死人にも口あり

 後宮の夜は、とにかく静かだ。

 静かで、静かで、少しだけ気味が悪い。

 一歩、一歩小道を進む度に、死の影がひたりと首に巻きついてくるような心地がする。


 禁書庫で亡くなった侍女の遺体を調査した後、さっそく侍女の幽鬼おばけから事情を聞こうとしたが、残念ながら禁書庫付近は丸一日、警備兵だらけであった。遺体の身元調査をするためであろう。


 そして、鬼猫グゥエイマオに禁書庫を見張らせておいたところ、日が暮れた後に、遺体が外へ運ばれ警備兵が居なくなった事を確認できた。そこで私は鬼猫、七七チーチー八八バーバーだけを引き連れて禁書庫へと向かった。


「なぁ、七七。夜の後宮って幽鬼が出てきそうだよな」

「もう既にでているではないですか?」

「え、どこに?」

「僕たちが幽鬼ですよ」

「あー、たしかに」


 私がこっそりと移動している中、七七と八八は小さな声で会話を楽しんでいる様子である。二人の話を聞いていると気が散りそうになるが、大声で騒がれているわけではないので、自由に喋らせておこう。


 あまり大人数で移動してしまえば、気づかれる可能性が上がってしまう。禁書庫の中へ入るつもりはないので、見つかっても咎められる事は無いだろうが、不審な目を向けられる可能性が高い。


「これは予想外ね……」


 禁書庫へたどり着くと、一人の女性が入口に立っていた。化粧で彩られた顔に、質素な襦裙。体は半透明で青白い光を放っている。

 被害者の幽鬼か。


 女性は伏せていた顔を上げると、私に向かって深く礼をした。


曇月タンユェ娘娘に拝謁いたします』


「面を上げていいわ。私を待っていてくれたの?」


『はい。どうやら曇月娘娘には私の姿が見えていらっしゃるようなので、来て下さると思い、お待ちしておりました。私は禁書庫に務めていた官女です。では単刀直入に犯人者から言わせていただきます。私を殺害したのは藍淑妃様の使いです』


 官女は宮中に使える女性の事だ。

 妃の世話係である宮女とは違い、読み書きはもちろん、それなりの教養を持っている。

 宮女の中でも優秀な侍女や皇帝の世話係は、読み書きができる者が多いが、これは例外だ。


「理由に心当たりはある?」


『えぇ、ございます。数日前、私は淑妃であらせられる花蝶ファーディエ娘娘に召し出され皁衣宮へ向かいました。そこで、私は花蝶娘娘から恋愛成就の術について問われました』


 恋愛成就の術。この言葉を聞いた途端、背筋が凍りつく。


『花蝶娘娘は、こう仰いました。貴方は窮地で一番書を嗜んでいる官女だと聞いたわ。そんな貴方に聞きたいのだけれども……恋愛成就の術について知らないか、と。私も陛下が長らく後宮へ足をお運びになっていない事を、存じておりましたから、きっと花蝶娘娘は陛下に召されない現状を嘆いていらっしゃるのだろうと思い、知っている術をいくつかお伝えしました』


「それで木札の術も教えたの?」


「はい。お教えいたしました」


『誰かが命が落とす事になると知っていながら?』


 腹の底から熱が湧き上がり、胸が苦しくなる。声を荒らげてしまいそうになってしまったが、なんとか耐えた。

 官女は再び頭を垂れた――否、手を、頭を、全て地へつけた。


『その通りでございます。私は今まで数多くの仙術書を読み書かれたていた術式を試してきましたが、何一つ上手くいく事はございませんでした。ですから花蝶娘娘にお伝えした際も、あくまで迷信や伝承ですよ、と断ってからお伝えすれば問題無いと考えました』

 

「貴方が今まで術を行っても何も起こらなかったのは、術式の使い方が正しく伝承されていなかったからよ。偶然成功してしまえば、誰でも行使できる可能性があるわ」


『そんな、私としたことが……』


 官女はしゃくり声をあげながら呟いた。彼女へ伝えたい事は、数え切れない程ある。だが、どのような経緯があれど命無き者に罪はない。


「泣かないで。貴方がやってしまった事は取り返しがつかない。一度言ってしまったことは取り消せないのだから。されど過去を責めても意味はないわ。今考えなければならないことは、これからの事よ。さぁ、立って続きを話して」


 顔を上げた官女は涙を、袖で拭きながら立ち上がった。


『あれから二日後。私の元に信じ難い知らせが届きました。他の妃様が呪詛にかかり倒れてしまったという知らせです。私は強い罪悪感に駆られました。ならば、内侍省に私と花蝶娘娘の罪を告白しようと、証拠である術の使い方が記された書物を回収しに禁書庫へ参りました。そうしたら……』


「背後から短剣で刺されたのね」


『はい。理由は口封じでしょう』


「証拠になりそうな物はある?」


『ございます。禁書庫へ向かう前に、念の為私の寝床に遺書を残しております。同僚の官女に、もし私が帰ってこなければ、寝床を調べて欲しい、と頼んであるので翌日には、皁衣宮に宦官の皆様が集まっている事でしょう』


「事件は放っておけば解決したという事ね。なら、どうして、ここで私を待っていたの?」


『それは、せめて貴方様だけにでも謝罪の言葉を述べたかったからです。あぁ、できるものなら紅慧ホンフェイ娘娘にも、お伝えしたかった。あの方は上級妃の中でも特に欲が無く、お優しい方だった……』


「それは分かるわ。確かに彼女は、闇が渦巻く後宮で一番心優しい方よ。もし良ければ私の口から彼女に言葉を伝えておくわ」


『感謝いたします。でしたら、こうお伝え下さい。私と詩歌や物語について語り合って下さり、ありがとうございました。他の女官は、いつも私を役に立たない書物ばかり読んでいる変人だと呼んでおりましたが、貴方様だけは、いつも真面目に私の話を聞いてくださいました。この恩は死してなお忘れる事はございません。そして、最後にご迷惑をおかけする結果になってしまい申し訳ありません、と……私とした事が長くなってしまいました』


「大丈夫よ。私はそれなりに記憶力はいいから、この程度忘れないわ。それに別れの言葉が長くなってしまう事は仕方がないわよ」


『そうでございますか。では最後に曇月娘娘にも一言お伝えしたい事がございます』


「何かしら?」


 官女は私を目を合わせ、にっこりと微笑んだ。目は腫れていたが、もう涙は流れていない。


「私は今まで曇月娘娘は恐ろしい方だと思っておりました。幽鬼妃おばけひめの噂は私の耳にも届いておりましたから。しかし、これは偏見であったようです。実際は曇月娘娘はとても心が広く優しい方でした。私まもう成仏して後宮から去るつもりですが、どうか曇月娘娘には、いつまでも末永く幸せに暮らしていただければと存じます」


『ありがとう。貴方の言葉を心に刻んでおくわね』


 背後で控えていた双子の宦官へ視線を移す。


「七七、八八。この方を泰山冥府へお連れして」


 七七と八八は、一斉に拱手した。


「はい。娘娘」

「言われずとも、そう致します」


 面を上げ、女官の方へ向かう二人へ、こっそり耳打ちする。


「ねぇ、貴方たちが後宮へ来たのは、この方から魂を回収するためなの?」


 二人は首を横に振った。


「いいえ」

「僕たちが探している魂は、もっと恐ろしい方です」




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