第5話 明日佳ビルディング
「え~と 風鈴野々葉 双子 血液型B型 双子座 六月生まれ 帰宅部 双子の姉は一年A組にいる 学業普通 過去のエピソード 特になし 備考 人当たりはよい」
(って、オイ! これだけか! 何の特徴も無いじゃねえか!)
雷次郎が、ギロリと京香をにらむ。自称「東高の気のいい情報屋」の京香は、雷次郎やムガとは幼なじみで、小学校からの付き合いである。いくら幼なじみといっても受験を挟んで、高校まで同じというのは珍しい。きっと、かなり発酵臭がするぐらいの腐った縁があるのだろう。そんな京香は、さばさばした気質で、笑顔がチャーミングな可愛い女の子である。雷次郎ににっこり微笑むと、
「分かってるって。データが少ないって言うんでしょ。今回は、ディナーじゃなくランチで我慢しといてあげる。」
「京香、お前! ランチ以下だ。こんな情報。これじゃあムガの彼女候補に挙げていいのか、判断の材料になりゃしねえ。」
京香は、人差し指を雷二郎の目の前に出して左右に動かすと、
「ちっちっち! 報酬は、成果に拘わらず頂きます。それが嫌なら、これからは自分で調べるのね。ただし、女子生徒の情報を嗅ぎ回ってる怪しい男子がいるって、みんなに広めちゃうからね♡」
「ぐ、ぐぬう。しかしだな。」
「アフターサービス無償にしとくわ。また、情報が入ったら、教えてあげるから。それで手を打ちなさい。」
「分かったよ。たくっ、で、どこのランチだ?」
京香は、ふふと微笑むと、
「もう決めてるの。明日佳ビルディングにある”バロンの居眠り”よ。」
明日佳…。雷二郎が押し黙る。京香は気付いているのだろう。だが、知らんぷりで、話を続けるようだ。
「あそこのランチは、ミニパンケーキが付くからね。しかも美味です。あんた、甘いもの好きでしょ?」
東野市の駅近くにある繁華街は、この街で最も栄えている場所と言っても過言ではない。私鉄の駅の乗降者数は、まずまずの人数であったし、何より駅近くには、東野市役所、地方裁判所、東野警察署、消防署といった官公庁も集中している。
その繁華街にある商業施設の中でも、一際目立つ大きなビルは、明日香ビルディングと呼ばれている。ビルのオーナー社長が、ビルの名前を自分の娘の名前に付け替えたいう事実を、地元の人間で知らぬものはいないと思われる。その七階には、おしゃれな個人経営のカフェやレストランが多数入居している。地元に密着した経営を標榜するビルのオーナー社長は、チェーンの飲食店は、あまり出店させない方針だという。
休日のお昼頃、明日佳ビルディングの地下駐輪場に自転車を止めた二人は、エレベーターでビルを上昇中である。
「ここに来るのは、久しぶりだな。」
特に京香に向かって言った訳ではなかったが、
「ふふ、そうなの? 東野市民は、月に二、三回は必ず来るかと思ってた。」
エレベーターが、数回の寄り道をした後、七階に到着する。京香に続いて”バロンの昼寝”というお店のエントランスをくぐると、窓側の席を案内される。眼下にはサクラ公園という市民に親しまれている公園が見下ろせる。京香がメニューと格闘しているのを尻目に、オレはAランチにしといてくれ、と一番廉価なメニューをさっさと告げ、ぼんやり外を眺めながら、このビルのオーナーのことを想う。
「わたくし、父の元に戻ろうと思いますの。今の社長がどうにも頼りなくてね。このままじゃ、お父様の会社が傾きかけちゃう。」
「ふ~ん。籍を入れたままじゃ駄目なのか?」
部屋の入り口で聞き耳を立てている雷二郎は、小学生に上がったばかりではあったが、聡明であったので、これは二人が離婚の話をしているのだということを理解していた。
「何? あなた。私のことまだ愛してくれてたの? あのお若い誰かさんより?」
「・・・。」
雷二郎の母は、父親に切り札のカードを切ったようだ。
「悪いけど、もう決めたことだから。この後のことは、弁護士を通してにしてくれる?」
「子どもたちは、どうするつもりだ?」
「連れて行くつもりだけど、親権争う気? 勝ち目無いわよ。」
「・・・。」
「でも、まあ雷二郎は、あなたのこと大好きだから、本人が残りたいって言うなら置いてってあげてもいいわ。」
「そんな簡単に言ってしまっていいのか?」
「ええ、だってあの子、考え方やら何やら、あなたそっくりなんですもの。あの子を見ているとあなたを思い出しそうで、ちょっと憂鬱よ。」
ユウウツ・・・。さすがにその言葉は、小学校低学年には難しかった。だが、母親が自分のことを悪く言ったように感じた雷二郎は、無性に悲しくなって、そっと入り口から遠ざかり、自分の部屋へ音を立てないよう小走りで駆け込んだ。
「お兄ちゃん。どうしたの?」
部屋の中で、絵本を読んでいた一つ年下の妹、明日佳が、顔を上げる。そして部屋に入ってきた兄が涙を流しているのを見て、心配そうに声を掛ける。
「お母さん呼んでこようか?」
泣いている兄は、横に激しく首を振る。
「お母さんに…、怒られたの?」
さっきと同じように雷二郎が激しく首を横に振る。そして一言だけ妹に告げる。
「うんう、お母さんに嫌われたの…。」
「Aランチ二つお持ちしました。」
しばらくして、テーブルに注文した料理が届けられた。
「何だ、お前も結局Aランチにしたのか。」
そう言うと雷二郎は、さっそく食事に取りかかる。そんな様子を見ながら、京香は微笑むと、
「がっつくねえ。飢えた肉食獣みたいだよ。」
構わず雷二郎が食べ続けるので。京香も割り箸をパチンと二つに分け、食事を始める。ややもして、京香が、
「あんたさあ、学年で結構話題になってたよ。ムガとあんたはデキていて、それでムガに近づく女を攻撃してるんだって。」
口にものを入れたまま雷二郎が、
「だったら、そう言っとけ。俺はな、何と言われようが、あいつには、あいつのこと分かってくれるちゃんとした女の子を見つけてあげたいんだ。全部の事情を分かった上で、それでもあいつのことを考えてくれる…。」
「ちょっと、ハードル高すぎない? そんな心が広くて物分かりのいい娘なんて、そんないないって。ムガくんの事情は確かに複雑だけど、わたしたちまだ高校生だよ。結婚相手を探してる訳じゃあ。」
メインディッシュを空にした雷二郎は、ゴクゴクと水を飲み干すと、
「だけど、高校で付き合って、そのままゴールインってのも無いわけじゃないだろ?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど…。でも、もっと気楽にお付き合いしていいと思うけど? あんたが女の子遠ざけるから、ムガくん困ってるんじゃない?」
ウエイトレスを呼んで水のおかわりをする雷二郎にそう尋ねると、
「困ってない。」
「何で、あんたが断言できるのよ!」
「ムガが言ってる。雷ちゃんが選んでくれると助かるって。今までも色んな娘が告ってきて大変だったからって。自分がごめんなさいって、その子のこと振らなきゃいけないのが心苦しいってさ。」
(これだ。イケメンならではの悩み、あの爽やか笑顔のムガという男、悪気はないんだろうけど罪作りな男であることは、間違いない。まったくもう…。)
などと京香が考えていると、思わぬ一言が雷二郎の口から飛び出してくる。
「でも、まあ、お前だったら合格なんだけどな。」
(え、何それ! ちょっと恥ずイよ。)
京香は思わず箸を止め、目を見開いてしまう。
「どうだ、京香? お前ならムガを安心して任せられるけど。」
「バカ! 何、突然言いだしてんのよ! 何であたしがムガの彼女にならなきゃいけないのよ! あの天然色ボケ男の面倒なんて見てられないわ。それにあたしは…。」
(マズイよ。顔赤くなってないかな? ちょっと動揺が治まらないよ。)
「何だよ。他に好きな奴でもいるのかよ。」
(いるわよ! 馬鹿!)
と、そこへ思わぬ来客がやってくる。
「あら、お二人さん。御機嫌よう。相変わらず仲がよろしくて羨ましいですわ。」
「タイミングが良すぎるな・・・。何で俺たちがいることを知ってる。」
雷二郎が、わざとらしく登場してきた妹の明日佳を詰問する。
「アハッ。私ね、監視カメラを眺めるのが趣味なの。だってお兄様がいつ会いに来てくれるかもしれないでしょ。毎日二十四時間モニターの前にかぶりつきですわ。」
「あのなあ。どこにそんな暇な人間がい」
雷二郎が言い終わる前に、
「冗談ですわ。」
と、さっさと開き直る。そして、
「お兄様が、あんまし顔を出してくださらないので、京香さんに連れてきてってお願いしたの。」
雷二郎は、チラリと京香の方を見る。京香はあからさまに横を向いて視線を逸らしている。ワザとらしく口笛なんぞ吹き始めやがった!
「お兄様。※下妻のおじさんから聞きましたよ。お父さんの仕送りだけで、きちんと生活できてますの? 何だか凄く節約した生活を送ってるとか。」
※下妻 征二・・・雷二郎、明日佳の父の義理の弟。税理士である下妻に、雷二郎は高校生では解決しにくい事案の場合、相談に乗ってもらっている。
「はいはい、節約のどこが悪いんでしょうかね? 社長令嬢の明日佳様には、お分かりにならないでしょうが。」
明日佳が少しむくれる。
「その言い方、止めてくれない? みんな私をそんな風に見るから、私…。」
そう言い淀む。何か続きがありそうだったが、明日佳は顔を上げると口調をしっかりしたものに戻し、
「それよりお兄様。今日は、お金の話に続きがあります。今うちの高等部に編入用の空きが出来たらしいの。んで、お母さんが、お兄ちゃんにその気があるなら、学費は出してあげるから編入試験受けてみたら?って。どうかな? 下妻さんの話だと、お兄ちゃん交通費がかからないから東校選んだみたいだよって、言ってたし。お兄ちゃんメチャ勉強できるじゃない。きっと翔洋学園の方が合ってるよ。進学率だって高いし。それに、来年私が入学したら、一緒に通えるじゃない?」
ゴトッという音と、アッという声がしたので、そちらに目をやると、京香が水の入ったコップを倒してしまったらしい。
「何やってんだよ、京香、ほら椅子引いてバックしな、服が濡れちゃうぞ!」
慌てて雷二郎がテーブルの上のおしぼりをかき集めて、テーブルの端からこぼれ落ちそうになっている水を堰き止める。
「あ、ありがと…。」
京香は、自分がこぼしてしまったせいか恐縮して、いつもの快活さが消えている。テーブルの上の水の処理があらかた終わったのを見届けた明日佳が、
「ねえ、お兄ちゃん。いい話でしょ。どう? 翔洋学園受けてみない?」
雷二郎は、返答する。
「いい話じゃ、無い。」
「何でよ! 絶対その方がいいって!」
雷二郎は大きく首を横に振ると、
「まず第一に、母さんに借りを作りたくない。第二に、俺は大学には行かない。第三に、俺は東高が気に入っている。第四、第五も聞きたいか? 明日佳。」
「お兄ちゃん…。」
声色が変わった。本来の明日佳の声のような気がする。明日佳は雷二郎の視線を避けるように横を向くと立ち上がり、
「もし、気が変わったら連絡して…。じゃ…。」
そう言うと、振り返らずに店を出て行く。店員のうちの何人かは、明日佳がビルのオーナーの娘と知っているのだろう。丁寧にお辞儀をしている。入り口のところで、初老の品の良さそうな女性に呼び止められた明日佳は、その女性と少し言葉を交わすと、丁寧にお辞儀をして店のエントランスから出ていった。そんな明日佳の後ろ姿を見送り終えた雷二郎は、まるで、今まで重大な話をしていたのが嘘であったかのように、
「京香、食べ終わったか? デザートのミニパンケーキ持ってきてもらうぞ。」
ウエイトレスの一人をつかまえて、デザートをオーダーする。何だか元気が無い京香は、
うん…と返事をした後、
「雷二郎。明日佳ちゃんの話、本当にいいの? あと、大学受けないって本当なの? 初めて聞いたよ。」
「ん? ああ、大学行かないってのは本当だ。だから別に進学校かどうかはどうでもいい。」
京香は少し口に出すのをためらったそぶりを見せた後、
「あんた、頭いいから、結構いい大学入れると思うよ。そう考えたら明日佳ちゃんが言ったように翔洋の方がいいのは間違いないと思う…。」
「何だよお前まで。俺を東校から追っ払いたいのか?」
「違っ…。そんなことないよ。あたしはあんたが東校にいてくれると退屈しないし…。」
到着したデザートにさっそくスプーンを突き立てた雷二郎は、
「だいたいムガもいるんだし、他の高校なんか行くわけ無いだろ。」
そのまま連続で三口ほど頬張ると、雷二郎のパンケーキは、あっという間に半分以下になる。京香が雷二郎の言った言葉をなぞるように、
「そうだよね。ムガくんもいるしね…。」
(あたしもいるんだよ。雷二郎…。)
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