第28話 父と子

「お父さん、相談があるんだけど。」

雷二郎の父、雷喜は、義理の弟である下妻から、雷二郎からお金の無心があって、理に適っていたら応じてほしいと言われていた。おそらくその話だろうと、見当をつけながら、

「なんだ? 相談って。」

「お父さんにとっても悪くない話だと思う。お父さんは、東京の”会社”に行くために月に何回も出掛けてるよね? 新幹線で。」

「ああ。だいたいは、リモートで部下に指示をするだけだから、こっちでもいいが、重要な案件はどうしてもな。」

(重要な案件? ま、いっか。)

 雷二郎は、父が家を不在にする理由が、仕事のためだけで無いことを知っていた。母との離婚の原因の一つが、父が東京で会っているあの若い女性のせいであることを。

 雷二郎の父、雷喜は、貿易関係の仕事を営む会社の社長であった。複数の部署があり、父の元にも直属の部下が数名いる中規模の会社で、本社は東京にあり、父は月数回、名目上仕事の関係で東京に行くことが多かった。雷二郎が、小学校の低学年の頃に比べて、父が東京に行く頻度が高くなっているのは、雷二郎が自立して、食事や身の回りのことを一人でこなせるようになってきたことと無関係ではない。近くに下妻という親戚が居るという安心感もあるのだろう。父には、雷二郎なら家の留守を預けても、特に問題はないと考えている節があった。

「あと、最近は、僕が家事をやるようになったけど、お父さんが、夜ご飯担当の日は、外食が多いよね。お寿司とか焼き肉とか、結構いいお店の。」

「そうだな。お金で時間も味も買えるんだ。無理に自分で作る必要はないと考えている。お前も寿司やあのフレンチ屋のメニュー好きだったろ?」

雷二郎はこくんと頷く。

「さっきっから、何を話してるんだ雷二郎? 言いたいことが分からんぞ。」

雷二郎は、次の言葉をお父さんが受け入れてくれなければ、ムガを助けることが出来ないと分かっていたので、緊張で声が震えそうになるのを必死に我慢して、

「お父さんは、東京のマンションで暮らして構わないよ。ボクは一人で、こっちでやっていける。下妻さんにも相談して見てもらった。コレ見てくれない。」

そう言って、父にステープラーで綴じた薄い紙の束を渡す。表紙には「見積書 兼 誓約書」と書かれている。父が一枚目の紙をめくる。そこには、父が毎月東京との往復で使っている新幹線の交通費や、雷二郎と出かけたときの外食の費用が記されている。下の方には、食費、水道や電気代などの生活費の月平均、普通の大人でも見落としそうな細かな町内会費や小学校・中学校の修学旅行などの積み立て費用まで記載されている。全てのページを見終わった雷喜は、けっして怒っている訳ではなく愉快そうに、

「下妻のやつ、雷二郎に入れ込みやがって。」

と笑みを浮かべた。

「お父さん。確かに下妻のおじさんにチェックはしてもらったけど、ほとんどボクが作ったんだ。」

「ほお。それで、私は何を誓約すればいいのかな?」

「お父さんが、今まで、わざわざこっちに戻ってきていた交通費やボクとの外食の費用を毎月ボクに譲ってほしい。お父さんにとっては、どうせ支出しているお金のはずだよ。支出先がボクに変わったところで、何も損しないだろ?」

「理に適ってるな…。」

「えっ、何? お父さん。」

「いや、下妻のやつから、お前の言うことが、子どものただの妄想でなく、理に適っているなら認めてやってほしいと頼まれててな…。」

雷喜はここで、自分が貿易商であった母(雷二郎にとっては祖母)の商談の際に、必ず同席させられていた過去を思い出していた。まだ小さい頃から母は、貿易の商談の際に、必ず部屋の隅に雷喜を同席させていた。英語や中国語も出来ないのに外国の客の時にまで同席させられ、当時はその不平を母にぶつけたが、今ではその意味が分かる。そのぐらいの言語能力や交渉力がなければ、貿易の仕事で喰っていくことなど出来ないと伝えたかったのだと。実際に母の会社を引き継いだ後も、雷喜は大きな商社とは違う独自の仕入れ先や販路をもち、厳しい他社との競争に負けないで、会社を存続させている。雷二郎も、その頃の自分と同じ年齢になったのだ。

「誓約書の最後に書いてあったが、家計が立ちゆかなくなった場合は、私の指示に従う。それでいいな?」

「うん。それは下妻のおじさんが、覚悟をもつためにそう書けってアドバイスしてくれた。」

「はは、貿易関係以外で契約書にサインするのは、久しぶりだな。オーケー雷二郎。私は、東京で暮らすことにする。」

サインを終えた雷喜は、何か思い出したように、

「そういえば、お前、野球はどうするんだ? 確か秋季大会がそろそろ…。」

「野球は昨日退部してきた。監督が父さんは知ってるのか? って聞いてきたけど。ウンって言っちゃった。」

「そうか、それだけは少し残念だな…。お前が野球をしているのを見るのが、結構好きだったんだけど…。まあ、しょうがないな。」

「お父さん、お金は振り込みで、この銀行口座にしてくれないかな? 振り込む人の名義は無記名にしてほしい。」

雷喜は、雷二郎の名前ではない「アマギカスミ ムガ」という知らない人物の預金口座名を見て少し心配になり。

「お前、誰か、下妻以外の大人にそそのかされてるんじゃないだろうな?」

「詐欺かなんかに、引っかかってるってこと? 心配だったら下妻さんに聞いてみてよ。ちょっと事情があって…。でも何度でも言うけど、お父さんにとっては特に困ることはないでしょ?」

「まあ、そうだな…。じゃあ、ありきたりな言葉で悪いが、頑張れよ!雷二郎。」

「うん。」

こうして、雷二郎は、ムガと生計を一つにし、何とか自分たちだけで生活していくという、難しい船出をした。だが、雷二郎には強い決意、そして下妻や父も見いだしていた才能があった。それゆえに、大人たちは一歩離れたところで、雷二郎を見守っていくこととなる。

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