第6話 佇む女

―――とある日の夕方


 何だアイツ? ムガの自宅を、通りの向こうからじっと見つめている女性徒がいる。ムガに気がある娘が、ムガの自宅を突き止めて、家まで来てしまうことも過去には、なくはなかったが、まだ高校に入学して二ヶ月半あまり。尾行された記憶もなく、うちの東校の制服の女性がそこにいるのには、少し驚かされた。制止するムガを押しやり、雷二郎は、ツカツカとその女性徒の元へ近づいていく。

「オイ! ムガに何か用か?」

あっ!こいつは確かB組の…。顔に掛かる髪の片側の一部分だけメッシュの入った女が、雷二郎の方を向く。間違いない。隣の組で入学早々教師とひと悶着起こしたかという、風北とかいう女だ。確か名前はナツミとか…。

「ムガ…?」

雷二郎を見て、その女性は、そう一言呟いた。

「何だ。名前も知らず顔だけ見て惚れちまったとか? 全くお気楽なもんだ。ああそうだよ。お前が見ていた家の住人だよ!」

「惚れた…?」

相変わらず反応が鈍い。

「それとも何か、ただ家を見てましたとかぬかすつもりか?」

「ただ家を見てました。」

なっ! さすがの雷二郎も一瞬、息を飲んだ。すると女は、フフッと笑い、

「怒らせたのならゴメン。でも、本当にそのムガって人の家かは知らなかった。ただ昔を思い出してただけ…。アンタは? アンタもあそこの家の人?」

「いや、俺は違う。昔って何だよ?」

女は視線を逸らすと、鞄を後ろ手に肩に上げ、

「昔は、昔さ…。」

そう言って、クルリと雷二郎に背を向けると、スタスタ歩いて行くかに見えたが、急に立ち止まると、先程と同じようにクルリと体を返し、

「その…。ムガって子は、元気か?」

厳しい視線で、ナツミを見ながら、雷次郎が答える。

「ああ、元気だ。それが何か?」

ポーカーフェイスに見えていた女性の顔が一瞬だけ、ほころんだように見えた。

「そう…。よかった…。」

そう言うと、また雷次郎にクルリと背を向けて、今度こそ本当に立ち去って行った。


相変わらず厳しい目線でナツミを見送っている雷二郎の横に、ムガがやって来る。

「雷ちゃん? 知り合い?」

「いや、お前の方こそあの娘、見たことないか? コクって来たとか?」

ムガも、遠のいていくナツミの背中に視線を送りながら、

「それはないけど、時々あそこから家見てるよ。ぼくん家に遊びに来たいのかな?」

「何だと! 警察呼べ! ストーカーかもしれん。」

ムガは笑って、

「どうしたの雷ちゃん? ワザと言ってるでしょ。長い付き合いだからバレてるよ。」

そう、さっきの会話で、間違いなくあのナツミとかいう女性が、ムガに興味があってそこに居たのではないと感じていた。もちろんストーカーでもないことも。自分が軽くあしらわれたのが、気に入らなかっただけだと。

「よし、晩御飯にするか!」

雷二郎は、話題転換を図ると、玄関の方へ足を向ける。鍵を開けると追い付いてきたムガも一緒に入る。が、玄関から見える一階の景色が気に入らない。

「オイ、ムガ! どうして、こんなに散らかってんだ! 昨日片付けたばっかりだろうに!」

「ゴメ~ン、雷ちゃん。何だか色々やりたくなっちゃったんだ。」

「お前の場合は、色々やりたいんじゃなくて、色々すぐ飽きちゃうの間違いだ! まったく。」

そう言いつつも、さっそく通路に落ちているものを広い集めて、手際よく棚に戻していく。ムガは手伝うでもなく拍手をして、

「うわっ!雷ちゃんスゴ~い! 片付け名人!」

などと呑気なことを言っている。そんなムガをギロリと睨むと、

「片付けはオレがやっとくから、お前は米研いでご飯炊いとけ!」

「分かった! 悪いね。」

そう言うとムガは、トトトと足音を立てて、台所の方に消える。


「いただきます!」

「戴きます。」

二人の元気な声が揃う。食卓に並ぶおかずの数々は、見栄えも匂いも食欲を誘う素晴らしい出来映えだ。この食事を作った雷二郎が、ムガに尋ねる。

「どうだ? シシャモの使い方、新しいだろう?」

「うん、コレ美味しいね。雷ちゃんすごいよ。レパートリーどんどん増えていくね。」

さて、二人が何故、食卓を共にしているかというと、それは金銭的な理由と、境遇が似ているという共通点が主な理由である。その境遇とは、二人とも母が不在であること。そして、父親が片方は行方不明。もう片方は愛人と東京暮らし。どちらも家に帰ったら、一人ぼっちでいるという悲しい共通点であった。


 小学校高学年の時に、赤ちゃんの頃に失踪した父親に続いて、母親までもが失踪してしまったムガは、未成年で一人家に取り残された。その後、鈴木さんという親戚夫婦に引き取られることになったのだが、どうもその親戚には、暴力を振るうという癖があるらしく、ムガは行きたくないと頑なに拒んだ。親戚の受け入れを拒否すれば、残るは施設に入るしかなかったムガであったが、当時から聡明であった幼なじみの雷二郎が、ムガの自分の家にいたいという願いを叶えようと奔走する。

 一計を案じた雷次郎は、叔父で税理士の下妻さんに手伝ってもらい、鈴木夫妻の説得を試みた。保護者としての名義だけを借してもらい、その他の金銭に拘わることで絶対に迷惑を掛けないとムガに誓約させ、何とかムガが元の家で暮らせるようにした。鈴木夫妻は、ムガの家や土地が借金の抵当に入っていることを知ってからは、ムガを養っていくことに全く興味が無く、二、三の条件を付けて、雷次郎と下妻の提案に乗ってきた。(例えばムガが犯罪を犯した場合などは下妻が責任を取るなどの誓約書を書かせるなど。)ようするに鈴木夫妻は、親戚の子を引き取って、育ててやろうなどという人物ではなかったということだ


 こうして、自分の家で暮らすというムガの願いは叶えられたが、ムガには生活能力が皆無で、とても一人で暮らしていく力はなかった。そこで、雷二郎は、学校から帰ると、ムガの家に行き、自分の分と二人分のご飯を準備するようになった。時々、同じく幼なじみの京香や雷次郎の妹の明日香が来て、家事を手伝ってくれたのも大きな手助けとなった。さすがにムガも中学生になる頃には、多少のことは自分でできるようになっていたが、こと家計に関しては、そもそもの才能が無いようで、雷次郎に任せっきりである。


 雷次郎は、その頃から家計簿を付けることや、節約生活にのめり込み、現在に至る。おそらく親戚?もしくは失踪した父親か母親?からと思われる毎月のムガへの振り込み額は、けっして多くはなく、きちんと家計簿で管理しなければ、とうてい暮らしていけなかったからだ。幸い叔父で税理士の下妻さんが、こういったお金の出入りに関して雷次郎に分かりやすくアドバイスしてくれたので、雷次郎はきちんとムガの

家計を成り立たせ、あまつさえ抵当に入っている家や土地の利息も細々と返済している状況である。


「ごちそうさま!雷ちゃん、今日は何だか食事のペースが遅いね?」

「ん? あ、ああ。」

箸が止まっている雷次郎にムガが、ニコニコしながら尋ねる。

「さっきのあの娘のことが気になるんでしょ?」

図星であったが、雷次郎はとぼける。

「いや、最近通帳に千円とか二千円とか、細かい入金がやたらあってな。何なんだろうって…。」

ムガは、ふ~ん、ほんと~? と疑いの言葉を残して、食器を下げに台所の方へ移動していった。

(昔は昔…。あのナツミって奴、この家の昔のことを知ってるのか? 痛い出費だが、また、京香に頼んでみるか…。)

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