第9話 近くに居る人

ボスッ、ボスッ、ボスッ・・・。

「あちゃ~。この感触は…。」

自転車が一定の間隔で小さくバウンドし始める。後輪の方だ。京香が後ろのタイヤに目を遣ると、見事にへこんでいて、薄くなっている。いわゆるパンクというやつだ…。しかたなく自転車から降りて、後輪を確認すると、キラリと光る透明な破片が刺さっていた。ガラスのようだ。

「全く勘弁してよ…。」

ガラスの破片を何とか取り出した京香は、この後のことを考える。

「最近、五丁目の自転車屋さんは閉めちゃったし…。おっ、そうだ!」

修理の当てが見つかった京香は、自転車を押しながら、その方向へ歩き始めた。


家のチャイムを鳴らし、ドアを開け、

「雷二郎~! ムガ~! 居る~?」

大きな声で、家の中に呼びかける。

「はいは~い! あっ京香ちゃん、どうしたの?」

「あ、ムガ、雷二郎は居る?」

「雷ちゃんは今居ないよ、下妻さんのとこに行ってる。」

「ふ~ん。あたしで出来るかな…。」

何か、困ったことがありそうだと感じたムガが、

「どうしたの? 京香ちゃん。」

「じつは、自転車がパンクしちゃって…。あんたんとこに修理キットあったでしょ?」

「うん。あるある。大丈夫だよ京香ちゃん。雷ちゃんじゃなくても、ボクできるから。やってあげるよ!」

「おっ、ありがと! 助かります!」

ムガが階段下の物置スペースに、修理道具を探しに行く。

「そういえばさあ…。雷二郎、最近ちゃんと勉強してる~?」

物置の中のムガに声を掛ける。

「え、雷ちゃん? 昔と変わらないよ~。夜は、ボクが寝た後も机に向かってることが多いよ。それよりボクには聞いてくれないの?」

「ん? ああ。ムガは勉強ちゃんとしてる~?」

「してな~い。」

(コラ! だったら聞いて? なんて言うんじゃない!)

「でも、中間テストの前は、雷ちゃんが鬼になって勉強させてくるから、そん時はしたよ~。あ、あった!」

どうやら修理キットを見つけたようだ。

「そういえば、雷二郎、中間テストの成績はどうだったか知ってる?」

修理キットを抱え、玄関に戻ってきたムガが不思議そうに、

「どうしたの京香ちゃん? 五教科総合で1位に決まってるじゃない。何か気になることでもあるの?」

「いや、情報屋として、正確なランキングを必要としておりまして…。」

 その京香の言葉は、半分は本当であった。今どきの高校は、成績の順位などを張り出すことはない。簡単に写メで情報が拡散してしまう時代だ。どんな些細な情報であっても、個人情報は公開しないに越したことはない。という学校側のスタンスだ。だから、成績や校内順位は、本人にしか知らされていない。

 一方で、やはり人間どこか競争がないと張り合いがないのだろう…。あの娘は、自分より成績が上なのか? 自分より下の順位には、どんな子が居るのか? そういった下世話な話題をどうしても人は好んでしまう。そういった傾向は、どこの学校でも同じであり、東野東高校に限った話ではない。

 京香は、そういった需要に応えるために、テストの後には、積極的に順位を聞きまくって校内ランキングをまとめ上げ、それを情報屋のネタとして持ち歩いている。希望者は京香の「情報屋グループ」にメンバー登録する。そうするとこういった情報が、低価格で定期的に配信してもらえるのだ。特に成績上位者のランキングは人気商品で、やはり「天才」「秀才」「努力家」というブランドが、いつの時代になっても人々の憧れであることは、間違いないようだ。

 だが…。京香が雷二郎の順位を聞いたのは、そういう意味ではなかった。京香は、この前、バロンの夕べで、妹の明日佳が雷二郎に転学を勧めた際に、「大学へは行かない」と言っていたことが、すごく気になっていたからだ。大学に行かないのなら、もしかしたら勉強しなくなってるのでは? 京香には、そんな不安があった。


 庭に出て、ムガが水の中にタイヤの中のチューブを沈めて、パンク箇所を調べているところだ。プクプクっと空気が漏れている場所が見つかった。ムガは水からチューブを上げて、水滴を布で拭いている。

「ふ~ん。ムガくんも成長してるんだね…。」

「え、何?」

しゃがんでいるムガが顔を上げて、京香の方を向く。

「いやあ、こういう仕事ってさあ、昔だったら、だいたい雷二郎がやってたじゃない? あたしとかムガは、見ているだけで。」

「そうだよね~。確かに雷ちゃんに任せっきりだった。でも京香ちゃんは違ったよ。」

「えっ、何が?」

「京香ちゃんは、自分が出来ないときも必ず、雷ちゃんの仕事が捗るよう手助けをしてた。あと、雷ちゃんが忙しいときは、陰で必ず雷ちゃんの仕事を減らして、楽にしてあげようって、色々やってた。」

京香の顔が赤くなる。

「む、む、昔の話だな~それは。昔のアタシは、いい子ちゃんだったんだねえ~」

京香は恥ずかしさで、これ以上、この話題が続かないよう願った。願いは叶えられたようで、

「で、できた~!」

ムガが自慢げに、空気を入れてパンパンになった京香の自転車の後輪を親指でぐいぐい押している。

「あ、ありがとう! 助かったよ!」

「いえいえ、パンクしたときは、いつでもどうぞ。で、この後、どうする、京香ちゃん? 雷ちゃん待っていく? ただ、下妻さんのとこ行くと、結構帰ってこないんだよなあ…。」

「ふ~ん。そうなんだ。今日は帰るよ。ありがとね、ムガ!」

自転車に跨がった京香は、何か思い出したように、

「そういえばムガ。雷二郎が大学行かないって言ってる話、知ってる?」

「うん。知ってるよ。」

「そ、そうなんだ…。」

「詳しく知りたい?」

「そ、そうだね…。」

「フフフ、この情報は高いよ~。」

(やばい! いつも自分が言っている台詞だ!)

「でも、雷ちゃんに話していいか、確認とってからにするから、また今度ね。勝手に言うと雷ちゃんに怒られそうで。じゃあね、京香ちゃん!」


 自宅への帰り道、自転車をこぎながら京香は、何だか、自分の気分がいいことに気付いていた。もちろんパンクが直ったせいもあるだろうが、やっぱり雷二郎が勉強の手を抜いて居ないことを確認できたせいなんだろうなと思った。

(良かった、やっぱり雷二郎は、雷二郎のままだ。)

ただ、それだけに、大学に行かないという言葉が、余計に気になりだしていた。

(就職するつもりかな? あり得るな。雷二郎は、いつも家計のことが第一だし。高校出て、すぐ働いた方がって考えてるのかも…。)

児童公園の角を曲がったので、自宅へはあと少しだ。

(ムガからの情報が入るといいな…。)

京香はそんなことを考えていた。

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