3月31日② ニャイテャッチの神話
そうしてリリアさんが語り始めた神話は、こんな話だった。
太古の昔、『漆黒竜』がその吐息で大地を作り、そして『不死の山』に眠ると、そこかしこに神が生まれた。
西に現れたのが、ここの女性たちが信仰する女神、ニャイテャッチ。
『七ツ森の国』で『
大陸の西に唯一そびえる巨大な山と聞いて、富士山のように思えた。
女神は毎日新しい命を生み落とし、西の大地を緑豊かに変えていった。すべての木が、花が、動物が、彼女の子供なのだという。
そして、あらゆる動植物を生み出した後、最後に生まれたのが、『ニャツキ大河』。最愛の末息子である。
息子は母の愛で大きく育つと、一人旅立ち、ずっと遠くの生き物たちにまで命の水と、母からもらった愛を運ぶ。彼はそのために生まれたのだ。
この村では、その神話をずっと守っているのだという。
生まれた女性は、全てが女神ニャイテャッチであり、男性は大河。息子は母の産んだ者たちを愛し、育てる役割があるため、時が来ると村を出ていく。
それで、村には女性しかいないのだ。決して男性を嫌悪して、締め出しているということではない。
とはいえ、本人が旅立ちの決心がつかないうちに出て行かさざるを得ないこともあるという。
俺だったら、どうだろうか。
想像してみる。ここは緑豊かで平和な場所で、身の回りにいるのは九割以上が女性だ。外の世界と違いすぎて、山裾に降りた段階で泣いて帰るかもしれない。
「美しい物語ですね」
物語が終わったところで、先生が微笑んで言葉を漏らした。
リリアさんも、はにかむように微笑みを返した。
「ありがとう」
「村に戻ってくる息子たちはいるんでしょうか」
先生がメモを取りながら尋ねる。真面目な顔つきに戻っていたが、口調はあっさりしていた。
俺も気になっていたので、リリアさんの答えに耳を傾けた。
「川が雨になり山にそそぐように、息子たちも好きな時に帰ってきます。それでも、水の流れは止めることができません。この村で夜を越えられるのは女だけです」
「なるほど」
という先生の短い相槌に、リリアさんが付け加える。
「でも、夏至の祭りには大勢集まりますよ」
「祭りですか。今度はそのときに来たいものです」
先生は口角を上げた。
交互に話す二人が美人すぎて、なんだかぽかんと見惚れてしまう。
聞きたいことはたくさんあるだろうに、先生は寡黙で、心地よい合いの手を入れながら相手の話したいように話させていた。質問は、話が途切れた時に手際よく。これも技術なのだろう。
その後、俺たちはたどり着いた広場を見て歩きながら、夏至の祭りの話もした。広場の真ん中にトーテムポールみたいなものを立てて、その周りを踊り回るそうだ。
ポールは毎年新調する。夏至の日までに職人が仕上げる習わしだ。
できたポールは村の隅々にまで神のご加護が行き渡るよう、三日かけて村中を引き回され、夏至当日になると広場中央に立ち上げられる。その日は一日、ポールの日時計をみんなで楽しむのだそうだ。
よく知らないが、長野の御柱祭を思い出した。
確か、七年に一度の大祭だったはずだ……が、それくらいのことしか知らない。日本の伝統ももっと知りたかったなと、少し寂しい気持ちになった。
「他に、何か習慣や習わしがあれば……といっても、その中で生活をしていると気が付きにくいことも多いですから、滞在中にいろいろと質問すると思いますが、ご容赦願いたい」
「こちらもそのつもりでお待ちしていましたら、気になさらないで」
リリアさんは優しく応じてくれたが、俺は口に気をつけなければと思った。好奇心に任せて妙なことを口走らないように。
『信じる神や、守る伝統によって、その集団が何を大切にしているかわかる』と、先生は言っていた。
彼女たちは、大地の愛を受け取り、それを今度は自分たちが誰かに渡すことを大切にしている。だから村に塀はない。
誰でも自由に行き来して、いっとき休むことができる。
けれども、留まることができるのは、山の神であるニャイテャッチだけ。ここは聖地でもあるからだ。
と、ここまでは神話の混ざった、精神的な話。
続いて語られるのは、人の営みだ。
田畑を耕し、家畜を飼い、行商人と交渉し、さらに軍隊も持っている彼女たちの暮らし。
こう言ってはなんだが、俺はわくわくしてきていた。
リリアさんの案内で、俺たちは畑の間を歩いていた。
その前は山羊っぽい動物を飼っている小屋を見せてもらった。村はほぼ完全に自給自足していた。
まあ、この世界では貿易で手に入れるものの方が珍しい。だから乗合馬車で出会った行商夫婦のような人たちが、各地で人だかりを作るわけだ。
女性だけの村と聞いていたけれど、男性も、旅行者や行商人など普通に出入りしていた。いわゆる冒険者もやって来ることがあるという。この近辺にモンスターはいないけれど。
「そうして訪れた男性と、互いに気に入れば性交します」
俺はつまずいて転びそうになった。
のどかな田園風景と、リリアさんのあっさりした口調と、その内容。
あまりにも不釣り合いでギョッとなっていたが、先生は落ち着き払って「なるほど」と頷いている。
俺が雑魚すぎるのか?
汗をかいている間に、二人はさらに話を進めている。
「離れ難いと言う人もいるのでは?」
「子供を授かることができるか、無事に産まれるか、それは神のみが知ること。いっとき愛し合うだけだということに納得してもらうことも条件です」
そう話すリリアさんの横顔は凛々しくて、つい正しいことを言っているように思えるけれど……
それって、貞操観念が低くないか?
旅人の男に惚れ込んで、勢いで寝るってことだろ?
男だって、ヤリ逃げってことだろ?
無責任じゃん。
美しいリリアさんが、急に信じられなくなったような気分だった。
しかし先生は、俺とは正反対に、感心し切った様子だった。
「とても根源的で情熱的なやりとりですね」
世界が違いすぎる。
圧倒される俺の横で、リリアさんは表情を陰らせた。
「最近は、私たちの申し出に驚く方もいるんです。きっと下では考え方が変わってきているんでしょうね」
俺は、彼女の思い自体よりも、彼女が村の外を『下』と呼んだことに気を取られた。実際、ここは山の上であるが、物理的な位置関係だけではない意識が、そこに働いているように思えたのだ。
リリアさんの疑問には、先生が答えた。
「男女一人ずつ対になることが多くなっているように思います。二人が添い遂げることが良いことだと。それに加え、先の戦乱の間には一人の夫に複数の妻という形も増えました。これらは『二手の国』など東側に多かった考えですが、西にも広がっています」
「そうでしたか……」
と、リリアさんは少しためらってから続けた。
「実は、村の女たちも、外へ行きたいと言うものが増えているんです。以前は数年に一人か二人でしたが、『黄金の国』として統治され平和になったと聞いて、下への憧れが膨らんでいるみたいで」
それを聞いて先生はメモの手を止めた。
リリアさんは、すごく寂しそうに見えた。
「出ていくものを、止めないのですね」
「ええ。私たちは〝意志〟を何より大切にします」
ちょうど子供達が目の前を走り去っていった。男女入り混じって楽しそうに遊んでいる。
「私たちニャイテャッチに生まれたものは、決断が常に正しくあるよう育てられるのです。思いやりを持ち、思慮深くあるように、と。ですから、その人が旅立つと決めたなら、見送るだけです」
日はすっかり傾いていた。
斜めに長く差し込む光は山を、リリアさんを、美しく、気高く、薔薇色に染めていった。
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