第21話 佇む女③

え?! 教室の空気が変わる。

朝、ムガたちが教室内に入ってくると、教室内にいる全ての生徒が、雷二郎に注目した。ムガが、自分のことのように、

「どう、どう? いいでしょ? イメチェンだよ~。」

「…。」

一方の雷二郎はノーコメントだ。丁度直ぐ後に風鈴が入ってくる。雷二郎を見て一瞬だけあっと口を開けたものの、事情を知っているので、近くを通るときは

「おはよう、天城霞くん。竜神くん」

と、いつもと変わらない挨拶をする。

「やあ、風鈴さん。おはよう!」

ムガが爽やかに答える。一方の雷二郎は言葉は発せず、右手を上げただけ。何となくムスッとしているのが伝わってくる。


 狭い学校だ。雷二郎が髪を黒くしたというだけで、休み時間ごとに、わざわざ見に来る野次馬が大勢いた。京香の情報が、だいぶ出回っているというのもあるだろう。雷二郎が学年トップの成績を誇るという事実も、かなり知れ渡ってきている。いずれにしろ、如何に学校の日常が、話題に飢えているかを証明する形となってしまった。当然野次馬としてやって来た京香は、遠慮もせずに教室の中までやって来て、笑い転げている。

「どうしたの雷二郎? 昔のように、お利口ちゃんに戻りましたかあ?」

などと言って、たいそう楽しんでいる。

「うるせぇ。俺が悪いんじゃない。コイツのせいだ!」

指差されたムガは、体を斜めに倒して雷二郎の指先を躱し、

「えっ? 誰が悪いんだろうね?」

などと反省の色がない。あまりに京香が笑っているのを見かねたのか、風鈴が京香に声を掛けた。

「時屋さん、ちょっとお静かにしていただけませんか?」

「ん? ああ、風鈴さん。ごめん、うるさかった? そうそう、そういえば例の物は役に立った?」

ムガが、雷二郎に不思議そうに尋ねる。

「アレ? あの二人知り合いだった?」

「知らん。」

雷二郎が簡潔に答える。京香が、何か風鈴に耳打ちすると、風鈴は首を横に振って、

「野々ちゃんは、不合格でした。」

と、京香に告げる。

「そっか~。分かった。あたしも、また対策立て直すよ。」

そして、ムガと雷二郎の方を見ると、ププと吹き出しながら、

「いやあ、ありがとう! あんたら最高! また笑いのネタ提供してね!」

そう言うと、手をヒラヒラさせながら、教室を出ていく。そんな京香の後ろ姿を見送りながら、風鈴が、

「あのう、京香さんとは、どのようなご関係なんですか?」

「ああ、京香ちゃん? そうだね。小学校からずっと一緒。珍しいよね。こんなに長い間、同じ学校に通うなんて。」

ムガがそう答えると、

「そうなんですか…。だからあんなに正確な問題集を…。」

風鈴は、そう呟き、雷二郎の方をチラ見ると、

「可愛い方ですよね…。」

尋ねるかのように呟く。雷二郎ではなく、ムガが正直に反応し、

「そうなんだよ。京香ちゃん昔から人気者で、中学校のころなんか、僕の男友達みんなアタックしてたよ。いや、女の子もいたっけな。でも、京香ちゃん、みんな断ってたなあ。」

もう一度、雷二郎をチラと見た寿々葉は、

「そうなんですか…。」

そう呟くと、それっきり黙り込み、二人の前から立ち去って、自分の席の方へ戻って行く。


 髪を黒くした雷二郎の初日が終了した。担任の塩崎に保健室侵入について反省しているのなら態度で示せ!と言われ、やむを得ず黒に染め直したのだか、予想以上の反響であった。今日は疲れたなどと、吐き出しながら帰路に着くと、またムガの家の通りを挟んだ位置に、ある人物がいるのを見付けた。

「アイツ、また!」

ムガを置き去りに、ツカツカとムガの家を見つめている女生徒の元へ雷二郎が近づいていく。女生徒は、雷二郎が近づいて来るのに気が付くと、すぐに

「ただ、家を見てました。」

と、この前と同じことを言い出したが、雷二郎がそれを許さない。

「風北だったな? いい加減にしろ! いったい何がしたいんだお前は? 今日はそれを話すまでは、ずっと付きまとってやる! ストーカーって、言われても構わない。お前ん家まで付いていくからな!」

そこまで言った雷二郎だか、女生徒の足や腕がアザだらけなのに気が付き、少し勢いが削がれる。よく見ると顔の一部にもファンデーションで隠したアザが見える。雷二郎が驚いた表情で、自分の脚や腕のアザを見ているのに気が付いた夏美は、アザを隠そうともせず、

「これは、あなたが、想像しているようなものじゃないから、気にしないで。」

「あ、ああ。で、お前は何で、いつもこの家を見ている?」

「それは…。」

ちょうどムガがやって来る。

「雷ちゃん。それから風北さんっていうんだよね、隣の組の。あっ! そのアザ、どうしたの?」

ムガも気付いたようだ。

「これは、あたしのミスだから気にしないで…。君がこの家の子だったんだ。まさか同じ高校だったなんて…。」

雷二郎の目が光る。だが、ムガが、余計な会話をはじめてしまう。

「風北さん。もしかして、僕の家に入ってみたいの? 散らかってるけど、どうぞ。」

風北は驚いたようで、目を見開いたが、

「いや、いい。君はムガくんって言うんだよね?」

「そうだよう。何にも無いの無いに、我々は!の我っていう字。」

「そう…。」

「風北さん誰かに意地悪されてる? 痛いことされてない?」

ムガは、基本的に誰にでも優しい。そして、女の子には然り気無く気遣いが出来る。風北は首を横に振って、

「これは、ボルダリングの時にできたアザだから、そんな深刻に考えないで。」

「ボルダリングって、あの壁を登っていくやつだよね。へぇ~すごいなあ、風北さん。楽しそう!」

雷二郎が、「なぜムガの家を見ている!」に話を戻そうと介入を試みるが、今日はことごとくムガに邪魔をされる。

「僕にも出来るかなあ? ボルダリング。」

そして、何故か、風北はムガにはとても優しい。

「大丈夫。君にも出来るよ。あの…君もやってみる?」

「うん、やる、やる!」

そして、雷二郎の方を向くと、

「雷ちゃん! 雷ちゃんもボルダリングやってみようよ!」

雷二郎は、ムガが何故か自分が風北を追及するのを止めさせようとしていると感じていた。返事をしないでいると、

「風北さん。じゃあボルダリング僕に教えてくれる? いつもどこでやってるの?」

「ちょっと前に、閉めちゃったオリンポスってお店知ってる?」

「ごめんね。知らない。」

雷二郎は知っていた。いっときブームで東野市にも何軒かボルダリングのジムができたが、ブームが去って閉じた店がいくつかあることを。そして、そんなに遠くない位置にオリンポスという店があったことを。

「そこの鍵、持ってるんだ。電気が付かないから、明るい時間じゃないと出来ないけど、いつでもやりたい時に出来る。」

「そうなんだ。じゃあいつにしよっかなあ。」

「学校終わってからだと、すぐ行かないと暗くなっちゃうから。ゆっくりやりたいなら土曜日か日曜日がいい。」

「ねえ、雷ちゃん、いつ行こうか? あっ風北さんの都合も聞かなきゃいけなかったね。」

「私はいつでも大丈夫。登るのが好きだから…。」

「何だか僕、すっごく楽しみで、出来るだけ早くやってみたいな。明日の土曜日はどうかな?」

「うん。いいよ。」

とんとん拍子で話が進んでいるようだ。雷二郎が、風北に話し掛ける。

「鍵を持ってるって言ったな? 不法侵入じゃないだろうな。」

突然話し掛けられた風北だったが、雷二郎の鋭い視線は意識していたようで、それほど驚かずに答える。

「それは大丈夫。鍵は本物だし、今は空き家だけど店舗の管理は父がしている。」

雷二郎は、今度はムガの方を向き、

「ムガ、明日は風鈴のとこに行く日だ。明日は辞めとけ。」

「あ、そうか、お誕生日! でも午前なら大丈夫じゃない? 風北さん、朝からでもいい? 僕早くやってみたいんだボルダリング!」

雷二郎は、風北…と名前を呼び、

「話してくれないのか? お前は、もしかして昔のムガの事を知っているんじゃないのか?」

「雷ちゃん! 止めなよ。いいじゃないのそんなこと! 仲良くしようよ!」

風北が弱々しい言葉で雷二郎に答える。

「ゴメン…。昔のことは話せない。でも、私は…あんたらが嫌なことは絶対にしないし、あんたらの望むことだったら、何でも力を貸す。」

「雷ちゃん!!!」

珍しくムガが、声を張り上げる。雷二郎は、

「分かったよ。俺たちに害が無いってのは信じるよ。」

俯いていた風北は、ありがとう…と、ポツリというと、明日は朝からオリンポスにいるからいつでも来ていいよ。そう言い残して、その場を立ち去っていく。ムガが、

「ありがとね~風北さん! ボルダリング楽しみ~」

やがて、風北の後ろ姿が見えなくなると、

「雷ちゃん、酷いよ。あの娘、傷付いてるよ。」

「ん? あのアザはボルダリングって言ってたろ。」

「そうじゃないよ。胸の中のこと! あの娘、何か心の中に傷を抱えてるんだ。」

「何で、そんなことが分かる?」

「何でだって? 嘘つき! 雷ちゃんだって分かってるはずだよ! あんな寂しそうな目で、悲しそうな顔で、僕の家を見てたじゃないか! 雷ちゃんは忘れてしまったの? 僕たちもあんな目をしてたこと…。」

雷二郎は押し黙る。そして、

「…。いや、忘れてない…。」

雷二郎は、ムガに背を向け、家の方へ向かう。振り向かなかったが、

「ごめん。ムガ。お前の言う通りだ。悪かった。もうあの娘を追及することはしないよ…。」


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