第二十六話 誑し込まれる

 人通りの無い裏道を歩きながら自分の後を隠れる気も無く追っている影に痺れを切らしたレフィクルは立ち止まると、声色を低くして振り返った。

[いつまで着いて来るつもりだ、スェドムサ。]

 神楽坂が目を覚ましたのに気付き行動を起こそうとしたレフィクルが廃マンションから出て行った後、スェドムサは密かに彼を追い掛けていた。しかし、そのことに気付いていたレフィクルは目的地を迂回しながらスェドムサを振り切ろうと試みていた。そして、それから半日以上が経過していた。

「嫌ねぇ。今のウチは暮坂 実希なんだから、鬼神の名前じゃなくて〝やっくろ〟や〝お姫様〟みたいに下の名前で呼んでくれなくっちゃ。」

 スェドムサの言う〝やっくろ〟と〝お姫様〟と言うのは、黒臣と悟のことだ。

 いつまで着いて来るのかという問い掛けには答えず話を逸らしているスェドムサに鋭い視線を向けたレフィクルは進む方向を変えながら答えた。

[あの二人は鬼神と人間を区別するために呼んでいるだけに過ぎん。我が貴様を〝スェドムサ〟と呼んでいるのは器である人間の魂が無い貴様を区別する必要が無いからだ。]

「ふぅ〜ん……。けど、人気のあるところでは鬼神の名前で呼ばないで欲しいわね。」

 レフィクルがスェドムサの言葉を聞き流しながら表の道に出ていくと、スェドムサに気を取られていたレフィクルは偶然通りがかった何者かの影に反応出来ずにぶつかり倒れかけた。が、それと同時にぶつかった何者かに抱き抱えるように支えられ声を掛けられた。

「大丈夫かい?」

 支えられる時にしゃがむ姿は見えていたので自分より背の高い人間なのだろうと理解していたレフィクルは抱えられていた肩から顔を上げた。

[…………!]

 顔を上げたレフィクル目の前に居たのは、神楽坂だった。そう、数日間眠っていた所為かいつもより早過ぎる時間に目が覚めてしまった神楽坂は鬼塚の指定した時間までの間、退院後のリハビリを兼ねて家の周辺を散歩していたのだ。

 現在時刻を大まかに言えば早朝でいつもより人通りが無いのでこの時間帯に人と会うことは稀なのだが、目的の人物に予想もしていなかった会い方をしたレフィクルは言葉を失っていた。同じく、辺りもまだ暗くこんな時間に子供が歩いている事に驚いていた神楽坂も言葉を失っている。

 互いが無言のまま顔を上げて何も言わずに見つめている少年に神楽坂は同じような表情をしながら首を傾げると、少年は不意に悲しげな顔をして涙を流し始め俯いた。

「(……さて、かぐしょーちゃんに接触して何を見せてくれるのかしら?❤︎)」

 その様子を建物の影に隠れながら眺めていたスェドムサはレフィクルが演技をしていると見抜き、神楽坂に視線を移して目を細めていた。

「きみ、名前は……?」

 何も言わず突然に泣き始めてしまったので神楽坂は困惑しつつ少年に問い掛けると、少年は〝琉神〟と涙声で答えた。話を聞くところ、北公園で遊んでいたのだが遊具を遊び尽くして退屈になってしまった為に破天荒町を探検しようと公園を出た後にいつの間にか自分の歩いている場所が分からなくなってしまったのだと言う。加えて、家が何処に在るのかも分からないらしい。

 潤んでいる琉神の目を見て異常を持っていることに気付き破天荒町の住人であることを察した神楽坂は、琉神の保護者が北公園で探しているかも知れないと思い逸れた北公園まで向かおうと思い立った。

「(……子供と逸れたまま家に帰っているってことはないだろうけど……、この時間まで探してる可能性も低いよな……。)」

 すると、何を思ったのか琉神は立ち上がった神楽坂の手を掴んでいる。この時、レフィクルは神楽坂の視界の端で器の異常を使い彼の心を読んでいた。

「おにぃちゃんに、ついてく。」

 琉神は涙を拭いながらそう言い、神楽坂は手を握り返して自己紹介をすると琉神と共に北公園へ向かった。……のだが、北公園には人の気配が全く感じられず保護者であろう人が居るのかすら危うい状況に思え、手を繋いでいる琉神は再び泣きそうな様子で神楽坂の隣を手を繋いだまま歩いていた。

 辺りが明るくなるに連れて北公園を散歩する人々や観光に来た人々で人の通りが増えてきてはいたが琉神に気付いて二人の方へ駆け寄る人間もおらず、ただただ通り過ぎて行く人並みを見回すことしか出来ない。それもその筈だろう、存在しない人間を探したところで見つかる筈が無いからだ。

 結局、歩き疲れた二人は琉神の保護者を見つけることが出来ないままベンチに座り込んで重い空気を漂わせていた。神楽坂自身、この町には正常な人間が居てもたった一握り程度だと自覚していたので保護者が琉神を捨てたのではないかという結果は当たってほしくない予想として心の隅で考えていた。

「おにぃちゃん……。」

 涙を堪えてそう言いながら神楽坂を見つめる琉神に、神楽坂はいつか出会うはずの甥か姪の姿を重ねて頭を撫でて呟いた。

「妹の子供が琉神君くらいの大きさになる頃には、この町が住み易くなってるって……、そう願ってる。」

 優しい声色で展望を語る神楽坂への反応をしないまま琉神は俯いていたので、神楽坂は手を離すと、少年の目線と合わせるようにベンチの前へ屈んで問い掛けた。

「どうしたんだ?…………!」

 屈んだ目線の先に映っている少年の顔は、先程まで話していた子供のような愛らしい表情から人が変わったかのように、冷酷な瞳の子供とは思えない表情に変容していた。そして、彼に向かって静かに言い放った。

「これ以上、彼女に関わると、貴様は成長した甥姪を拝むことなく早死にすることになる。」

「……彼女って、悟のことか?」

 口調も表情もまるで別人になった少年に少しだけ戸惑いを見せたが、この少年は自分やこの事件について何かを知っている。そう直感した神楽坂は、すぐに返事を返すと続けた。

「どうしてきみが俺のしようとしている事を知っているかは見当がつかないけど、これだけは言える。……俺は、この事件からは逃げるつもりは無い。」

 神楽坂が決意を固めたように力強い声でそう言うと、少年は理解が出来ないと言うような顔で彼の顔を凝視していた。しかし、それはほんの一瞬で、直ぐに表情を戻すと言葉を返した。

「死ぬと解っていてもか。」

「俺一人の犠牲であいつが……、いや、〝悟たち〟を止められるなら、俺はきっと死を選ぶ。」

 そう言う彼の瞳には、一切の曇りが無かった。眩しいとも思える程に。

「……そうまでして、死を望むか。」

 少年の言葉に神楽坂は首を左右に振ると、眉を落として困った笑顔を見せた。

「死を望んでいる訳じゃない。」

 そして真剣な顔で、凛とした静かな声で続けた。

「大勢の人が亡くなっている事件が、俺一人の命だけで止められるなら……、俺は死を選ぶって言ってるんだ。」

「……………………。」

 何を言っても無駄だと感じたのか、少年は呆れたような見直したかのようにも見える、感情を読み取れない表情をすると目を閉じて軽く息を吐いた。そして、ベンチから腰を上げ神楽坂の肩を強引に掴んで引き寄せた。

[忠告はした。]

 その瞬間、彼にしか聞こえないような声の大きさで少年が耳元でそう言って横をゆっくり通り過ぎると、神楽坂は立ち上がり振り返った。だが、少年の姿は何処にも無かった。

「(あの声……、どこかで……?)」

 神楽坂は耳元で聞いた琉神の人間とは言い難い、雑音の混じった低い声に聞き覚えがあった。そう、悟にあの廃ビルに呼び出された夜、意識を失う前に耳元で囁かれた声に似ていたのだ。

「〝あの子〟、本当に回りくどい言い方するのねぇ。」

「!」

 琉神が姿を消したあと神楽坂は再びベンチに座っており、声を掛けた見覚えのない女性(?)が隣に座っていたことに気が付いた。

 だが、不思議な感覚だった。見覚えのない筈なのに、隣に居る人物は初対面ではないような雰囲気で話し掛けて来たのだ。加えて、琉神のことを〝あの子〟と呼んでいるということは彼とも面識があるのだろう。

「あの、琉神君とお知り合いの方ですか……?」

 隣の女性と思しき人物は何も答えず神楽坂の顔を優しい眼差しで見つめている。

「あの……、‼︎」

 途端、女性は神楽坂の顔を両手で引き寄せた。神楽坂は女性の行動にフラッシュバックした既視感のある状況に目を見開き言葉を失った。

「ふふ、〝初対面の時〟よりしっかりした顔つきになってるわね。」

 目を合わせたまま怪訝な表情で女性を見ていた神楽坂は、女性の言葉に続ける。

「やっぱり俺のこと、知っているんですね。」

「その言葉が出てくるってことは、ウチのことを思い出してくれたのかしら?……嬉しいわ。」

 目の前の人物が放った言葉は本心からでた言葉だと伺え、そうしていると彼女は神楽坂の顔から手を離して立ち上がりベンチから腰を浮かせた。

「都雲沢 禎公。」

 そのまま彼女は立ち去ろうとしたが、神楽坂はそう言って女性を立ち止まらせる。

 何故なら、熊谷が病院に訪れた時に思い出した言葉と彼女の言葉使いが似ていたことに何か共通点を感じたからだ。

「俺とあの人の間に何があったのか、貴方なら知っているんじゃないですか?」


『あの子の記憶にある私に関係する記憶を、消して欲しいんだ。』


「知ってはいるけど、かぐしょーちゃんの記憶には必要ない事だったから。(ウチの名前までは覚えてないみたい……ね。)」

 女性は振り返り平然とそう答え、神楽坂は自身の呼び方と記憶の中の人物の呼び方が同じだったので思わず立ち上がり問い掛けた。

「記憶に必要ないことだったとしても、俺の記憶を消してまで「頼まれたのよ、その人自身に。」……!」

 瞬間、対峙している二人の時間だけが止まっているように思えた。

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