第十一話 打ち解けられる
神楽坂の事務所兼自宅は二階建ての一軒家で、一階は依頼に来た来客用の応接スペースになっており、依頼の資料を纏めた棚やノートパソコンを置いてあるデスクやコピー機なども設置しているので事務スペースにもなっている。加えて、来客者に飲み物を出したり炊事をしたりするキッチンと、来客者も使用できるトイレもある。
熊谷と鬼塚は内心、一人で暮らすには少し広い家だと思いながら家の紹介をする神楽坂を見ていた。そして、その視線を他所に神楽坂は二階へと繋がる階段を登り始めた。
「泊まると言っても寝るだけなので、こちらの階しか使わないかも知れませんね。」
二人も神楽坂を追って二階に上がり、そこには少し開けた空間とその扉の向こうに小さなバルコニーのような場所が目に入った。
それを見た熊谷はバルコニーに繋がる扉を開け外を眺めて振り返ると、鬼塚も言わんとしていた疑問を投げ掛けた。
「かぐっちゃん、ホントに此処に一人で住んでんの?」
「?そうだな……時々、妹が泊まりに来てたことがあったけど、今は夫と暮らしてるらしくて今の所は一人で住んでるな。」
神楽坂はそう言うとバルコニーから見て手前にある扉を開けた。
そこは洗濯機が設置された洗面兼脱衣室と奥に浴室のある部屋で、洗面台の右の棚には依頼者の好意で貰った入浴剤やその他浴室用の備品などが置いてあり、左の棚にはホテルに宿泊する際に良く置かれている歯ブラシやボディスポンジが未開封・未使用のまま置いてある。神楽坂曰く、宿泊する時は私物を持っていくので自分では使わないが突然の宿泊者が出た時の為に使えるよう良く持ち帰るのだと言う。そして、就寝前に好きに浴室へ入って良いと言って隣の部屋の扉を開けた。
その部屋には机や椅子、ベッド、クローゼットなどの必要なものが置いてあったが、どれもシンプルなデザインで少し寂しい感じの雰囲気の部屋だった。
「ここ、かぐっちゃんの部屋?」
神楽坂の横から部屋に入り込んだ熊谷はその部屋を見回しながら言った。
「いや、此処はもしもの時の為に泊められる空き部屋だな。ほら、さっき妹が泊まりに来てたことがあるって言ったろ?」
そう言って神楽坂は扉を閉じ、向かいの少し広い部屋の扉を開ける。
「俺の部屋はここ。」
置いている家具は殆どモノトーンで統一されており、テレビやその向かいに置かれているソファや本棚以外、雰囲気は空き部屋とさほど変わらない印象の部屋だ。
「意外とシンプルなんだねー。」
「寝る時以外は依頼対応とか書類整理で殆ど一階に居るからな。」
そうして一通りの部屋の紹介を終えると、熊谷は空き部屋の方で寝ると言ったので鬼塚は神楽坂の個人空間に踏み入れることに気が引けて一階のソファで寝ると断ったが、神楽坂は気にしていない様子で自室でゆっくりして良いと言うので言葉に甘えることにした。
部屋割りを決めた後、神楽坂と鬼塚に脱衣を覗かないよう釘を刺した熊谷は一目散に脱衣所・浴室の方へ向かって行った。
「かぐっちゃん、お風呂借りるねー。」
「着替えはどうするんだ?俺たち、急に泊まることになったんだから何も用意してないだろ。」
鬼塚の声を聞き脱衣所のドアを閉める手を止めた熊谷は隙間から顔を覗かせ、神楽坂の方に甘えたような顔を向ける。その顔の意図に気付いた神楽坂は恐らく妹の部屋着が空き部屋のクローゼットに仕舞ってあるからそれを着替えとして使用すると良いと許可を出し、熊谷は微笑むと脱衣所のドアを閉め鍵を掛けた。
それから熊谷を待っている数分間、鬼塚と神楽坂は一階に降りて神楽坂の装った夜食のレトルトカレーを食べながら雑談を交わしていた。
……その際、鬼塚は神楽坂が相当のカレー好きであることを知った。
「お待たせ〜。」
神楽坂と鬼塚がカレーを食べ終え神楽坂がキッチンで食器を片付けている時、熊谷がネグリジェ姿で階段を降りてきた。すると、キッチンを横切った際、何かに気付いた熊谷は匂いを嗅ぎながらソファに腰を掛ける。
「……カレー?」
「あぁ、さっきまで鬼塚さんと晩飯食べてたんだ。熊谷も食べるか?」
「んー、いや、時間も遅いしもう寝るだけかなぁ。」
それを聞いた神楽坂はあからさまに残念そうな顔を一瞬だけすると、話題を切り替えた。
「それより、似合う服があって良かったな。」
「うん、サイズもぴったりだし良い感じ。」
そう言って神楽坂に向かって含羞んだ熊谷は辺りを見回すと、鬼塚の姿が無いことに気が付いた。
「おにちゃんはどっかに出掛けたの?」
「いや、煙草を吸ってるだけだから家の前には居ると思うぞ。」
二人がそうして話していると丁度良く玄関のドアが開く音が聞こえ、鬼塚がリビングの方へ入ってきた。
「お、噂をすればじゃん。」
熊谷の言葉の意図にいまいち理解が出来ていないと言いたそうな表情の鬼塚に神楽坂は説明する。
「鬼塚さんが煙草を吸いに外に出たって話をしてたんです、そうしたら丁度戻ってきたので。」
「あぁ、そう言うことだったんですか。」
「おにちゃんも風呂行って来なよ。」
どうやら熊谷が浴室に行っている間の食事中に次に誰が行くかを話していたらしく、神楽坂が譲ったので鬼塚は熊谷と入れ替わる形で二階へ登って行った。そして、神楽坂の部屋でジャケットを脱ぎネクタイとベルトを外してハンガーに掛けると脱衣所へ向かう。
ドタドタ…………!
鬼塚がバスルームへ向かって数分後、勢い良く階段を駆け降りる音が聞こえてきた。風呂に入ったにはとても早過ぎる時間で、二階には鬼塚しかいないので何かあったのかと階段の方を見る。
「熊谷‼︎」
鬼塚は随分焦っていたのか、腰にバスタオルを巻きワイシャツが肌蹴た状態で階段を降りてきた。そして熊谷を怒鳴りながら呼び、何事かとキッチンから顔を覗かせた神楽坂が声を掛ける。
「ど、どうしたんですか?鬼塚さん。」
「か、神楽坂さん。それが……。」
すると、鬼塚は息を整えて降りてきた理由を説明し始めた。
鬼塚が浴室を訪れた時、まず浴槽の蓋が閉まっていたことに違和感を覚えたらしい。なぜそれが違和感だったのかと言うと部屋の紹介で浴室を訪れた時には浴槽の蓋は外してあって栓も抜かれていたからだ。それを見てもしやと思い蓋を開けると、やはり浴槽にはお湯が張っていたのだと言う。
「熊谷……、他人の家だから良かれと思って……!」
鬼塚が熊谷を睨みつけながら語気を強めると、神楽坂は気にしていない様子で微笑んだ。
「良いんですよ、鬼塚さん。」
「で、ですが……。」
「熊谷がお湯を張ってしまったものはもう仕方ないので、鬼塚さんも良ければ浸かって下さい。」
「ほーら、かぐっちゃんもこー言ってるし。」
「(こいつ……。)」
熊谷の気楽な態度を見て鬼塚は再び眉間に皺を寄せ、その顔に熊谷は見透かしたように言った。
「どーせおにちゃんだって、湯船に浸かるの久々だったりするんでしょ?」
「う……。」
彼女の言葉が図星だった鬼塚は、事件の調査でここ最近は湯船に浸かることが出来ていなかったので何も言えなかった。なので、神楽坂の言う通りに湯船に浸かることにして再び浴室へ戻って行った。
「(風呂にゆっくり浸かるの、何時振りだろうな……。)」
湯船に浸かっていた鬼塚は気が付く、熊谷は湯船を張るだけでなく湯の中に入浴剤を入れていたらしい。
浴室には柑橘類の香りが仄かに漂っていた。
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鬼塚が浴室に居るその頃、熊谷と神楽坂は一階のソファに向かい合って座りながら各々自由に過ごしていた。
「熊谷、コーヒー飲むか?」
「飲もうかな。あ、ミルクと砂糖もいっぱい持って来てー。」
「わ、分かった。」
神楽坂はそう言ってキッチンへ行き、二人分のコーヒーを大きめのティーカップに注ぐとコーヒー用のミルクとスティックシュガーを4セット持って戻る。
「(流石にこれを全部使うなんてことは無いよな……?)」
「ありがと。」
神楽坂の見解も束の間、コーヒーを差し出された熊谷は彼が持ってきた分のミルクと砂糖を余すことなく全部入れていた。
向かいに座っていた神楽坂はカップに口をつけており、その様子を見て思わず吹き出しそうになったが必死に堪えて飲み込んだ。序でに咳き込んだ。
そんな神楽坂を他所に熊谷はカップに口をつけながら周囲を見回すと口を離して問い掛ける。
「この広い家、かぐっちゃんが一人で建てたの?」
「いや、元々あった家だ。親戚が趣味で建てて、古くなったこの家を譲って貰って……。」
ふと、神楽坂は何かを思い出したのか言葉を途切れさせた。熊谷はその言葉の続きが気になり顔を覗いたが、彼は「何でもない。」と言うと微笑んだ。
すると、熊谷はソファから立ち上がり神楽坂のノートパソコンを使って良いか許可を取った後、何かを調べているのか、画面に食らい付いて操作し始めた。
「都雲沢……?」
熊谷が口にした苗字に神楽坂は目を見開き、そして表情を戻しながら微かに笑った。
「パソコンで調べれば何でも出てくるもんなんだな。」
「いやいや、パソコン一台あっても調べられない人は調べられないよ多分。まぁ、アタシの技術が凄いってのは否定しないけど!」
そう自信満々に言った熊谷は腰に両手を当てて胸を張った。
「それより、この都雲沢って人がこの家の元持ち主?」
神楽坂は頷くと、この家の持ち主は都雲沢 禎公という人物で神楽坂の父親の再従兄弟にあたる男性だと説明した後、彼に出会うまでの経緯を話し始めた。
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