第一話 依り頼まれる

 当時、巳越が行方不明になったことが徐々に広がっていき、それを耳にした学校中の人々の間では行方不明の原因が幽霊だの呪いだのの仕業だという噂で持ち切りになっていた。

 だが……時の流れとは残酷で、卒業して時間が過ぎれば過ぎる程に巳越と峰枩の間で起きた騒動や巳越が失踪した事は人々の記憶から忘れられていった。今じゃ、誰もあの二人の話題には触れようとしない。

 ……何故なら、あの事件の後からも〝奇妙な事〟が起きていたからだ。

 その〝奇妙な事〟というのは、行方不明になったのは巳越だけでは止まらなかったという事だ。

 彼の失踪が発端だったかのように巳越と同じ学生、一般家庭の主婦、サラリーマン、事件に関わった警官、更には小学生など、あれから何人もの人間がこの町から行方不明になっていた。被害者の年齢などを見比べると統一性は見られず、何より目撃者がどの事件にも一人として居なかった。

 これは噂でしかない話だが……、目撃者も行方不明になっているらしい。


 巳越が失踪してから2年が経ち、俺は高校2年生になった。

 その2年間、幾ら捜索願いを出して出来る限りのことを協力しても見付からない為、俺や巳越の家族はもう巳越の生存について殆ど諦めが付いていた。

 だが、行方不明者たちの捜索がお手上げとなり打ち切りになったという知らせを受けた時は巳越の家族と共に「犯人は良いから、せめて遺体だけでも見つけてくれ。」とお願いしに行ったこともあった。しかし、警察たちは「申し訳御座いません。」と言うばかりで行方不明者の遺族が幾ら訴え掛けても警察は動かない。

 ……いや、遺体どころか手掛かりすら見つかっていないので動く事さえも出来なかったのだろう。

 然う斯うしている間も行方不明者は増えるばかりで、事件は今でも一向に止まる気配は無い。



 そして————、蒸し暑い夏も終わり、山の木々も秋の色に色づき始めた頃。

「………………。」

 一人の男がデスクのノートパソコンと睨めっこを繰り広げていた。

 男の名前は神楽坂 翔馬。今年で25歳。ここ、神楽坂探偵事務所を営む探偵だ。

 彼の営む神楽坂探偵事務所は民事関係の仕事を主としており、相談業務から調査業務、人探し、紛失物探し、ペット探しなどの依頼を受けている。加え、探偵として腕が利くと有名な為、依頼人は破天荒町内だけでは止まらず、有難い事に破天荒町外でも依頼を希望する人は少なく無い。

 そういう事もあり、一応は探偵職だけで飯を食べていけるくらいでもある。そして、そんな信頼の厚い彼は今、先日に依頼を受けた浮気調査の報告書を作成していてノートパソコンと睨めっこを繰り広げている最中だったのだ。


 今回受けた依頼は浮気調査で、「帰りの遅い彼が浮気をしているかもしれないから調べて欲しい。」との事だった。

 依頼主の女性には結婚を前提に同棲をしている彼がいるらしく、普段通りだと定時に上がりそのまま帰って来るのに、最近になって定時から長時間経過して帰ることが多くなったのだと言う。

 その後も怪しいところが無かったかや、ちょっとした惚気話も織り交ぜられながら聴取をし、男性の写真などの資料を受け取った。そして、その男性を尾行する為に1週間殆ど寝ずに張り込みをし、その結果、彼の帰りの遅い理由が発覚した。それは、彼女へのプレゼントを買おうと内緒で副業をしていたからだった。

 買おうとしたプレゼントの正体は調査の終わり際にジュエリーショップに寄っていた彼の上機嫌な様子を見て大体の予測は付いていたのだが、彼が彼女とお揃いにする為に婚約指輪を2個買ったのは驚かされた。

 婚約指輪は基本的に男性が女性へとプレゼントする物だと聞いた事が有るが、それをペアリングにするというのはきっと、彼が彼女と同じ物を持っておきたいという愛情の表れなのだろう。

 そうしてプレゼントの内容は伏せたまま、それらの結果を俺は彼女へ伝えた後、浮気調査の依頼完遂から3日が経ったある日、その女性が噂の彼を連れて事務所にやって来た。どうやら、二人揃ってお礼を言いに来たかったらしく再びちょっとした惚気話をすると、どういう経緯か二人が指輪を交換するところを見せて貰った。(少しだけ羨ましいと思ったのは内緒だ。)

 指輪を1個買うだけでも金銭的な苦労をする筈なのに婚約指輪をペアリングにした彼が彼女を思うの愛の深さや、張り込み中に見ていた彼の日々の努力を知っている神楽坂は幸せに包まれている二人を見て非常に心を動かされていたのと同時に、尾行中に溜まった疲れをいっときだけ忘れる事ができた。


「……婚約、か……。」

 その依頼の出来事を思い出しながらポツリと呟くと報告書を打ち込み、これが終わればゆっくり出来ると一息ついた神楽坂は上機嫌にノートパソコンのキーボードをリズム良く叩いて最後の一文字を打ち込みエンターキーを押した。そして、書類内の誤字脱字や報告漏れが無いかを一通り丁寧に確認すると、浮気調査を依頼した彼女に報告書を添付したメールを送信した後、コピー用紙にプリントアウトするとファイルに挟んだ。

「これでよし……、っと。」

 デジタルが普及し始めている中、なぜ彼が態々紙に報告書をプリントアウトするのかというと、万が一データが飛んだ時の為にきちんと可視化しておく為なのだ。

 神楽坂が探偵を始めたばかりの頃、持ち前の機械音痴が仇となり一度だけ依頼のデータを全て飛ばしてしまい大変な思いをした経験があった。なので、それからはファイリングしていつでも手に取れるようにと癖がついたらしい。

 勿論、プライバシー保護の為ファイルを入れる棚には鍵が付いている。

「っあ。そう言えば、妹も無事に出産できたら結婚式するって言ってたな……。(……最近の20代って結婚早くないか?)」

 ……20代の彼が言えた台詞では無いだろう。

 長い時間集中して画面を見ていた所為で目に疲れを感じパソコン業務専用の眼鏡を外して眉間を軽く指で摘んだ後、軽く背伸びをしながらまだ電源を点けっぱなしのノートパソコンの画面から現在の時刻を確認した。

「えっと、今の時間は……、12時23分か。ちょうど昼だし、昼食を……。」

 そう言って椅子から立ち上がって再び伸びをした時————。


 リリリリリリリリ……。


 ノートパソコンを置いているデスクから少し離れた所にある事務所の固定電話からコール音が鳴り響いた。

「!……。誰か電話に……(って、言っても誰も居ないんだけど。)……。」

 無意識に声を掛けてはみたが神楽坂は手伝いも助手も雇っておらず事務所には彼一人しか居ない為、立ち上がったついでに数歩進むと受話器を手に取り直ぐに応答する。

「お電話ありがとうございます、こちら神楽坂探偵事務所です。」

『も、もしもし、お昼時に済みません。ひ、〝人探し〟を依頼したいのですが……。』

 電話を掛けてきているのは声を聞くに中年の男性だろうか、この町で度々起こる失踪事件のこともあり〝人探し〟という単語に反応した神楽坂は少しだけ目を開くと、緊張しているらしい受話器越しの声に少しでも緊張を和らげようと、神楽坂は優しげに答えた。

「いえ、全く問題ありませんよ。」

 そして、言葉を続ける。

「人探しとの事ですが、今すぐのご依頼でしたら、お探しの人の詳細をお聞かせ頂く為に御希望の時間と場所をお答え頂いても宜しいですか?」

 神楽坂の落ち着いた声に少々安堵したのか、男性は改まった様子で話し始めた。

『あの、本日私の仕事が終わるのが18時30分頃になるので、19時に破天荒駅近くの北公園に来て頂く事は可能でしょうか?その際に探して欲しい人の写真や資料をお渡ししたいのですが。』

 依頼主が待ち合わせ場所に指定した北公園とはこの町で一番大きな公園で、駅から近く人通りも多いので周辺には飲食店などが多く立ち並んでおり、近隣住民の散歩ルートとしてよく使われている所だ。また、中央に湖がありボートに乗って湖を渡れたり、季節ごとにより綺麗な花が咲いていたり管理が行き届いている為、有名な観光地やデートスポットにもなっている。

「承知致しました、本日の19時に北公園に参ります。(……そうだ、話が終わった後は帰るついでに外で夕飯済ませるか……。)」

『もしもし……?』

「あ、すみません。では、お名前とお宅様の特徴を伺ってもよろしいでしょうか?」

『は、はい。私は、津野田 夕と申します。紺色のスーツに赤いネクタイ、銀縁の眼鏡を掛けて黒い通勤鞄を持ち歩いています。あと、先程も言ったようにその人の写真や資料をお渡ししたく……、その依頼の書類などを入れた大きめの茶封筒も持っているので分かり易いかもしれません。もし、早く着いてしまったら噴水近くのベンチに座って待っていますので。どうぞ宜しくお願い致します。』

 津野田の話を聞きながら神楽坂は電話機の脇に置いてある卓上型のメモ帳に依頼主の特徴をサラサラと擲り書き、聞き漏らしが無いか思い返す。

「(うん、大丈夫だな。)はい、それでは。」

 そう言って電話が切れると神楽坂は受話器を元の場所に戻し、自分がいつも持ち歩いているスケジュール手帳に今日の予定を書き加えた。

「さ、昼飯昼飯〜。」

 そして、本来しようと思っていた昼食を食べるためキッチンへ足を運ぶ。

「ふふ、昼はやっぱりこれだよな。(正直、いつ食べても飽きないけど。)」

 そう言って彼が食材を入れている引き出しから取り出したものは、レトルトカレーの入ったパウチだった。

「湯煎で4分、か。」

 余談だが、神楽坂は一日三食カレーで良いと思う程の無類のカレー好きだ。どのくらい好きなのかと言うと、子供の頃に将来の夢と聞かれると真顔で「カレーになる。」と答えていた程だ。

 あの頃の自分はいつか本当にカレーに成れると信じていた。が、大人に近付くに連れ自分はカレーに成れないと理解した時はショックで3日間ほど泣いた事もある。

 しかし、今ではカレーは成るものではなく食べるものだと思っている。そして、昨年にはカレー好きが暴走してしまい、〈インドに移住します、探さないで下さい。〉と実家に手紙を送り、本場のカレーを食べる為に休業してまでインドを訪れた事もある。

 その際、永住するつもりでインドの語学や文化を勉強し頭に叩き込んだが、やはり日本のカレーの方が舌に馴染んでおり好きだと感じまたこうして日本へ帰ってきたのだ。

 一方、実家は神楽坂の手紙でちょっとした騒動になっていたらしいが……。

「……っとそうだ、今のうちにご飯も解凍しとくか。」


 ————数分後。


「あちち……、……よし出来た。♪〜……いただきます。」

 パウチを開封しルーを解凍した米にかけてカレーライスを完成させると、上機嫌に皿を机へ運び椅子に腰掛け手を合わせる。すると、神楽坂はそれをスプーンで掬い次々と口に放り込みながら午後からは何をするか考えることにした。

「受けてた依頼はもう終わらせてるし、次に依頼されてるのはさっきの電話だけ、か。(津野田さんと会う時間が19時だから、約4時間もある……)……そうだ。」

 少し考えた神楽坂は、最近は外回りの依頼が多く事務所に滞在する時間が少なかったから、久し振りに事務所の掃除でもしようと思い付いた。そして、そう思った頃にはカレーライスの入った皿の中は空になっていた。

「……ごちそうさま。」

 食べ終わった皿をシンクに持って行き洗い終わった後、掃除機や雑巾などを取り出し神楽坂は事務所の掃除に取り掛かった。


 ————数時間後。


「っあー、疲れたぁ。(やっぱ、定期的に掃除しないと駄目だな……、気付いたら直ぐ埃と塵が溜まってる……。)」

 そう言って視線を壁掛け時計に移し時刻を確認すると、針は18時15分頃を指していた。

「……待てよ?(ここから歩きってなると、30分は掛かるから……)!急いでシャワーだけ浴びよう。」

 その後、髪を乾かし服を着ると、鞄に携帯電話、財布、メモ帳などの必要最低限の物を詰め込み北公園へと向かった。

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