4月2日② 心を通わせることや息子たちについて

 村の水源は、長老たちのドームとは別の高台にあった。


 いわゆる川の始まりだった。

 木々の生い茂る清涼とした岩場で、その割れ目から、幾筋もの流れが溢れ出ている。見慣れた情景に思えた。


 静かに、たっぷりと湧き出る水は、太い流れを作り、枝分かれを繰り返して農場や村へと続いていくのだそうだ。


 俺たちは流れに沿って歩き始めた。


 整備された川には思えなかった。

 どこも緩くカーブしている。急流は危険だから、わざと真っ直ぐにしていないのだろうか。


「ほとんど元の流れのまま利用させてもらっているの。どうしても必要なときは支流を作ることもあるけれど。長い歴史で、一度か二度のこと」


 足元がぬかるんだ土に変わると、そこに巣を作るモグラのような生き物に出くわした。大きな前足で土を掘って、虫を主食にしているのだそうだ。


 それを説明しながら、リリアさんはさっきの川の流れのことも付け加えてくれた。


「彼らが大地に穴を掘るのは移動するためだったり、巣を作るためだったり。でも私たちは、なんていうか……大地を変えるために穴を掘るでしょ?

 大地は大地の思惑があってそこにあるのに、彼らと話し合わずに決めてしまう。私たちは、大地と話すことができなくなってしまったから」


 なんてことないモグラの解説が、「大地と話す」なんていう、すごい展開になった。


 もしもの俺だったら、「なにスピったこと言ってんだよ」とは鼻白んだに違いない。

 でもここなら、ニャイテャッチなら……アリだ。


「『十色鉱山じゅっしょくこうざんの国』には、大地と話ができる祈祷師がいると聞いたことがある。いつか、行ってみたい……かも」


 リリアさんは遠慮っぽく続けた。

 もしかしたら、彼女は口で言うより外の世界に興味があるのかもしれない。


 しかし、『十色鉱山の国』といえば、いつかフィス先生が言っていた『永久監獄』だ。俺のような転生者が放り込まれ……、殺された……。


 そんなところに大地と話すシャーマンがいるのか?

 これは先生に確認しなければ。


 もしもリリアさんの情報がガセネタで、いつか本当に彼女が旅立ってしまって、捕まって投獄されたら大変だ。


 俺が彼女の身を勝手に案じていると、急に肩を掴まれて心臓が跳ね上がった。


「ほら! 虹!」

「あっ……」


 ドキドキのまま視線を送る。

 その先は断崖になっていて、谷底へ落ちる水が虹を作っていたのだ。


「わー。すごい」


 リリアさんに手を引かれて近づくと、別の割れ目からも水が吹き出していて、下にはさらに大きな水流ができていた。


 これが村を潤しているのか。

 水って、すごい。


 そして谷が深い。

 足がすくんでしまう。


「ごめんね、怖かった?」

「は、はい。ちょっと」


 手から緊張が伝わったのだろう。


 彼女は休憩とばかりに、谷から離れて低木の茂る岩場へ案内してくれた。ちょうど二人座れるスペースがあって、絶え間ない水音に癒されるし、虹も見える。


 そうやって肩が触れ合うくらいの距離で並んで座っていると、不思議と俺はすぐに落ち着きを取り戻し、呼吸も楽になってきた。


 まるで彼女から慈しみのシグナルを受け取ったかのようだ。


 そうか。

 逆に彼女は俺の不安のシグナルを受け取ってここへ連れてきてくれたんだ。


 何も言わなくても、手のひらからたくさんの情報がやり取りされた気がする。


「お、女同士っていいですね。気楽というか。気持ちが繋がる気がします」

「そうなの? そうか。普段男女で暮らしているとそう感じるのね」


 リリアさんは、自身の疑問に自分で答えた。


「そうです。男と女は、長く一緒にいると喧嘩ばっかりです」

「女同士も喧嘩するじゃない」

「男女のは目も当てられないです。考え方が違うんですよ。根本的に」


「そうかしら……?」

と、今度はちょっと考え込んでから、彼女は注意深く言葉を紡いだ。

「女同士だって、分かり合えないときもある。ここでも困りごとは時々起こるの。どうしても謝らない人や、考えるより先に体が動いてしまう人や、逆に考えすぎてしまう人もいる。男も女も、そう変わらないと思う」


 その意見に、俺はまた自分の浅はかさを思い知らされた。

 リリアさんは女性しかいない村にいるのに、男性のことも全く平等に見ているようだった。


 それがニャイテャッチの考え方なのだろうか。


「息子たちにも、泣き虫もいれば暴れん坊もいる。忍耐強い子も、飽きっぽい子も。あまりにも臆病だと、ここにおいてあげたくなるけど……」


「どうするんですか?」と、俺は食い気味に聞いていた。完全に自己投影していた。「僕がもしも男で、ここに生まれたらって思うと、怖いです」


 急に、明日からどこかへ行ってくれと言われたら。

 この村に生まれ育っていなくても思う。立ち退きとか、解雇とか、勘当とか。そんな目にあったら泣いてしまうかもしれない。


 リリアさんは、「大丈夫よ」と言うように、俺の肩を強い力でひと撫でした。


「私たちはみんなで、その子に必要なものを考えるの。例えばね、ある、とても臆病だった少年の話。私たちは、他の息子と同じように、彼についても長く話し合った。その日が来るまでに、彼に何が必要か、何日も、昼夜を問わず、思いついたら言葉を紡ぎ、他の村人の意見に耳を傾けた」


 俺は、その少年に自分を重ねながら聞いていた。


「思い切って遠くへ行くように促すこともある。遠いところへ行って、私たちのことを忘れてしまった方が、強く生きられる子。でも、彼はそういう子じゃなかった。きっと離れては暮らせない。だから、彼は私たちのすぐ近くの村に住むことになったのよ。たとえもう村に戻れなくても、この山を見上げられて、いつでも私たちを思い出して、一緒に生きていると感じられる場所。彼の名は、ピピン」


「あ!」


 気づいた俺に、彼女は笑った。


「元気だった?」

「はい。とても親切でした」

「さすが私たちの子ね」


 リリアさんは、まるで我が子を褒められたように嬉しそうだった。

 ピピンさんの方が年上だろうに、やっぱり彼も、リリアさんにとっては、いや、この村の女性たちにとっては、〝息子〟なのだ。


 大きな山羊の馬車に乗っていたおじさんを思い出す。俺のことを「お嬢さん」と呼んだ。彼の『蜥蜴岩の村』と、彼の家や、子供たち。

 とても幸せそうに暮らしていた。

 

 ニャイテャッチで生まれ、育ち、その山を見上げる村に降りて、彼は自分の居場所を自分で作ったのだろう。

 

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