第24話 バロンの夕べ
「あら、珍しいですわね。お兄様から連絡を頂けるなんて。入浴から就寝まで、肌身離さずお兄様の連絡を待ち続け、携帯を身に付けていた甲斐がありましたわ。」
コールが終わり、電話が繋がると、そんな妹の声が聞こえてきた。
「どこに入浴中も携帯を」
雷次郎がツッコミ切る前に言葉が遮られた。
「冗談ですわ。」
フフフという笑い声が聞こえた後、
「で、お兄様、まさか私の近況が気になって電話してきた訳じゃないでしょう? ご用件は何かしら?」
「明日佳、まず、そのお兄様というのを止めろ。どうだ、元気にしてたか?」
「お兄ちゃんが、この前、私を社長令嬢とか言って、からかったんでしょ! 女の子はね。そういう恨みは忘れないのよ! んで、お兄ちゃんこそ元気?」
「ああ。こっちは健康上何の問題もない。お前も元気そうだな。」
「こちらも健康上問題なし!よ。それで、どうしたの?」
「ああ、実はバロンの夕べに古くから勤めてる人がいたら、紹介して欲しいと思って…。」
「さっすがお兄ちゃん、突然電話してきたかと思うと、意味不明のお願いをしてくるのね。駄目よ。ちゃんと事情を説明してくれなきゃ。説明無しなら、これっぽっちも手伝う気はありませ~ん!」
「ぐぬぬぬ。実は、」
雷二郎は妹に、京香から聞いたバーソロの娘の事件のことと、今、入院している友達が、同じ名前なのだが、本当にその子が起こした事件なのか確かめたいと、正直に説明した。黙って聞いていた明日佳は、
「バロンの夕べに限らず、5年も前からバイトを続けてる人は少ないと思うよ。ただ、あの店のオーナーさんとは仲がいいから、話は通してあげるわ。お母さんのビルで起きた事件だから、私にも、ちょっとは記憶があるんだけど…。細かいところまでは覚えていなくて。」
「ありがとう、明日佳。じゃあ、その人に会えそうな日があったら連絡を。」
「お兄ちゃん待って! まだ条件を話してないわよ。」
「What's? 条件って何だ?」
「だ・か・ら、お兄ちゃんにバロンの夕べのオーナーさんを紹介する条件よ!」
「正直に話せばいいって、言ってたじゃないか!」
「大丈夫、簡単なことだから♡ 私もその探偵ごっこに、混・ぜ・て♡」
バロンの夕べのオーナーは、初老の女性で、以前ここに、京香とランチをしに来たときに、明日佳が立ち話をしていた人物だと思い出していた。開店前がいいということで土曜日の朝早く、雷二郎と明日佳は、ここを訪れていた。
「榊さん、この人相がちょっとよろしくないのは、うちの兄で、雷二郎といいます。小さい頃から苦労しているので、こんな悪人みたいな顔に…。」
「明日佳! 身内をそんな風に紹介するやつがいるか?」
「事実ですからしょうがないですわ。榊さんにウソはつきたくありませんから!」
榊は微笑みながら、
「明日佳さん、照れなくてもいいのですよ。いつも占いの館に来たとき、お兄ちゃんのこと楽しそうに話しているじゃないですか? 無理に悪く言わなくても、お兄ちゃんが大好きなことは知ってますよ。」
「!!! …。」
明日佳が、顔を真っ赤にして下を向く。雷二郎が、占いの館? と呟くのが聞こえた榊さんは、
「ええ、私、占い師もやっておりますの。明日佳さんもね?」
そう言って、まだ下を向いている明日佳の顔を覗き込む。
「えっ? 明日佳が占いを!」
驚く雷二郎に、小さな声で明日佳が答える。
「私は、まだ見習いだけど…。」
榊さんが、微笑みながら、やんわり明日佳の発言を否定する。
「いえいえ、明日佳さんの腕前は、もう一人前ですよ。それに、本当によくお当たりになる。」
明日佳の意外な一面を知り、本来の用事を忘れている雷二郎に、
「お兄ちゃん! 私のことはいいから。それより…。」
雷二郎は、うん、と首を縦に振ると、榊に質問する。
「今日は、お時間を取って頂いてすみません。もう明日佳から聞いているかもしれませんが、5年前ここで起こった事件について、もし教えて頂ければと思いまして…。」
榊さんは、よく覚えてると話した後、
「あれは…。私には演技に見えました…。」
雷二郎と明日佳が、演技という言葉を聞いて、えっ!という顔をする。雷二郎が尋ねる。
「榊さんは、その場にいらっしゃったのですか?」
「ええ。今でも人手が足りないときは、現場に出ていますの。その日もちょうど、私は、お店を手伝っていました。」
「それで、演技に見えたっていうのは…?」
「その、小学生の女の子だったと思うんだけど、とにかく大きい声で、お前なんか死ね!のような言葉を繰り返していたわ。わたし、それは周りの気を惹こうとしていたんじゃないかと思うの。そして、カッターナイフも高く持ち上げて、周りのお客さんからワザと見えるようにしていたわ。」
雷二郎は小さな声で
「風北…。」
と呟いた。
「お父さんを切りつけたところは、私の方からは見えなかったんだけど、見ていた別の店員から後で聞いたらね。大げさな身振りや声の割には、すごく大人しい切りつけ方だったって、どちらかといえば慎重で、深い傷にならないように距離を測ってたんじゃないかって。」
「確か? 警察も来たって聞いたけど…。」
明日佳が昔の記憶をたどりながら尋ねる。
「ええ。彼女、警察が来るといっそう暴れだしたわ。そうそう、わたしそれを見たときもね、ちょっとわざとらしいと思ったのよ。特に警察官にがっちり後ろから押さえられて、カッターを取り上げられてからは、よりいっそう騒いだり暴れたりしはじめたから…。そしたら、店の中のお客だけでなく7階にいるほとんどの人が、野次馬として集まってきたわ。きっと彼女分かってたのよ…。カッターもなく、身動きが取れないなら、もうどんなに暴れたって”誰も傷つかない”って。」
「…。」
「今、あなたたちにお話したこと、わたし、警察にも伝えましたの。そのせいかどうかは分かりませんが、ここで起きた騒ぎほど大きな処分には、ならなかったって聞きましたわ。父親のケガも本当に浅いものだったらしく…。」
「お話を聞かせてくれて、ありがとうございました。」
雷二郎たち二人が、頭を下げると、
「お兄さん、時々、明日佳さんに顔を見せてやってくださいね。明日佳さんは、それがとっても嬉しいようですよ。」
雷二郎が頷くと、店のエントランスまで、見送りに来ていたバロンの夕べのオーナーは、店内に戻っていった。明日佳は、恥ずかしいのか、まだ下を向いている。雷二郎は、
「ありがとうな。明日佳。やっぱり風北は、本気じゃなかったんだ。何か考えがあってやったことなんじゃ…。」
二人は、エレベーターへ向かう通路を歩いている。明日佳が、ポツリと呟く。
「おうちの人に迷惑が掛かるようにしたかったのよ…その娘。」
「え?」
二人は、エレベーターの前に到着する。雷二郎が「下」のボタンを押す。
「騒ぎを起こして、自分に注目を集めるとかじゃなくて、この場合は両親なんじゃない? 親に迷惑を掛けることが目的だったんだわ…。」
「何で、お前にそんなことが分かるんだ?」
「…。わたしも…昔やったことがあるから…。」
「えっ!?」
雷二郎には、明日佳が親に迷惑を掛けるようなことをした記憶が全くなかった。もちろん年相応に、わがままをいったりイタズラをしたりはしていたが…。
「お兄ちゃんと離れてお母さんと暮らし始めてからのことよ…。」
「何でそんな、母さんに迷惑になるような事を…。」
「…。」
エレベーターが到着したので、二人はそれに乗り込む。まだ、ビルの中の施設がオープンする時間ではないのだが、清掃関係の人だろう。他に人が乗っていたので、二人の会話は中断している。1階につくと、その清掃関係の人物は降り、明日佳と雷二郎だけになる。
幸い、1階から下行きのエレベーターに乗り込んでくる人はいないようだ。明日佳がエレベーターから出ようとしないので、雷二郎が声を掛けて促す。
「オレは地下の駐輪場だから、ここでお別れだ。じゃあな。」
明日佳は、エレベーターから出ると、振り向いて、
「私が、お母さんに迷惑を掛けるようになったのは、お家に戻りたい! お兄ちゃんと一緒に暮らしたい! それをお母さんに分かってほしかったから…。」
エレベーターの扉が閉まる。慌てて雷二郎がOPENのボタンを押す。だが扉が再び開いたときには、もう扉の前に明日佳の姿は無かった…。
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