第二十二話 覚え醒まされる
「目の経過に障害は無いか?」
利用されていないことがハッキリと判る程に荒れ廃れたマンションの一角で、上機嫌に何かをノートに記録している悟に黒臣が声を掛けた。
声を掛けられたのと同時に悟はノートから顔を上げ、黒臣は覗き込むようにまじまじと瞳を見つめる。
「え?うん。お陰様で異常も使えてるし、視力に問題はないかな。」
悟はにこやかに言葉を返し、黒臣はある程度の確認を終えると自室へと戻った。
物部が予想した通り、悟は何者かの協力で兄である峰枩 悟の虹彩の移植をされていた。その施術をした人物は、悟の抱いていた峰枩家に対する憎しみを感じ取り手を差し伸べた反異常者の一人、藥士院 黒臣だった。
彼は過去に医者をしていたこともあり医療の知識は充分なくらいあるので周りからも尊敬され優秀だと言われる程の医師だったのだが、少年の器に寄生したレフィクルと出会った頃や悟の虹彩移植手術、スェドムサの器である暮坂 実希の豊胸手術を施した時は既に医師免許を剥奪されている闇医者と成り果てていた。
医師免許を剥奪される要因には様々なものがあり、黒臣の場合は家庭を失ったことによる心の乱れで手術を施せるような心理状態へ立ち直ることが出来なかったからなので、剥奪というより半ば返納に近いものだろう。
「……悟の異常を貰ってから9年、か……。」
黒臣が戻った後に悟はそう呟き、峰枩が姿を現した。
“ ?悟……? ”
峰枩の意思で悟の体を動かすことは出来ないが、身体を共有し思考もある程度は共有されているので悟の考えていることを峰枩は少しだけ理解できた。
「わたしもそろそろ、みんなみたいになってもいいかなって。」
そう、彼女もあの3人のように鬼神を自身の体に寄生させようと考えていたのだ。
“ で、でも……、失敗、すれば悟が……。 ”
過去、鬼神の異常に惹かれスェドムサを召喚した非異常者の暮坂 実希は寄生による苦痛に耐えきれず自我を保てないまま器だけを残して消滅してしまったのだと、彼の器に寄生しているスェドムサ本人から聞いていた。
黒臣によると寄生を成功させてから数十年は経っているらしいのだが、身体の年齢的衰えを感じたことが無いとも言っていた。恐らく、寄生をさせた時点でその人間は不老に近いような状態になるのだろう。また、レフィクルが寄生している少年は元々亡くなっていた人間の体だからなのか悟たちと出会ってからの間も成長の変化は全く見られなかった。
「わたしが易々と体をあげると思う?……逆だよ。わたしが鬼神君の全部を貰ってあげるんだ。ね、アーカシプ君?」
[……貴様如きに縛られる位なら、他の器を探して寄生した方がマシだ。]
「くくく……、冗談が通じないなぁ。まぁ、今すぐするって訳じゃないから、まだ安心しててよ。」
寄生を成功させている黒臣でさえナタスと呼ばれる彼の中の鬼神の制御は出来ておらず、側から見れば二重人格のような状態になっている。それがナタスと黒臣の間にある信頼のような物だと言えばそれまでだが、悟は自身の好きに鬼神の異常を使いたい、鬼神を掌握したいと望んでいるので黒臣のような状態には成りたく無いとも感じていた。
鬼神を召喚させて10年は経っているが、悟が寄生に踏み込めない理由はそこにあった。
「(感動の再会までは、寄生はお預けかな……。)」
今でもまだ病室で寝ているであろう誰かを思い浮かべながら、悟はひっそりと口角を上げた。
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神楽坂が意識不明になってから約1週間が経ち、その間も鬼塚は絶えず続く失踪事件を単独で捜査していた。
その頃の熊谷はというと、峰松 悟と峰枩 悟の母親の飛び降り自殺についての事件記事などを落ち着かない様子で纏めていた。なぜ熊谷は鬼塚に同行していないのかというと、鬼塚自身の提案で熊谷の身元の保護をした方が神楽坂のような事態にならないだろうと考えられたからだ。因みに、神楽坂以外は悟の具体的な顔を知らない為こちらの顔がバレないように極力外出をしないよう釘を刺されている。
「(アタシの方から協力を強制したハズなのに、今は自宅で留守番させられてるのは何かオカシくない……?にしても、かぐっちゃん大丈夫かな……。)!……やっぱり……。」
鬼塚に対する文句や神楽坂の心配をしながら作業をしていた熊谷が、目当ての情報を発見したらしく不意に手を止めた。すると、熊谷はディスプレイに映されたその画面を手慣れた手付きでコピー機を使いプリントアウトすると手荷物にならないよう小さく折り畳んでズボンのポケットに忍ばせると愛用のバイクで自宅を飛び出した。
鬼塚の言いつけを守らずに熊谷が到着した場所は、神楽坂が入院している破天荒町立病院だった。
彼の病室の場所は覚えていたので一目散に向かうと、どうやら先客がいたらしく見覚えは無いが神楽坂に似た面影を残した癖っ毛と、灰色の真っ直ぐに伸ばした長髪の背中が見えた。
「か、かぐっちゃん……?」
神楽坂は未だ誰かの異常によって眠らされているため神楽坂ではないことは理解していたが、もしかして目覚めたのではないかという小さな希望から熊谷はその背中に思わず声を掛けてしまった。
「?」
熊谷の声に気が付き振り返った人物は神楽坂と顔のよく似た女性だった。その女性の顔と雰囲気や神楽坂が度々口にしていた妹の話から、熊谷は彼女が神楽坂の妹であると直感する。
「もしかして、かぐっちゃんの妹さん?」
その問いに女性は頷くとここに居合わせていた理由を含めながら簡単な自己紹介をする。彼女の名前は神楽坂 彩花と言い、熊谷が直感した通り神楽坂 翔馬の妹だった。神楽坂と言っても現在は婚姻して夫の戸籍に入っているため苗字は比古咲になっている。
彩花も同じく異常者のため破天荒町に住んでおり妊婦検診で破天荒町立病院に来たところ、看護師間の噂を耳にして兄が入院していると知ったらしい。そして、診察している間に夫に病室を探してもらったようだ。
熊谷も簡単な自己紹介を返すと彩花は思い出したように話す。
「直実さん……、あ、夫は飲み物を買いに行ってくれてます。(病室を出てから十分は経っている気がするけど、それにしても遅いような……?)」
彩花が思う夫への心配は当たっており、極度の異常好きである物部と自販機の前でバッタリ会ってしまった直実は物部に捕まって自身の異常についてをしつこく問われていた。
「兄は……、何か危険なことに巻き込まれているんですか?」
「!…………。」
彩花の唐突な質問に熊谷は思わず口を噤んだ。熊谷には家族という者が居ないが、自分にとっての大切な人間が目を覚まさないとなると心配になるのも当然だろう。だが、軽々と話せるような事件の内容ではないので目を逸らすことで意思を示した。
熊谷は言葉にしていなかったが彩花は何かを察したように、それ以上のことを聞き出すことはせず静かに神楽坂の手を握った。意識は無いが生きていると確信できる温もりを感じながら。
「翔兄は、絶対に起きますよ。」
会話が思い付かず珍しく黙っている熊谷に、彩花は神楽坂の手を握ったまま振り返り再び声を掛けた。
「……根拠があるのかと聞かれれば具体的なことは言えな……、……!」
が、彩花の握っていた神楽坂の指先が微かに動いたことに気が付き言葉を止め、神楽坂の顔に視線を移すと口元が僅かに動いていたので目を見開いた。その様子に熊谷も何かに気が付いたのか、二人の側に寄る。すると、神楽坂の呟いていたそれは途切れ途切れの単語のように聞こえたが段々と明確な言葉になっていた。
「……ぃ…………さ、い……か…………。」
「翔兄⁉︎」
驚きの余り彩花が立ち上がると、神楽坂はゆっくりと瞼を開いた。
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