第27話 崩れはじめる砂の塔②

「社長、それでは、オレはこれで。」

深く頭を下げたチンピラ風の男は、そう言うと、また、車の運転席に戻っていく。排気音と共に車が去るのを見送ると、門を静かに開けて、ガレージの方へ回る。深夜2時を過ぎた頃である。玄関から入ったのでは、妻や娘を起こしてしまうかもしれない。そう考えた時政だったが…。ガレージから家へ通じる廊下に明かりが付いていた。妻であろうか? だが、最初の頃とは違って、妻がいちいち仕事の帰りに合わせて起きているようなことは無くなっていたはずだ…。靴を脱ぎ終わり、明かりの付いている廊下へのドアを開けると、廊下の壁を背に膝を抱えている女性が目に入った。

「夏美!!どうしたんだ!こんな真夜中に!!」

だが、父がそう声を掛けても、夏美は返事をしなかった。逆に娘の口から質問が返ってくる。

「お父さん、今までどこに行ってたの?」

「ん? ああ、接待だよ。取引先の社長さんが返してくれなくてな。ずっと飲んでたんだ。」

娘は、立ち上がると、

「そう…。じゃあ。」

そう言って、部屋の方へ戻って行くのかと思いきや、時政の方へ夏美がやって来る。父と視線を合わせずに、そのまま父の脇を通り過ぎて、ガレージの方へ向かおうとする。今、時政が通ってきたとうりに、ガレージから、外に出て行くつもりなのだろうか? 慌てて時政が、娘の腕を掴んで、

「何をしてるんだ夏美! 外へ行くというのか? 今何時だと思ってるんだ。ふざけるのはよしなさい!」

「ふざけるのはよしなさい? ふざけているのは誰? 私なの、お父さんの方じゃ無くて?」

「何を言ってるん、あっ!!!」

時政が息を飲む。掴んだ夏美の反対の手に握られていたのは、大きな目立つ乱暴な文字が印刷された、しわだらけの紙の束であった。

「放して、お父さん。わたしこれからまた、コレ、剥がしに行かなきゃいけないから。」

そう言って、持っていた紙の束をバサッと廊下に投げやると、それを見て、呆然とする父の手を振りほどき、ガレージの入り口から外に出て行く。我に返った時政が、娘の後を追おうとすると、

「来ないで!」

今まで聞いたことも無いような、娘の大きな声が父親を制した。

「お願いだから来ないで…。」

「夏美、これには訳があるんだ! 待て、待ちなさい!」

立ち止まった娘は振り向くと涙目で、

「何も聞きたくない! それから…もう私に触らないで!話し掛けないで!私の人生にあなたはイラナイ!」

呆然と立ち尽くす時政の元にしばらくして、妻の佐夜子がやって来る。廊下に散らばる紙を見遣ると、時政の肩に手を置き、

「いつか、こんな日が来るかとは、思っていたわ…。これからは地獄ね…。所詮私たちみたいな人間が、きちんと子どもを育てて、幸せな家庭を手に入れようなんて考えたのが間違いだったのよ…。」

「ああ…。」

肩に置いていた手を外すと佐夜子は、

「じゃあ、行ってくる。」

そう言って、娘の消えた方へ小走りで出掛けていく…。



父の書斎のドアノブに手を掛けた夏美は、

「あ、開いてる。お父さんおじゃまします。」

父は、やはり不在であった。疲れて眠っている可能性も、少しは考えていたが、違うようだ。父の書斎は、前に入った時と変わらず、仕事の机には、ノートパソコンや整理された、たくさんの書類が置かれている。右手の奥には、本当に小さな部屋があって、そこには、大きな印刷機が置いてあったような気がする。そこからは、断続的に機械音が聞こえている。

「印刷中? お父さん、そっちの部屋にいるのかな?」

そちらに歩みを進め、ドアを開ける。父はおらず、印刷機だけが稼働している。

ウィ~ン、ウィ~ンという音に合わせて、印刷機から一枚ずつ紙が吐き出されていく。大きな目立つ活字で、

「死んで詫びろ!保険金で払え!」

ウィ~ン、

「早く家売れ、コノヤロ!」

ウィ~ン、

「ホスト狂いで!借りた金返さない家です。」


「え、ええっ!?これって…」

呆然と立ち竦む夏美の前で印刷機は止まることを知らない。

「死んで詫びろ!保険金で払え!」

見ている前で、2週目に入った印刷物から夏美は目を背けると、その場をあとにして駆け出していた。頭が真っ白になる。どういうこと? どうしてお父さんの部屋にあの家に貼っていた紙があるの? 最も簡単な解答「お父さんが紙を貼ってるから」をどうしても頭の中で否定したい夏美は、いつまでも、どうして? どうして? と呟いていた…。


廊下を走っている夏美を見かけた※時政は、ん? 夏美、何走ってるんだ…と思いつつも携帯で部下と通話中だったので、声は掛けなかった。

※風北時政・・・夏美の父

「じゃあ、今夜、いつもの時間に迎えに来い。」

そう通話を切った時政は、一応夏美の部屋の前まで行き、声を掛けてみた。

「夏美、帰ったのか?」

だが、返事はなかった。別の部屋にいるのかと思い、時政は、その場を後にする。


 父の足音が遠ざかるまで、息を潜めていた夏美は、携帯を取り出すと、父の書斎から持ち出した父の名刺に書かれた文字を打ち込んでいく。「風北産業 東野市 風北時政」検索画面の結果には、「債権回収業」という聞き慣れない言葉が多く映し出されていた。その検索結果の一つ「債権回収業 悪どい」というものが気になった夏美は、そのリンクをタップする。

「回収業者の中には、回収が難しくなった債権を安値で買い叩き、法律すれすれのグレーな取り立てを行うところがあります。特に証拠を残さずに…」

真っ白だった頭の中が、少しずつ整理されてきたのを感じた夏美は、逆に頭の中が、いや胸の中がどんどん灰色に染まっていくのを感じていた。そう、そういうことだったんだ…。今日の帰り道の智里の言葉が、頭の中に蘇る。

「ほら、夏美、行くよ! こんなことするのって、ヤクザとかじゃない? 鉢合わせしたらヤダよ。」

ヤクザ…。例えそうではなくても、父の仕事に後ろめたい似たような世界を感じてしまう…。自分の今までの生活が、そういったものの上に成り立ってきたことを感じた夏美は、居ても立ってもいられなくなり、あの家へ向かう。あの張り紙は、お父さんたちがやったんだ、剥がさなきゃ…。

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