鬼神のみぞ知る世界

間中 彩悟〔破天甲の陸龜〕

プロローグ

 この町で行方不明になった人間は、まるで初めから存在して居なかったかのように何も残らず消えていく。そして、今や行方不明になった人間がどんな最期を迎えたのか、又、その人間が生きているのかすら誰にも判らない。


 きっと、それを知るには彼らと同じ〝その時〟を迎えなければ知ることは出来ないのだろう————。


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 中学3年生の秋、小学校の頃からの俺の親友で幼馴染の彼が急に学校に来なくなった。

 これは、その彼が姿を消すまでの俺の記憶だ。


 今日は中学生活最後の夏休みが明けた登校日。久々に入った教室を見渡してみると、日に焼けた生徒や一歩も外に出なかったであろう生徒の肌が一目瞭然で見分けがついた。

「よぉ!神楽ぁ、久し振りだな! ……って、あっはっは!ひっでぇ日焼け‼︎」

 席に着こうとしていた俺に気が付いた幼馴染の彼が肩を叩き、振り返った俺の日焼けした顔を見て涙を流すほど笑っている。

 そんな幼馴染の彼の名前は巳越 祐木。住持職の祖父の教えからか昔から正義感が強く、弱い者イジメなどをしない優しい人だ。

「ふふ、凄いだろ?」

「すげぇすげぇ! ってまぁ俺も人のこと言えないんだけどな。」

 ちょうど隣の席だった巳越は、何処か誇らしげに笑う俺の腕と横に並べて互いに笑い合った。

「それはそうと、巳越は夏休みどこ行ったんだ?」

「俺?いつも通りじーちゃん家よ。庭で昆虫採集しまくり!」

「昆虫採集か。確かに、巳越の家って庭が広いから虫が採れそうだよな。」

「そーそー。ま、最終的にはみんな野に帰すんだけどな。あ、そう言えば神楽はどこ出掛けたんだ?」

「ん?海とか、山とか、あとスパワも行ったかな。」

 スパワとはスパースワールドの略称で、老若男女問わず楽しめるF県の中で最大のテーマパークだ。

「うわ、中学時代最後の夏休みを満喫してやがる……!」

 俺が思い出を楽しそうに話していると、巳越は目を丸めて言っていた。

 家の予定や事情で会う暇がなく、久し振りに会うクラスメイトも多かったのだろう、心なしか教室はもいつもより賑わっているようだ。

「まぁ、課題早めに終わらせたご褒美みたいなもんだから。」

「昨日の夜まで焦ってた俺とは大違いだな。」

 俺がまた誇らしげに笑っているのを見て巳越は浮かない顔をすると、巳越の言葉に俺は少しだけ間を空けて言う。

「だな。」

「ったはー、納得されたわ!」

「っふふ、冗談だよ。」

 頭を掻いて嘆く巳越を笑いながら見ていると、巳越も釣られて笑っていた。


 ……だが、その1週間くらいが経った頃から彼は急に変わり始めた。

 俺は、何も知らなかった。彼の、巳越の変化に何もすることが出来なかったんだ。

 小学校からの付き合いである俺ですら、彼が本気で怒ったところを見た事は無い。ましてや、弱い者イジメや誰かに暴力を振るう事なんて尚更だ。

 そんな穏やかで正義感の強い彼がこんなことになるなんて思っても見なかった。


 始まりは、巳越が一人のクラスメイトに暴力を振るった事だった。

 何故、巳越がこのような行為をしてしまったのかという事の発端は、俺たちのクラスメイトである〝彼〟が登校日より1週間遅れてやってきた時の事だった。

 〝彼〟の名前は峰枩 悟。〝彼〟は夏休み明けの1週間は私用で学校を休んでいたらしいが、2週間目が始まると登校し始めた。

 特徴があるとすれば、成長期がまだ来ていない所為もあるだろうが、男にしては小柄な体格で痩せており、少し伸びた藍色の前髪から覗く藍色の瞳とその目の周りにある夥しい程の酷い隈があると言う事だろうか。加えて、肌の血色も悪い為、誰が見ても一目で彼が不健康である事が窺えるだろう。

 峰枩とは3年生になって再びクラスが一緒になったが、彼がクラスメイトと会話しているところは一度も見た事が無い。

 1年生の時も確か同じクラスで入学早々は彼に話し掛けようとする者も居たが、話し掛けても峰枩は常にボーッとしていて答えない為、3年生になった今では彼に話し掛ける人は居なくなっていた。

 そんな〝彼〟を、巳越は行き成り殴った。何の前触れも無く。


 いや、あれは前触れだったのかもしれない。


 夏休みから2週間目。その日、俺は教室に入って席に着くといつも通りに巳越に挨拶する。

「巳越、おはよう。」

「……おぉ。」

 彼とは目が合わず、いつもとは明らかに様子が違う空返事を返してきた。

「(機嫌が悪い……?何かあったのか⁇)なぁ、巳こ……。」

 そんな彼を心配に思い、俺が声を掛けようとしたその瞬間……。


 ————ガラガラッ。


 教室のドアが音を立てながらゆっくりと開かれた。

 先程も言った通り、巳越は小学生の頃から正義感が強かったので、人を馬鹿にして笑ったりはしない人間だ。なのに、そんな巳越は登校して教室に足を踏み入れた峰枩を見るや否や、急に立ち上がり彼を指差し目が無表情のまま笑い始めたのだ。

「はははははははははははは…………っ。」

 巳越の乾いた笑い声が教室中に響き渡り、その不気味な様子に教室に居るクラスメイトたちが何事かと騒めく。

「お、おい巳越⁈」

 勿論、俺も呆気に取られ彼と峰枩の方を見回した。

「…………。」

 しかし、当の峰枩は巳越の笑い声の方に少し顔を向けただけで特に気にした様子も無いようで、普段と変わらない足取りで自分の席へ向かっていた。

「ははははははははははははははははははははは…………っ。」

 彼の何が気に入らないのか、峰枩が席に座った後も巳越は指差し笑い続け、まだ治っていない様子だ。

「巳越、一旦教室出るぞ!」

 峰枩と巳越の間に何があったか俺には解らなかったが、巳越の様子が可笑しく騒ぎが収まらないだろうというのは判った為、俺は咄嗟に彼の腕を引き教室から飛び出し、足早に廊下へ出た。そして、教室から出ると何事も無かったかのように巳越の笑い声はすんなり止まった。

「巳越、さっきの何があったんだ?」

「…………。」

「巳越?」

 彼は片手で自身の顔を軽く覆い俯いたままだったので俺は何度も理由を聞いた。

「……なぁ巳こ「何でもない。お前は関わるな。」!…………。」

 彼は今までに見た事の無いような険しい形相でそう言い放ち、俺はどう返して良いか分からず以降は互いに無言のままだった。


 どうやら、巳越の様子が可笑しいのは峰枩の前だけらしく、それ以外の時は特に可笑しいところは見られなかった。

 だから、俺は以前のことを忘れようとしてたし気にしなくなっていた。

 ……だが、2週間目が終わろうとしている頃、〝それ〟は突如起こったんだ。


 ドカッ。ドカッ。バキッ。バキッ。————ドスン。


「ははははははははははははははははははははは…………っ。」


 ドカッ。バキッ。


「み、巳越君、止めなよ!」

「え?何、喧嘩?」

 〝それ〟とは、巳越が峰枩へ暴力を振るった騒動のことだ。

「巳越君が峰枩君をいきなり押し倒して殴り始めたの……。」

「え、マジ⁉︎ちょっと先生呼んできた方が……⁈」


 ————ガラガラッ。


「「「「‼︎」」」」

 俺が担任への用事が終わって教室に入ろうとした時だった。教室の後ろの方で賑やかとは言えないガヤガヤとした声が聞こえきたのが気になり、俺が異変を感じて前方のドアを開けると、何やら騒ぎが起こっているようだった。

「あ、神楽坂!」

 ドアの音で数人が振り返り、俺に気付いた一人が名前を呼んだ。俺は皆の焦った顔が気になり何があったか確認する為に近寄ってみる。

「?何かすごい物音がするけど ……、 ……巳越⁈」

 そこには、峰枩に馬乗りになって殴る巳越が居た。

「はははははははははははは…………っ。」

 その上、ただ殴るだけでなく以前の教室と同じように目が無表情のまま笑い声を発しているのだ。巳越を止めようにも彼の体格は中学生にしては大きく力も強い為、狼狽している他のクラスメイトや俺だけでは止められそうには無かった。

「神楽坂、そんなとこに突っ立ってどうしたんだ?」

 すると、一緒に入って来た体格の良い運動部のクラスメイトが背後から声を掛けてきた。そして、俺は巳越を止められそうな彼の手を借りようと閃いた。

「っそうだ、良いところに!巳越が峰枩を殴ってて、俺だけじゃ止められそうに無いから巳越を止めるの手伝ってくれ‼︎」

「っあぁ、分かった!」

 急な頼みに驚いた様子だったが事情を汲み取ってくれた彼は頷いて巳越の方に駆け寄ると、彼は巳越を止めに入った。

「おい!巳越、止めろって‼︎」

 彼が巳越を抑えている間に、俺は重傷を負った峰枩の介抱に回り声を掛ける。

「峰枩、大丈夫か?」

「……………………。」

 二人の体格差が大きく一方的に殴られたであろう峰枩の顔は痛々しく腫れ上がっており、引き離した直後に彼はブツブツと何かを呟いていた。

「(……何を言ってるんだ……?)」


 ブツブツブツブツブツブツ……。


 その間、俺は峰枩の言っていることを聞き取ろうとして彼の口の動きに注視していたのだろう。

「 ……坂、…………ぐら……、……神楽坂‼︎」

「!」

 呼び掛けにすら気付かないほど集中していたらしく、巳越を抑えていた彼が顔を覗かせていた。

「大丈夫か?」

「ごめん、大丈夫。」

「巳越は一応止まったけど。……峰枩はどうする?」

 彼の視線に気付いてその方向に視線を移すと、峰枩は瞼を閉じて気を失ってしまっているようだ。

「……取り敢えず、保健室に連れて行ったほうが良いな。保健委員って誰だっけ?」

 俺がそうやって声を掛けると、女子生徒と男子生徒が気付いたように近付いてきた。

「っあ、私だ。」

「あと俺ねー。」

「峰枩のこと、お願いしていいかな?保健室に運んで貰いたいんだけど……。」

「オッケー、おぶるから背中に乗せて貰える?」

「分かった、ありがとう。」

 そうして男子生徒が峰枩を担いで歩き出すと、女子生徒もそれに付いて保健室へと運んで行った。

 俺はそれを確認すると、巳越を止めていた彼が小声で呼び肩を叩く。

「神楽坂。」

「?」

「巳越の方も、後は頼んだ。」

 彼の見る視線の先には、手で顔を覆い隠し俯いて座り込んだままの巳越が居た。

「ぁ、あぁ。」

 そう言って頷いた俺を見た彼はニッコリ笑うとクラスメイトに呼び掛ける。

「みんなー、ちょいはえーけど教室の掃除しようか!」

 確かに今は昼休みで、それが終われば掃除の時間でもあった。

 彼は学級委員でもあった為、直ぐに皆をまとめると俺たちからの注目を外そうとクラスメイトたちを巻き込んで掃除を始めたのだ。

 そして、みんなの注目が外れた今、俺は座り込んでいる巳越に透かさず何が起こったかの事情を問い掛けた。

「……巳越。この前といい今回といい、何があったんだ?」

「…………。」

 しかし、結果は教室の時と変わらず分からず仕舞いだったが、確かに違う事があった。

 その時の巳越の顔と言葉は今でもしっかり覚えている。

「……なぁ神楽ぁ……。」

「?………!」

「俺、あいつが怖えよ……。」

 以前は関わるなと突き放すように言っていたのに、今回は子供のように今にも泣き出しそうな顔で手を震わせながら何かに怯えた声でそう言っていたのだ。

「巳越……。」


 あの時、巳越が何に怯えていたのかも分からなかったし、なぜ峰枩が1週間遅れて登校したのか、保健室に連れて行かれる前に峰枩が何を言っていたかも分からなかった。

 そう、何もかも分からず仕舞いだった。

 ……今になって思う。あの時、俺が二人の事をちゃんと理解していれば、この結末は逃れられたのかもしれないのではないか……?と。


 ——————俺は、今になって後悔している。



 そうしてあの一件の後、峰枩は転校し巳越は行方不明になった。

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