に君を連れて帰りたいと思った。君も放っておけば、夏鈴のように消えてしまう――そんな予感がしたから。
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