第二十一話 沿い革められる

 これは50年以上前に起きたこと。いや、それよりも前だったかも知れない。

「そうよ……、記憶を捻じ枉げちゃえば、ウチのことを認めて貰えるんじゃない……。」

 それが、ウチが〝ソレ〟を呼び出した理由だった。

[物好きも居たもんだわね……、あらら?しかも非異常者とはまたまた……。]

 確か〝ソレ〟は、〝鬼神〟と呼ばれていた存在だった気がする。

 ウチがなぜ召喚のやり方を知っていたのかは無我夢中だったから覚えていない。多分、古い本棚とか利用者の少ない図書館で埃を被っていた著者も分からない、贋めいた文書を真に受けて実践した結果なのだろうと思うことにした。

 鬼神を目の前にした状況の今、これだけはハッキリ覚えている。……ウチが、自身の父親を〝生贄〟に出したって事だけは。

「そう……、ウチは異常者じゃないからどうしようも出来なかったの‼︎」

 彼は、暮坂 実希。頑固で暴力的な父親と放任主義の母親の間に生まれた一人息子だ。名前を考えたのは母親で、由来は文字の通り。父親は男子を望んでおり、強い男に育てたいといつも言っていたので息子が生まれたことに喜んでいたらしい。そして、鬼神の言った通り、両親も異常者の家系ではなかったので彼も只の非異常者だった。だから、異常が欲しいゆえ何かに取り憑かれたように鬼神を呼び出してしまったのだろう。

[ほおぉん……。だから、どうしたいってぇ?]

 実希の呼び出した鬼神は顔も無いので表情すらも見えないが、形の無い体をフヨフヨと浮かせて退屈そうにしているのが見て取れる。


 成長していくうち実希は幼い頃からの大きな違和感を覚えていた。————それは、自身の性別についてだ。

 物心つく前の小さい頃からよく遊んでいたのは女子ばかりで、男子から茶化されることは度々あったが気にしないようにしていた。だが、物心ついた頃にその違和感は芽生えた。

 中学・高校生になるに連れて父親譲りにどんどんと伸びていく背丈と硬く筋肉質になっていく体に混乱と戸惑い、不安を抱えて実希の中の違和感は膨れ上がっていく。だけど、男子が欲しかった父親になんて相談できる筈が無かった。

「ウチに寄生して。それで、アンタの異常を……ウチに頂戴。」

 しかし、彼は高校を卒業すると同時に決心し、両親に相談を持ち掛けることにした。……父親が頑固で暴力をよく振るうような人間だと分かっていても。

 結果は散々だった。「女性になりたい。」と打ち明けた日には父親の逆鱗に触れたらしく、それ以降、相談を切り出せなくなるような位の恐怖を植え付けられるほど殴られた。そして、その夜は行き先を伝えず飛び出すように出て行ったので実希はそれから連絡は一切取っていない。

[ふぅん……お願いのその前に、自己紹介じゃないのかい?なんて呼べば良いか分かんないわね。]

「ごめんなさい、取り乱したみたい。……ウチは暮坂 実希。相手の記憶を改ざん出来るって言うアンタの異常が欲しくて召喚したの。」

[へぇ、じゃあ実希って呼ぶわいね。]

 性転換に必要な資金は手術の存在を知ってからバイトをしながらずっと貯め続けて両親と連絡を取らないままに目標の金額を超えた時、自身の望むような異常を持っている鬼神の存在を知った。

 その頃には両親は離婚していたらしく、無断で実家に帰ると父親しかいない状態だった。だから、実希は父親と対峙した時、彼から彼女になる前に恐怖を克服するため父親と向き合おうと思い立ったのだ。……もう一度否定された時の保険のため、鬼神を呼び出す術を頭に叩き込んでから。

[んけど、寄生って大変なのよ?耐え切れるかは個人の問題だし、そのままコッチが乗っ取っちゃう可能性の方が高いんだかんねぇ。]

「乗っ取る……?」

 鬼神を呼び出した頃の彼は、まだ彼女にはなれていなかった。何故なら、父親の説得が上手くいけば鬼神も呼び出さずに済んで丸く収まると心の何処かで期待していたからだ。

 その話し合いの顛末は、血で塗れたリビングと実希の目の前にいる鬼神が物語っている。そして彼は、新たな手段を思い付いた。


 彼の呼び出したスェドムサと呼ばれる鬼神は、〝対象のあらゆる過去の記憶を捻じ抂げる〟といった異常なので、自身を男性だと知っている又は関わりのある人たちの記憶をいっそのこと捻じ抂げてしまおうと。

 鬼神は、人身御供と引き換えに召喚され呼び出された時点で呼び出した人間と契約が交わされる。だが、鬼神がその契約者の指示を全て聞くかと言うと、自我もあり道具では無いのでそういうことは決して無い。使役するような異常がなければ鬼神そのものに異常を使わせることはまず無理だろう。

[ハイリスクハイリターン。寄生に成功すれば血の繋がった人間を一人、もしくは不特定多数の人間を喰べることで生きられるのけど、失敗すれば実希の身体はコッチの物になって、実希の魂とか意識とかその他諸々の存在自体が何処に行くかはコッチも分からないって話だわね。]

「共存出来ないと、ウチもろとも死んじゃう可能性がある……ってこと……。」


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 特定の異常者を嫌い鬼神を使役することの出来る異常を持った峰松 悟は、その異常を手に入れる為の助言をした鬼神と虹彩の移植を施した鬼神に誘われ〝反異常者〟を名乗り始めた。それは兄である悟を峰枩家本家から奪還する日、9年前に遡る。


 お母さんが亡くなってからというもの、ぼくは抜け殻のようになっていた。お父さんが亡くなった時もそうだったが、お母さんが亡くなった時でさえ本家の人たちは葬儀に行く事を否定して峰松家とぼくが関わることを固く禁じたからだ。

 ぼくは元々、峰松家の家系の人間なのに峰枩の家系の人間が非異常者の峰松の家系を蔑む姿を見て、ぼくの存在までも否認されているような気すらした。

 だけど、〝あの日〟からぼくは自由の身に成れたんだ。


 ————ぼくの、たった一人の家族の手によって。


 いつも通りに寝付けない布団から目を覚まして上体を起こし、目覚まし時計の時間を確認した後に布団を畳んで日の光を浴びる為に襖を開ける。嫌に静かでいつも通りの変わって欲しいのに変わらない景色を見る為に————、

「………ぇ…………?」

 だけど、ぼくが見たのは悍ましいほどの血溜まりと人だった物体の喰い散らかされた光景だった。ぼくは、まだ夢を見ているのだろうか。

 だって、目の前にはぼくに似た、いや、もしかしてあれは、ぼくなのではないかと錯覚する程に容姿を似せた人物が立っていたからだ。

「悟、迎えに来たよ。」

 そう呟いた人物は峰枩のところへ駆け寄ると、急に抱きつき言葉を続けた。

「……もう、わたしたちの邪魔をする人たちは居なくなったんだ。」

 勿論、この惨状を作り上げたのはこの人間なので衣服は誰のものかも分からない血液に塗れていただろう。そして、そのまま抱きついたのだから峰枩の衣服にもまだ乾いていない血液が幾つか付いてしまった筈だ。だが、彼は不思議と気にならなかった。母親が亡くなった日から、いつも以上に塞ぎ込むようになってしまった彼には。

「さと……り……?」

 峰枩は抱きつかれたままそう言うと、やっと認識した妹の存在に目を見開いた。

「やだなぁ、妹の顔も忘れちゃったの?……あ、今はこんなカッコだから判りずらいか。」

 峰枩の胸から顔を上げた悟はそう言って髪を流すと、無邪気に笑った。彼女の笑顔を見たのは、いつぶりだろうか。日にちで言えばそこまで経っていないが、彼女の心からの笑顔を忘れる出来事の方が重なり過ぎて、懐かしく感じてしまうのだろう。

「悟……、なんでこんな所に?」

「え、この大惨事を見たことより先に妹の心配するの?」

 彼女はそう言いながら縁側に座ると、床を叩いて隣に座るよう誘ったので峰枩も釣られて腰を下ろす。

「さっきの質問の答えだけど、言ったでしょ?わたし、悟を迎えに来たよって。」

「迎えにって……、……!」

 彼女の言葉の意味が分からず見つめていたその時、峰枩は彼女の背後で人体を貪る何かを見た。

「そっか、悟は異常を使わなくても視えるんだったね。」

 影の形は個体それぞれだが雰囲気で判る。それは、紛れもなく鬼神だった。庭の惨状を見る限り、もう本家の人間は皆この鬼神の胃袋の中なのだろう。

 だから嫌に静かだったのだと今更になって理解した。

「悟は、その鬼神を使ってこれを……?」

 その言葉に悟は苦笑いをして返答する。

「使ったっていうか、ここに来たら勝手に喰い散らかし始めた感じかな。指示する手間が省けて助かってるよ……、くくく。」

 そう言って峰枩を軽く見澄ました悟は、何かに気が付いた。

「悟、何か少し〝大人〟になった?」

「‼︎」

 含みを持ちながら核心を突いた悟の言葉に、峰枩は一瞬だけ目を見開くと直ぐに下を向き顔を曇らせた。

 その顔を見ながら視界の外で口角を上げた悟は畳み掛けるように声を掛ける。

「悟のとこに行く途中で、鬼神くんが喰べた人の中にお腹を庇うようにしてた人が何人か居たけど……もしかして、将来わたしの甥か姪になる子が誰かのお腹にいたのかな?」

「……知らない、し、そんなこと……悟に関係ない……。」

「関係なくは無いでしょ、〝わたしたちは〟家族なんだし?……くくく……。」

 悪ふざけをする子供の様な笑みを浮かべる悟に対して、峰枩はそれに悩まされる親の様に顔を両手で覆う。

「……っそ、そんなことより、あの鬼神……誰を、使ったの?」

 話を無理矢理に切り替えた峰枩が悟に問い掛けた。

「…………誰だろうね。」

 そう返した彼女の顔は、これまでに無いくらいの無表情だった。すると彼女は瞬時に表情を戻し、首を左右に振ってから峰枩の手を握り締めた。

「悟……わたしね、もうこんなこと終わらせたいんだ。」

 その顔は、苦しそうにも悲しそうにも嬉しそうに見える、複雑な感情に入り乱れながらもそれを楽しんでいるような顔だった。

「終わらせたい……って、何を?」

「……悟なら、分かってくれるよね?」

「………………。」

 結局、悟は終わらせたいことについては何も教えてくれなかった。だけど、ぼくの中ではこういう考えに落ち着いた。

 多分、悟は長く続いてきた峰枩家と峰松家のいざこざを終わらせたいんだって。

 ぼくがそうやって思考を巡らせていると、誰かがぼくの両肩に手を置いて引き、耳元で囁いた。

[目覚める頃には、お前たちは一人の人間として存在することになる。]

「っ……⁉︎」

[………………眠れ。]

 背後に居た存在の言葉の意味もその正体も分からないまま、言葉も何も発せないまま、ぼくはその誰かによって機械の元電源を切られたようにプツリと意識を閉ざされた。

 唯一、解った事は肩を引かれた時に靡いた髪が赤毛で長髪だったという情報だけだった。


 ————あれから、ぼくの目は妹である悟に移植された。そして、ぼくは悟の身体から離れられない霊体と化して悟の起こす事件をただただ傍観することしか出来なくなったんだ。

 だけど、ぼくは不思議とすんなりこの経過を受け入れることが出来た。


 ……だって、ぼくは生命としての死を迎えたけど、こうやって悟と一緒に居られるという願いを形として叶えられたからだ。


 異常を持っていないだけで不幸に晒されるような、こんな世界は、……要らない。

 だから、ぼくの異常で、……いや、今残された悟とぼくの二人の異常で、この世界を終わらせるんだ。

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